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まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。広島弁がちょくちょく出ます。

兄、大学病院再診

2025-03-29 16:00:00 | family

 

「でも・・・ちょっとほかの件で気になるところがあるので

次回また、見せてください」

 

と医師に言われたのが2月14日

それが何を指しているのかすぐにピンときた

 

舌先にある白いもの

 

これは、多分8年前ぐらいから存在していた。

当時私も気になったので、どうしたのか聞いた。

そのとき兄は、「何度も同じ場所を噛む」と言っていた。

一度、舌がちぎれたんじゃないかと思うくらい酷く噛んで

それから白いままだと言うが・・・

 

 

歯科の受付に行く前に椅子に座って兄に話した。

「あのね、お兄ちゃん舌先に白いのがあるでしょ、それを前回

ここに来たときの帰りに先生に気になるところがある。って

言われたんよ。それはもしかしたら・・・白板症で舌がんになる可能性があるかも

っていうものなのかもしれない。」と伝えてた。

続けて、「でもね、これまでいろんな歯科医や去年、喉を診てもらった

耳鼻科も大学病院の耳鼻科の医師、みんな見えているのに気にしてなかったから

そんな深刻な物じゃないのかもしれないけど」とも言った。

 

午後も最後の時間帯なのであまり待つことなくに呼ばれた。

今回も間髪入れずに「妹さんはこちらでお待ちください」と

言われた。受付で付き添いを言っても伝えられるようなシステムじゃない感じ?

待つ時間は長く感じるもので・・・

ほどなく出てきた兄に聞く。

「親知らずのところの傷口はきれいになっとるんと、顎もしっかり

口が開いとるけぇ、いいじゃろう」と。

「ベロの白いのは?」「分からんけど取るんなら5月までなら紹介状が

どうたらこうたら~」

意味分からない・・要領を得ない・・

そこへ先生がでてきて、

「舌の先のは、問題ないかとは思いますが取ることもできるので

検討してみてください。5月までなら今回の紹介状で手術できますが、

それ以降はまた、紹介状が必要になります」と言われた。

 

結局は「瘢痕」だという結論になった。

 

 

やれやれ・・・・

とりあえず、終わった。

 

1月の終わりに抜歯して、そこから始まった兄への心配事。

 

私はとにかく物事を悪い方へ悪い方へ考えるので、

正直、精神的には、かなり参った日々だった。

 

カレンダーの28日に書かれた「大学病院16:30」その文字を見るたび

ため息が出た。胃が痛くなった。帰宅後、そこに大きな花丸を書いた。

 

元気でいてくれる。それだけで有り難い。いや、それが一番有り難い。

 

 

 

歯科の前に飾ってあった。お題は、「猫祭り」かわいい

 

 

 

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お疲れ様です、兄上

2025-03-06 22:44:34 | family

1年以上かかった兄の現場が昨日で終わった。
今回は本当に長かった・・・
本格的に大変になったのは、昨年兄が急病で入院し退院後すぐから
私は病み上がりの兄の体が心配で心配で・・・
兄の会社の社長の奥さんと話をしたり長男(次期後継者)と
なんとか兄を休ませてほしいと話をしたりもした。

会社だけの問題じゃない。
兄自身の問題でもあることは承知している。
発達障害のある兄は集中をしてしまうと妥協ができない
だから、いくら会社の方から「今日は早く帰ってください」
と言われても「ここまで、これだけ」と夜中の1時まで
翌日の工事に必要な部品?を作るらしいのだ。
それが他人が作ってくれていても満足できないものだと
自分が作り直すらしい。
今回の現場は、兄と経験の浅い次男とふたり
だから実質、兄一人のような状況だったらしい。

ようやく目途がつきそうになったころ、長男と話した時
「お兄さんには本当に無理をしてもらっています。申し訳ないです。
今回、ちょっと大きな現場で・・・」と聞いた。
技術的に兄でないと無理な現場なのだと聞いた。

どうか、無事で帰ってきますように・・・
毎日祈るような気持ち。いくらコンビニで早い時間にお弁当を買って
食べてほしいとそうしたら帰ってお風呂入って寝るだけですむ
と言ってもおかずを取りに来るから・・・
余計睡眠時間が少なくなる。
そこにきて、今回の抜歯による開口障害でご飯が食べられない期間があった。
正直なところ、心配から私も体調を崩した。

