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「エホバの証人」再再再訪?

2015-03-11 15:58:03 | 宗教関係
昨日、又又曇り空の寒い中、エホバの証人のお二方がやってまいりました
メインの方はいつも同じですが、お連れの方が毎回違うような
私は以前は人の顔をよく覚える質(たち)でしたが
いつの頃からか、人の顔を覚えなくなりました
きっと、何か理由があるのでしょうが、しかとわかりません

前回訪問された時の「創世記3-5」とやらを
忙しさに紛れて読んでませんでしたが
(まず、聖書を引っ張り出してないですし)
今回は、一筆箋のお手紙をいただきまして、
一筆箋が三枚と、集会のご案内が入ってましたが
   
何気に洗脳されそうな気配を感じた今日の訪問でして
なるほど、私のようなものでも洗脳されそうになるのか、と
つまり、話を巧みに持って行って、褒める、
「勧誘しない」と言いながら、さりげなく
まさしく「勧誘してます」が・・・(笑)

私が言いたい事は「輸血の問題」です
「血を避けよ、と聖書に書いてあるから」の、一点張りの主張
それによって、手術や救命の措置が取れないという
命に関わる問題を、イエスが言ったから・・・
ウソでしょう
そもそも聖書に書いてある「血を避けよ」が
何故輸血禁止になるのか?
理解できません
イエスキリストは、人々を救うために十字架にかけられた
そのキリストが、
「人の命を危うくするような教義」を後々の人に伝えるはずがない
これが、私の主張です
あくまでも救世主なのであれば、その人が後の人に
難儀するような命題を残すはずがないではないですか

と、サブの人が言うには、
「キリストは血を避けよと言って
その後に私の血を飲めと言った」そうな
その大いなる矛盾に際して、その意図は何か
つまり、ここからが輸血の問題と関わってくるとか

私曰く「どうせこじつけか、トリックでしょう」
エホバの証人「違います。それを今度来た時にお話しします」
私「もう、結構ですから。今度、はなくていいです。
今度来たら、居留守を使いましょうか」(笑)
私「輸血禁止がなければ、もっと信者が増えるのではないですか?
大体あの優しいキリストが、信者を困らせるような事を
後世に残すはずはないと思いますよ。
これは、私の直感です」

エホバの証人「では、殉教に関してはどう思いますか?」
私「殉教には反対です。あんな可哀想なことはとても認められません
生贄も同じです
イエスが殉教しろと言ったのですか?
そんな事は絶対に言わないと思います」
エホバの証人「イエスは人の為に死にました」
私 「イエスは人の為に死にましたが、人にそうしろとは言わないと思います」

私はキリスト教に詳しくないですし、聖書も読んでいませんが
そのキリストの人となりは想像がつきます
釈迦もそうですが、大体が宗教の元祖?教祖なるものは
人格者のはずです、多分       
ですから、イスラムのジハードなるものも、
元の意味とは違うと思います
そんな馬鹿げたことをいうはずがありません
本人の頭がおかしくない限り
キリスト教もイスラム教も、他の宗教も皆
人を救う為に始めたものでしょう
それが、どこの宗教も権力争いや、戦争の火種となっています
ここから、つまり、元からの宗教の本来の意味が
後世の人の権力欲や支配欲によって歪められた結果の現状でしょう

昨日テレビで「サモトラケのニケ」の話をやってましたが
あの像は、バラバラに解体されてあったそうです
それをやったのは、キリスト教徒だそうな
ISISが、偶像崇拝撲滅と称して、大事な文化遺産を破壊したのと
全く同じではありませんか
非難できた立場ではないですね
呆れますが

で、エホバの証人の人が、「ネットをおやりなら調べてみて下さい。
うわさ話などではないものを」
と言ってましたが、昨夜検索して目に入ったものは
「危険」の一文字でした
つまり、洗脳です
そして、エホバの証人に入っているのは殆どが主婦で
その人達は、訪問勧誘のノルマを課されているそうな
その為に外出の時間を割かれ、家庭が揉め事を起こすそうです
そして、離婚も多いとか
私はたまたま昨日、ノルマのようなことについて聞いてみましたが
「そんなことはない、自発的にやっている」という意味の事を言っていました
ですが、メインの勧誘の方は、表情が暗くなっていってましたし
多分私のところへ来るのも大変になっているような気がしました

