今年、天皇皇后両陛下が広島を訪問される。
と言うことは知っていた。
が、それが今日明日とは!
数日前に知った。
本日、循環器の受診日。重なった。
交通規制の嵐。
実家が平和公園に近いのでオバマさんのときもそうだったように
入れない(住んでいると言えば入れる)
明日も交通規制。
多分泊まるのが、これまた実家近所のリーガかな?
でも、警備がたやすいのはプリンスかな?
心して動かないと・・・
宿泊も昼食も両日リーガのようです。
今年、天皇皇后両陛下が広島を訪問される。
と言うことは知っていた。
が、それが今日明日とは!
数日前に知った。
本日、循環器の受診日。重なった。
交通規制の嵐。
実家が平和公園に近いのでオバマさんのときもそうだったように
入れない(住んでいると言えば入れる)
明日も交通規制。
多分泊まるのが、これまた実家近所のリーガかな?
でも、警備がたやすいのはプリンスかな?
心して動かないと・・・
宿泊も昼食も両日リーガのようです。
事件現場は広島市内でも有数な桜の名所で起こりました。
本当に悲しい事件でした。
広島市中区の京橋川の土手で息子=当時(55)=を絞殺したとして、
母親(80)=中区=が殺人罪で起訴された事件は発生から1カ月余りがたった。
アルコール依存症や重度の記憶障害に苦しむ息子の将来を悲観した末の犯行とみられている。
親族が中国新聞の取材に語った。
■責任感と老いと
この事件が起きた原因は、アルコール依存症に息子の記憶障害と、80代という親の年齢だと思う。
もう一つは母親としての責任感。人一倍、強い人で、一人前に育てられなかった責任は自分にあるんだとして
「息子1人を残すのは忍びない」と言っていた。
心臓の持病があり、薬を服用していたが息子に寄り添っていた。
元気な時に40キロ以上あった体重は35キロほどに落ちたらしく、
ストレスと心労でそうなってしまったんだろう。
■酒に弱い体質
息子はもともと酒は弱かったが、勤めていたホテルでの交代勤務に合わせて寝ようと缶ビールを飲むようになり、
深みに入り込んでいった。依存症を患ったのは十数年前。
その頃は個人タクシーの運転手だった。依存症になってからは入退院を繰り返し、
症状は段々と悪化。暴言を吐いたり暴れたりは一切ないが、体が自由にならなくなる。
歩くのもままならずに苦しくなる。それがひどくなったら入院した。
退院したら夜中でも飲みたくなると買いに行っていた。
■母親は断酒会にも行った
両親が止めても飲んでいた。母親は夜中に息子が酒を買いにいけないように、
寝袋をげた箱の前の通路に置いて寝ていた。
母親は専門病院の断酒会に1人で月に1、2回行っていた。
別の広島市内の断酒会にも通っていた。
「私だけじゃ意味がないから一緒に行こう」と息子を誘っていたが、息子は嫌った。
自分が責められているような雰囲気になるのがたまらないんだろう。
■時に変化の兆しも
息子は去年の夏ごろから今年の正月にかけて、個人タクシーで一生懸命働いていた。
正月にある駅伝を見るのが趣味で、この半年間は「やるときはやるんじゃ」と働いていた。
ただ、1月に自宅のベッドで苦しみ、救急車で運ばれた。
入院先で依存症による記憶障害が分かった。
これでは車の運転も難しく、仕事はできない。
母親は息子が生涯入れる施設がどこかないかと、電話したり人に聞いたりして探していた。
ただ、納得するような施設が見つからなかった。
症状は改善せず病院にも「回復は難しい」と告げられた。
母親は父親に「退院させてどうなるか見てみよう。
手に負えなくなったら自分が責任を負う」と言って退院させた。
「だめなら自分は考えがあるから」とも父親に言っていた。
退院したのは5月2日だった。
■そして、あの日
5月5日、息子は朝から「酒を飲みたい」とせがみ、自分の部屋と居間を出たり入ったりしていた。
