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民主主義のルール破壊 「戦える国」に変質 志田陽子

2016-04-19 14:18:45 | 平和について
言わねばならないこと 71 東京新聞 16年04月19日付 朝刊
   ~~~ 9・19を忘れない ~~~

   民主主義のルール破壊  志田陽子

 ナチス・ドイツは戦前、国家の意向に合わない
芸術家の作品を集めて退廃芸術展を開き、
「独国民にふさわしくない作品だ」として
さらしものにした。一九五〇年代に
レッド・パージ(赤狩り)があった米国では、
政府にとって好ましくない価値観を持つ人の名が
集会で取り上げられた。
対象となったのは報道メディアや映画人だった。

 卒業式で国歌斉唱しないと述べた大学の学長が、
文部科学省から「恥ずかしいと」批判される。
政府にとって困ったことを言う報道番組は
与党議員に批判される。やりかたはソフトかもしれないが、
独や米であったことと本質は同じだ。

 国民が真に望む事柄であれば、
現憲法との同一性を破壊しない限度内で憲法を変えることは
憲法自身が認めている。しかし、その前提として、
自由な言論が保障され、ひとりひとりが
自律的な判断をできる環境にあることが必要だ。
言論の自由がない状態で投票が誘導されれば、
それは民主主義とはいえない。

 公権力は圧倒的に強い。しかし、批判が高まれば
選挙を通じて政権はひっくり返る。
これは民主主義のプロセス。時の政権が政権交代を恐れて
批判を封じるのは、自分たちが選ばれていることの
正統性を否定することになる。

 安全保障関連法の成立の仕方を
「クーデターだ」という憲法学者もいる。
立憲的・民主的なプロセスを外した「ルール破壊」が起きたと。
今の言論環境のまま改憲に進むなら、
その延長線になってしまう。
ましてや改憲議論が本格化すると、言論環境は
もっと厳しくなるだろう。
だからこそ、いま言わなければならない。

     
憲法学者 志田陽子 さん
 しだ・ようこ 1961年生まれ。
武蔵野芸術大教授(法学)
表現の自由や著作権法を中心に、法の問題を研究。
   ------------------------------
以上、今朝の新聞記事からです
戦後70年を過ぎ、あれだけ戦争を拒否していた日本が
そして、言論の自由はもはや当たり前のものと
なっていたはずなのに、あれよと言う間に、
言論統制の話が出てくることに
まるで夢を見ているような気がします
これが民主主義国家ですかね?
現憲法はアメリカからの押し付けで、
日本が作ったものではないから改憲しようって?
日本が作ったらどんな憲法になっていたのですかね?

安倍総理は、自身が敬愛する祖父の
岸首相でも言わなかったようなことを平然と言う
もう、無茶苦茶でんがな、という気しかしません
安倍首相は「独裁者」の姿勢です
日本には民主主義は根付かないのかもしれない

日本人の体質そのものが、軍隊主義なのではないかとさえ思います
柔道界・相撲界等のあらゆる体罰、暴力体質
部活による教師からの殴打に起因する生徒の自殺
自衛隊内での虐め自殺、
その他もろもろの体罰主義、これらは
軍隊におけるそれと性質は同じです
だから、安倍首相の独裁感覚にも緩いのではないのかと思います
国民の中に、そういうものがある限り民主主義は根付かない
日本人って、そういう民族なのでしょうか?
コメント (8)
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