京都のいぬぅ

I wanna be a master of life.

沖縄旅行 沖縄戦 糸満(2)

2007年10月27日 18時42分05秒 | その他の地域
沖縄平和祈念資料館

戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、
沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、
全世界の人々に私たちのこころを訴え、
もって恒久平和の樹立に寄与するために設立されました。



音声紹介では
沖縄北部の戦場では乳飲み子を背負ったまま、
刀を振りかざして敵兵へ突っ込んでいった母親もいたと紹介されていました。


平和学習中


魔文仁の丘周辺は平和祈念公園として整備されています。



住所: 沖縄県糸満市摩文仁545











黎明之塔
 

歌碑-辞世の歌
秋またで枯れゆく島の青草は皇国の春によみがえらなん        牛島満
矢弾つき天地を染めて散るとても魂かえり魂かえりつつ皇国護らん   長勇

碑文                 
 第32軍は沖縄県民の献身的協力を受け力闘奮戦 3ケ月に及んだがその甲斐も空しく将兵悉く祖国に殉じ軍司令官牛嶋満大将並びに参謀長長勇中将等此の地において自刃す時に昭和20年 6月23日午前 4時30分茲に南方同胞援護会の助成を得て碑を建て永くその偉烈を傳う
   昭和37年10月  沖縄県遺族連合会 


追い詰められた人々は次々と身投げしたという

八原 博通
アメリカ軍いわく「八原戦略は日本では不換紙幣であった。」

米陸軍戦史「最後の戦い」で、
「沖縄における日本軍は、まことに優秀な計画と善謀をもって、わが進攻に立ち向かった」と述べています。



沖縄戦の戦没者数

日本兵(除く沖縄出身の日本兵) 65,908名
日本兵(沖縄出身)        28,228名
沖縄県民(除く沖縄出身の日本兵)94,000名
小計               188,136名
米兵     12,520名
合計     200,656名


参照
沖縄戦没者慰霊碑
沖縄遺族連合会関係の部

最新の画像もっと見る