相手は巧みに私のことを褒めます
そして、何を言っても「いいんですよ」と言ってますが
私は、歯に衣きせずではありませんが、率直に言っています
キリスト教がいかに酷い事をしてきたか
又、バチカンなるものも権力欲などにまみれていること
そして、私が知識として知っている「ブラザーサン・シスタームーン」
という聖フランチェスコの映画について言ってみましたが
その映画は知らないと
ドノバンの歌が当時ヒットしましたが、
その映画の一部をユーチューブで見ることが出来ました
貧しい貧しい身なりの聖フランチェスコが
バチカンに行って法王と謁見する
彼らに会った法王は何を思い、何をしたか
汚れない、その精神と行動に対し、跪いて足にキスをしたのです

話は逸れましたが、主人に少し話しましたが
「エホバの証人の人達は、何を言っても、ああ言えばこう言うで
頭が固くて何も考えを変えようとしない」と言ったら
「あれは、原理主義みたいなもので、聖書の中の
ああ書いてあるから、とか言うことの一点張りだから」と
その聖書も調べてみたら「エホバの証人に都合のいいように書き換えた聖書」
なんだそうではないですか
で、「聖書について学びませんか?」と言って誘うんだそうです
ところが、その聖書が胡散臭い代物で、他のキリスト教は認めていない
カルトだというように捉えられていると
で、知識のない私が何か言っても、結構他の事は知らないのです
つまり、エホバの証人関係の話だけ詳しいんですね
一般的な知識とは別のようです
関心がないみたいです

まさに、カルト宗教の勧誘に間違いありません
私が洗脳されそうになった、というのは
エホバの証人の話に乗ったわけではなく
あたかもエホバの証人の人達が、
正しく宗教として勉強をしているかのように見えた、という意味です
ですが、総合的に見てみると、そこしか見えてないのでは
まさに「嵌ってしまっている人達」ではないかということです

信じていると幸せが来るんだそうです
そして、終末思想を言って、安心したくはないかと
私はそんなに長く生きないから、大丈夫ですよと
そして、子孫がいない分、心配をしなくて済むと
あなたにお子さんはいますか、と聞くといるという
そっちの心配をしたらどうかいな、と思いましたが
聞き忘れたことは、その子供はエホバの証人についてどう思っているのか
又、そのお子さんが輸血を必要とした場合、やっぱり拒否するんでしょうね
ただ、年齢を聞いたらお子さんは成人していたので
自分の自由意志で決められるので、
そっち方面の心配はしなくてもいいかも知れません
もう来ないでと言ったけれど、メインの人は確かに疲れてきたみたいで
もう、諦めて来なければいいのにね
ああやって、洗脳される人もいるので、諦めないのか
あるいは、増えてるとかいう信者(本当かどうか不明)を
もっと増やしたいのか
ネットに書いてありましたが、そういう「王国」を作りたいんだそうです
結局はそこら辺に落ち着くのではないでしょうか

で、何故私がこの人達と話をしているのか、
カルト的宗教勧誘に乗るはずはありません
では、何で?
どうも、私は、まさか、ですが
彼女らを洗脳から解きたい、とか思っている可能性もあります
無駄な努力ではありませんか
でも、多分彼女らの言動の納得行かない部分を言って
彼女たちの目を覚まさせたいとかいう、傲慢ではなく
己を知らずというか、多分「話せば分かる」とかいう
正常な感覚で思っている可能性もあります
そんな私に一言「甘いのではないですか?」の言葉を
自分から自分に進呈したいと思います
-------------------
ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
15/01/20
15/01/27
15/02/24
15/03/10
次はあるでしょうか?
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