電気工事は足場とか内装とかの他の業種と違って、最初から最後まで関わるらしい。

とにかく、とにかく終わった・・・
お疲れ様、お兄ちゃん。

あまり聞かないけど今回はどこの現場だったのか聞いた。
公民館の新築工事だったらしい。

ネットで見つけた画像には

施工事費 8億7200万円 と記載されていた。

兄の会社には大きな現場だったようだ。


お兄ちゃん、よう頑張ったねー

 

 

でもね、もし私がこの建物の近くを通ったら
お兄ちゃんがした仕事だと思うと嬉しくなったりするのよ、きっと。

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兄、続き

2025-02-16 14:00:32 | family

私はブログを書くのにとても時間がかかるので目がとても疲れてしまいます。

二日に分けて書くことを許してください。

9時の予約に間に合うだろうか?イレギュラーなことが起きないだろうかと

不安になるので、寝つきが悪く3時間程度しか眠ることができない。

5時間も前から起きて心の準備をする。

そうなると自律神経がひどく乱れるので動悸が激しくなり息苦しい感じ

いやいや、私がしっかりしなければ と喝を入れる。

兄は軽度の発達障害があるので物事をうまく説明をすることができないから

かかりつけ以外の病院には私が付き添うことにしている。

歯科の先生からも同席を勧められる

広島大学病院

この大学病院というところはできれば一生縁がなく生きていきたいと

思う病院であると私は思う。

大学病院という響きがとても怖い。

広島大学病院は「医科」と「歯科」があるのねー

3階のフロア半分が歯科なので広いし医療スタッフの数が多い。患者より多いかも。

1時間半くらいで呼ばれた、まず研修医による問診があり、このときは同席できた。

問診中にフロアの先のほうで大きな声で説明をしたり指示する女性の声が聞こえた。

しゃきしゃきしているけど、テキパキだけどキツそうな?

多分、ドクターだな。彼女が担当医だと嫌だなと思った。

が、そうしたもので彼女が担当医だった。

兄とそろって立っていると私に

「ご関係は?」と質問され「妹です」と答えると

間髪入れずに「では、妹さんはあちらの長椅子でお待ちください」と言われた。

かかりつけの歯科医からの同席の件を伝えようにも言うタイミングは一切なかった。

ちゃんと説明できるだろうか?大事なことを伝えられるだろうか?

と思ったけどもう仕方ない。

しばらくするとフラッシュが光り口の中を撮ってるようす。

それから、放射線科にレントゲンを撮りに行き、また戻り診察。

数分で出てきた。

「ちょっと開口障害が長いんですけど、顎の関節には異常はないので時間が経てば

開くようになると思われます」短く言われた。

説明が終わってしまったので、

え?肝心の黒い影は?と思い

「先生、あの、黒い影は?どうなんですか?」と聞くと

「あぁ、問題ないでしょう」

え?何がどんな風に問題ないの?

例えば黒く写ったのは○○でとか○○のせいでとか説明はないの??

だから「え?じゃ大丈夫だということですか?」と聞くと「そうですね」と答える。

腑に落ちない・・・・どうも腑に落ちない。

詳しく聞きたいけど、もう次の患者さんに取りかかっているので呼び止めることもできない。

今回、大学病院を受診するにあたり私が見たレントゲン画像なども持参していないので

現在の患部と比較することはできないけれど、当日撮ったレントゲン画像には少なくとも

問題となるものは写っていないということなの?

もしかして・・・・炎症??

炎症って黒く大きく写る? わからない・・・

かかりつけの歯科医が私に説明をしたときに2023年には何も写っていない

2024年にはとれたかぶせをつける治療しかしていないのでレントゲンを撮っていない。

そして今回2025年の親知らずが痛み、化膿をしていたときにレントゲンを撮った

その画像に黒い影があるのだ。大きさは親知らずを含めた3本分くらいの範囲

歯の根っこあたりに横長で。

歯科医が言うのは「以前はなかった黒い影があるのはおかしい」と言った。

それで大学病院で詳しく調べて診てもらってほしいということになった。

このことは紹介状に記載しているだろうからその辺も大学病院は

しっかり診てくれているとは思うけど・・・

なんだかすっきりしない気持ちでいる。

そして、大学病院では、「でも・・・ちょっとほかの件で気になるところがあるので

また、見せてください」と言われたので完璧に心が晴れたわけではない。

来月、再度受診。

安い。

それからテキパキ女医は助教授だった。

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兄、あれから

2025-02-15 15:54:49 | family

 