母親もずっと悩んで決心したんだと思う。もうここまでだと。
母親が息子に「私らが死んで施設や病院に10年、20年、一人で暮らさないといけない。
面会する人もいないから寂しいじゃろ」と言うと、
息子は「それはない。お母さんが死んだらその日に死ぬ」と言っていた。
母親はそう言わせるまで面倒を見ていた。
息子も母親がどれだけ苦労しているか分かっていたと思うが、
今回の事件に遭うとは思っていなかっただろう。
でも高齢の親にはもう時間がなかった。
今日しかない、これを逃したら先がない、と自分に言い聞かせて決心したんだと思う。
母親は息子に「気が済むまで飲ませてあげるから、花見かたがた酒を飲みにいこう」と誘った。
息子は「死んでもいいから飲みたい」と言った。
2人は午後3時半ごろ、家を出て行った。
計画的にこの日に事件を起こすつもりではなかったと思う。
冷蔵庫には、息子が好きな牛乳や焼き肉用の牛肉を買い込んでいた。
白島九軒町の土手の近くには母親の両親の墓がある。あの周辺には詳しかった。
■家族の苦しみ
罪は罪だから今回の事件は許されるものではないが、
母親が依存症のためにどれだけ苦しんだかを世間の人には分かってほしい。
どんなに恐ろしい病気か。依存症でどれだけの人が苦しんでいるのか。
父親は事件後、警察で息子の遺体と対面した。
息子を抱きしめて「お前がの、親がなんぼ言っても酒を飲んでこういう風になった。
恨むなよ、親を恨むなよ」と頬を付けて謝っていた。
「親の責任を全うせんかったの、ごめんの。お母さんを恨むなよ」と。
世の依存症の人や家族にこういう悲しみに遭わせたらいけないですよね。
読んでただただ涙が溢れました。
私の父親はアルコール依存症でした。
家族は毎日地獄の様でした。
親から見る我が子となれば突き放すことはできず、
苦しかったことでしょう・・・
話をすればするほど絡まる糸。ほぐしようが無い。
過去30年の間に彼が私にした悪いこと、私にしなかった良いこと。
その殆どを丁寧に話した。
彼は全く覚えていなかったし、それがどうして良くないことなのか分からないと言った。
その過去の失敗を今も繰り返すから情けないのだと言っても伝わらない。
どうして理解してもらえないのだろう・・・
私は考えて考えてこんな感じだ。と思った。
1+1は2だと分かる。
10+10は20だと分かる。
じゃ、100+100は?と聞くと「分からない」
と答えられてしまう
私は必死で理解できるように説明する。
しまいには、石を200個持ってきて一緒に数えようとする。
でも、彼には理解ができないらしい。
私も彼がどうして理解できないのか頭を抱える。
そんな感覚
「バラ」という漢字を書いてみてというと「薔薇」とすらすら書いたとする。
凄い!私は書けないよー凄いなーと思うし得意なのだと思う。
で、ある日「“ごんべん”に川って書いてなんて読むんだっけ?」と質問する
すると彼は「“ごんべん”?なにそれ」と返してくる。
「いや“ごんべん”は“ごんべん”よ」と言っても分かってくれないから
「言」と書いてみせると「あーそれは“いへん”っていうやつだよ」
と返される。
不思議に思う私は「いや、これは“ごんべん”でしょう。そう習ったでしょ?
普通一般的に“ごんべん”と読むよ」と言うが
彼は「いや、「言」は“いへん”だ!」と言って譲らない
そんな感覚
上記のことをまるまる言ってみたら
彼の頭の周りを「?」マークが何個も飛んでいた。
このたとえ話も理解できないようだ。
100%私が正しいとは言わないし生まれたばかりの赤ちゃんに理解しろと言わない。
痛くて辛い。と言うと「痛い」のはわかるけど
どうしてそれが「辛い」のかが理解できないような様子というか・・・
もうお手上げです・・・
かなり高度な「しらないふり」をしているのか?
