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土の上にも三年

農への道

檜原村回想録(トリオバージョン) その2

2011-07-04 12:17:41 | 檜原村
檜原村はかつて養蚕が盛んだったようです。

郷土資料館に行くと茅葺き屋根の養蚕家屋(兜造り)の模型が展示されています。

檜原村に現存する兜造りは数棟しか無いようで、そのうちの一つがこちらになるのだと思われます。

兜造り


現在は民宿として生まれ変わっていました。

ボクは、檜原村に住みたいという密かな夢を持ちましたが、遊びに行くのと住むのは違うということをしっかり学ばなければなりません。

田舎(と呼んじゃいますが)に暮らすことが、そのまま田舎の保存に繋がるわけではないと思います。

また、文化としての田舎と、新しい文化としてのボクらこれから世代が、一つの地域にどう溶け込むか・どう融合してゆくか、

おそらく先人の遺した文化を継承するだけに固執しては、今後、結局のところは文化を途絶えさせてしまう、

いくら文化を遺しても、そこに人がいなくなれば文化は無くなってしまう、

こうしたジレンマは都会暮らしのほうが実は強いのではないかと感じます。

いや思い込みなのでスルーしてやってください。


田舎暮らしをしたい、でも暮らすための障害をひしひしと感じます。

住めば都(みやこ)、でも一代限りの生活と、代々受け継ぐ生活と、これからを紡ぐ世代の生活と。

文化は生まれてたかだか数百年、長くても数千年。

この間、何一つ変わらない文化なんて無いわけでして、より強い(大衆性の高い)文化が、より弱い文化を吸収・排斥・淘汰してゆくのが基本的な方向性だと思います。

そこで“守りたいもの”と“守るためにはやらなければならないこと”この想いの狭間を感じます。


下水道?(少しだけ生活臭あり)



宿にある標(しるべ)
 


先ほどの宿には後程お邪魔することにしました。

まだ10時でしたので、昼食のタイミングで温泉に入れたらなぁ、と画策。

でもそこに拘ると旅の面白味に欠けるので、ぼんやりとしたイメージだけを抱いて去ります。

また寄れますように。旅の無事の祈りと共に。


はい、大げさです(笑)

でも、こうした祈りを大げさだと思うことは“傲り”なんだと思います。

毎日の安心に、どこか同じような明日を描くことは悪いことではないですが、描いた結果である今日が“ただの今日”ではないことを知るには、感性を研ぎ清まさなければなりません。

今日が無事な今日であるのは、金曜日の夜に子供たちと買い物に行ったからなんです。

意味不明ですね(笑)

RIEさんに「何で米買ったの?」と聞かれて、「え、地震が起きると思ったからだよ」と答えると、RIEさんは苦笑します。


九頭竜神社








続く

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