広島大学病院です・・・ 昨日、付き添って行ってきました

 

親知らずを抜いた歯科からこんなものをいただく事態となってしまいました。

 

 

もう・・・「口腔顎顔面再建外科」初めて聞くこの科の名前が恐ろしい・・・

 

遡ること二週間前の1月31日。兄は親知らずを抜いたところの抜糸するために歯科へ

開かない口を無理やり開けて抜糸終了。

1週間たっても口が開かない。開口障害というそうだ。

程度がかなり酷いらしい。

その夜、兄が私のところへ寄ったときに

「厄介なことになった。大学病院へ行ってくれといわれた」という

あぁ・・・・実はね、なんか胸騒ぎがしていたのだ、兄よ・・・

妹の勘は侮れない。

歯科医が言うには、この度抜いた親知らずの下の骨の部分。

左顎のレントゲン写真に黒い影があってその影がどうも気になる。

もしかしたら開口障害もそれからきているものかもしれない。と

黒い・・・影

本来は先週予約を取っていけるはずだったけれど2月3日から酷い風邪を引いた兄。

その状況で受診をするのはどうかと思ったので予約を1週間延ばしてもらった.

多分、これはコロナだったのだと思う。

会社の人が同時期に3人コロナになったからきっと。

でも、工期が迫っているので、病院へ行く時間もない。パブロンを飲んでやり過ごした。

だけど、私に移らなくてよかった・・・

私が寝込むと兄のご飯を作ることができない。ずっと毎日流動食のようなものを作っていた。

柔らかく煮込んで形のないのスープをスプーンで流し込む日々・・・ 働いているから休めないから食べさせたい体力は落としたくない

口は開かない、睡眠不足、寒い中外での仕事、風邪・・・ 寒波の時は何だか知らないけど呪ったわ

そして悪い病気かもしれない可能性・・・

もうね、本当に兄が可哀そうで仕方なかった。

こんなにいい人がどうしてこんなにつらい思いをするのだろうって不憫でならなかった。

小さい頃に父親から虐待を受けて、小学生からずっと虐めにあって

両親が離婚して母が病気になって高校を出てから今の電気工事の仕事して

お酒もたばこもギャンブルも何もせずただただ家のために働いて

恋人を作ることもなく結婚をすることもなく働いて・・・

 

でも、もしそうだとしたらどんな治療をするの?顔の形が変わるの?

いや・・・命は・・・だってリンパに近いじゃない

そんなことを考えだすと私の精神が参ってくる。

まだ何も分からないのに悪い方へ悪い方へと考えてしまう私の性格。

食べれないし眠れない ストレスは私の心臓に悪影響・・・

一度カウンセリング行った。だけど精神を落ち着かせる魔法の

言葉はカウンセラーからもらえなかった。あるわけないか・・・

 

私が紹介状をかかりつけの歯科に取りに行った。

その時に歯科医からレントゲン写真を見せられる。本当は凹むから見たくなかったのだけど

確かに、黒い影がはっきりと写っていた。

なにも医学的なことは分からないけれど絶望的な気持ち・・・

歯科医に聞いても仕方ない質問をする「悪性腫瘍などの可能性はありますか?」

「う~ん、気持ち悪い影よね」

 足がふわふわした。

 

こういった場面や言葉。自分自身でも「かもしれない」の経験は二・三度ある

でも、自分の時のほうがましだと思った。自分は仕方ないというか・・・

母の時も、年齢が80歳を過ぎていたので少し覚悟をしていた。

 

大丈夫、大丈夫、大丈夫 呪文のように呟く

 

兄には淡々と「2月14日9時に決まったから保険証と診察券とお薬手帳を持ってきて」

「仕事、行けるかどうかわからんよ、大学病院は時間がかかる」とだけ伝えた

 

 

 

 

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兄の様子、その後のその後

2025-01-29 16:40:26 | family

この次に兄のことを書く時のタイトルって

「兄の様子、その後のその後のその後」になる?(笑)

 

昨日はたまご粥を作って渡したけど水分が少なくてボテボテに

「なんなら水を足してかき混ぜてチンしてね。いつものくし切りトマトは小さめに

刻んでるからスプーンですくって食べてね」作ってすぐに食べられないから

仕方ないよねー

噛めない訳ではないから普通に炊いたご飯も食べられるけど

開く口のサイズに小さいご飯の塊にしてから食べると

時間がかかるし、スプーンで食べられる方が断然早い。

いまだ指一本分しか開かない口。

このままだと金曜日の抜糸って大変そう・・・先生もお兄ちゃんも

開かないお口、どうやって治療するの?