名俳優なのか?理解できない風の演技なのか?
気が付いてハッとした。
彼はそういう特性の人なのかもしれない
でもね、でもね、人のことは分かるんだよ。
「あの人、辛い経験したんだね。そりゃ辛いよね」なんて言うのだから・・・
だから私のこともわかるでしょう。と思うのだけど
それとこれは違うのか・・・
ちょっと一人になって考えたいからしばらく離れて暮らせないかと提案したら
「別に一緒にいても考えられるでしょ」と言われる。
「いや考えられないから離れてお互い考えよう」と言うと
「俺は別に考えることはない」と言われる。
私が出ることができれば、いいのだけど兄には晩御飯を作ってやりたい。
実家に作りに行くこともできない。
どうすればいいのだろう・・・
一番の近道は私がすべてを諦めること。
それしかないのか?
じゃ私のこのストレスで壊れていく体はどうすれば・・・
そんなのなんでもっと早くに分からなかったの?
と思われるでしょうが、とにかく30年間一日2時間程度しか
動いている姿を見たことがなかったし「仕事が大変」と
言われると何も言えなかったし、「分かっていてくれる」
と思い込んでいた。それが定年後、時間ができて
話をすると「え・・・そんな・・・」ということが
出るわ出るわ。という悲しい現実。
二人で培ってきたものなど何一つない・・・
それは十分わかってる。
こんな私(心身ともに健康じゃない)で申し訳ないと思います。
でも「そんなに体が弱いと思わなかった」と言われれば
傷つく。好きで病気なる人はいない。
ただ私はやっぱり私のテリトリーに入って欲しくなかった。
私のペース、私のリズムで強迫と戦いながら生きてる。
多分、強迫性障害のことはこの病気に罹患している人じゃないと
理解は難しいと思う
「潔癖症でしょ」いえいえそんな簡単なことじゃなくて・・・
小さな不安がどんどん大きくなって大きな山になって押しつぶされそうになる。
もう、自分でも面倒くさくって仕方ない。
そうじゃない側にいたら、とても理解できないし苛つく。
強迫性障害以外は全く正常な思考をしていると思う。
人様に迷惑をかけてはいけないと
気遣うこともしながら普通に生きていると思う。
いつも一生懸命にしてしまう私。生きるだけで息切れする・・・
他力本願で一生懸命にしない(見えない?)夫が嫌なんだと思う。
裏を返せばうらやましくて腹が立つのかも。
耳障りの悪い正しいことを言う人と関わり大人になった私。
耳障りの悪い正しいことを言う人を避けて大人になった夫。
70を過ぎたいい大人の耳にはもう何も入るまい。
60を過ぎたいい大人は生き方を今から変えろと言われても無理なことだろう。
決して楽しい内容ではありません。
リダイレクト機能は使っていないので、
こちらに書いたブログはあちらには反映されません。
今、私は使い分けをしています。
私の心に必要なので、そうしようと思いました。
あちらのブログはこれから将来に向けて進んで残っていくわけで
こちらは、いずれ消えていく。
今の私の負の感情をできることなら残していきたくないと思うのです。
だからこの秋には消えるこちらに。
誰にも言わず黙って、感情を閉じ込めておけるほど私は強くないのです。
本当のことを夫に言っていません。
「あーだから、こーだから」とやたら小さなことを夫に言っていますが
究極の言葉を言っていません。
夫にすれば、どうしてそんなに私が怒っていたり悲しんでいたりするのか
分からないでしょうし、その深さを知るよしもないです。
「あなたが定年退職して共に過ごす時間が長くなり
私はとても辛いです。食事ができなくなって
1年で15キロ痩せました。常にめまいや頭痛。
胃潰瘍と十二指腸潰瘍と過敏性大腸炎を繰り返しています
そして、2年目にはストレスから心臓も悪くなりました。最近うつ病も悪化しています。」
妻からそう言われたらどうでしょうか?
立ち直れないと思います。
死刑宣告ではないでしょうか?
本人は自分が原因で妻がそんなに苦しんでいると夢にも思っていないのです。
距離を置いた方が良いと思い、
別居を提案しましたが、
「年金だけの収入しかない。
貯蓄を切り崩してまでそんな無駄なことをする必要ない。
俺は自室にいるし、飯も作らなくて良い、
洗濯も自分の物は自分でする」
と言います。
そんな・・・
私が放っておくことができると思っているのでしょうか?
自分だけの洗濯物や食事を素知らぬ顔で、できると・・・
私は家事をしたくないと一度も言っていません。
夫の収入(年金)で生活をさせてもらっているのですからするのは当たり前です。
私は、お互い姿が目に入らない場所で、自分のペースで生活をして
これからを見つめ直そうと言っているのですが、意味が分からないようです。
数日前のこと事件が起きました。
花壇に誰か酔っ払いが嘔吐していました。
此処の花壇は外部の人間が自由に出入りできるので嫌だけどあることでしょう。
それを気づき私が処理しようと思っていた矢先
夫がホースの水で花壇の中に嘔吐物を散らばせていたのです。
それを知った私は怒りしました。
排水設備のあるコンクリートのうえなら、まだ分かります。
だって土の上ですよ。
普通、そのものだけを排除しませんか。
どこの誰の汚物をいうなれば花壇に混ぜ込んだのですよ。
その後、気持ちよく花壇の手入れができますか?
そりゃ、猫さんが排泄もするでしょう。分かっています。
牛糞堆肥だって馬糞堆肥だって使います。
でも、それとこれは別のことです。
私が見つけたこと、私が始末すると伝える暇もなく。のことでした。
どうしてそんなことをしたのかと聞いたら
答えは「別に・・深く考えていなかった」でした。
いつもいつもいつも・・・・いつも
夫の答えは「深く考えていなかった」です。
なぜ行動する前にちょっと考えられないのでしょうか・・・
何度も同じことで私に怒られます。「考えて」と怒られます。
夫はいったい何度やけどをすれば気が付くのでしょうか
言われる方も嫌だと思うんです。私は同じことを二度言われるのは嫌です。
子供でも一度やけどをして痛いと思えば火の扱いを考えるものだと思います。
夫にとっては軽い水ぶくれ程度のやけどなのでしょうか
段々と低温やけどのように皮膚の奥まで損傷するほどのやけどに
変化していることにどうして気づかないのでしょうか・・・
うちは普通の夫婦と少し違います。
夫とは付き合っているときも同棲してから、
そして結婚して定年を迎えるまで1日2時間程度しか
姿を見ていませんでした。
夫は自由な人でした。いつも家にいませんでした。
さして、会話をすることもありません。
時々起こる問題で言葉が矛盾しているな。とか、態度が冷たいな。と思っても
「いいや、ちゃんと考えていてくれる」そう信じて
目を瞑って30年(+5年)が経ちました。
10歳近く年上なのですから、それだけ私より回数多くご飯を食べています。
経験値はあるだろうと思い、尊敬していました。
が、メッキだったようです・・・
本人も認めています・・・
ちょっと聞きかじったこと私に話す程度の知識しかないのにね
夫自身が調べたり勉強したり経験したりしたことではなかった。
それなのに、夫の話しぶりにすごいんだと思っていました。
私の落胆は怒りへと変わっていきました。
定年後、夫がずっと家にいる。
サラリーマンの家庭では普通のことです。
いづれ慣れる。私もそう思っていましたが
どんどん日々しんどさが増し増しなのです。
そして、ずっと怒っているのならまだいいのです。
なぜか夫が家にいると訳もなく涙がでて止まらないのです。
自分が情けなくて・・・仕方がないのです。
だって選んだのは私、途中でやめなかったもの私
自業自得なのですから。