 

こうしてみると普通に口が開けられて食事ができるのは

有難いなーと思う。まぁ噛めることもそうなのですけど

となると飲み込めることも。

いやいや、普通のことって全てとても有難い。

 

 

そして、こんなのも、幸せの一コマ

こういうのいいなぁー

 

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兄の様子、その後

2025-01-27 21:19:32 | family

金曜日の午後から左下の親知らず横向きの埋まったまま(膿がたまり化膿している)を

抜歯した兄。

夜に来た時には、案外と元気そう。

「30分ぐらいで済んだ、抜いたところに薬を入れて?1針縫った」という

おかずに何を作って良いのか分からなかったので

セブンのかき揚げそばを「かき揚げが硬かったら残しんさい」と渡す。

それから食べれなかった時のためにカロリーメイトゼリーやバナナなども。

問題なく食べられたと聞き安心していた。

が・・・

次の日朝電話すると

昨夜とは打って変わって「口を開けようとすると顎が痛くて・・・

食事は全くできない」状態に。

夜来た時に顔を見ると左側がぼっこり腫れている。

まぁよくわからないけど想定内なのかしら?

 

液状の栄養機能食品やらプリンやら豆乳やらシフォンケーキのようなもの

でも、そんなものばかりだと腹持ちも悪いし野菜も摂れていない。

キャベツやニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、しめじの微塵切りベーコンなどなどを

いれてクタクタに煮込んだ野菜スープを作って渡した。

 

今日で3日目。あまり変わらずな様子。

「もう飯を食うのも嫌になるよのぉー」と言っている。

兄は辛抱人で「痛い」と言わないタイプ。

ロキソニンもなくなったというので、仕事抜けて歯医者さんに

行ってみたらと言ったがどうしただろうか。

私が気になるのが普通に抜歯したのならまぁね。と思うのだけど

化膿して膿がたまっていたというところ。縫って傷口を閉じると

膿の逃げ場所がないよねーと。

でも・・・でも歯医者さんだもの、それくらいのことわかってるよね・・・・・?

心配しすぎかな?

早く回復に向かってほしいな。

 

Threadsで見つけた画像

すっごい、ミィだわ。

 

 

 

 

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DNA

2024-05-11 22:40:00 | family

先日、兄に原付バイクのフロントバスケットの交換をしてもらった。
バイクの駐輪場所が以前は雨や太陽を避けられる壁があったのだけど
今は、吹き曝し状態で汚れるし日焼けするしで、フロントバスケットにサビがでてきた。
赤く縁どられたサビにどうもテンションが下がる。
バイク屋さんでつけてもらうと当然工賃を取られるので兄に頼む。

わずか5分程度で交換終了。
そもそも車やバイクをいじるのがすきなので、手際がいい。
私のバイクは、前後ライトもLEDに変えてもらったり
サイドスタンドも工作してつけてもらっている。

それにしても兄の車はいつもきれいにしていて
私のバイクは汚い
反省をしつつ、またすぐに埃だらけ・・・(;^ω^)

何でも簡単につくる器用な兄は、母似。

母は昔、庭に小さな池も作った。

穴を掘り四角く板を組んで、コンクリートを流し込んで
雨が降っても水が溢れないように上の方に
金網付きのパイプが差し込んであって
金魚は流れず、余分な水は外に流れるようになっていた。
母の傑作だったけど、近所の猫が金魚を時々持って行ってたので
金魚の数は一向に増えなかった(笑)

しかし、ネットで手軽に情報を得られる今と違う。
どこかで見てきたのだろうか?
あぁ聞けばよかったことが沢山だ・・・

昭和40年代だったので、壁も綿壁。
その塗り替えもやっていた。
DIYが好きな母だったなー

 

母のDNAは、すこしだけ私にも

 

兄に渡す朝食の卵焼き。

私は卵焼きを作るのが好き。
そして、それは甘すぎない母の味とそっくり。

「あんたに教えたことないのに、私の作るのと同じ味じゃねぇ」
と母も驚いていたな。

まぁ煮物も同じような味になる
だって、その味で育ってるんだものね。

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兄の会社へ

2024-02-08 14:32:05 | family
昨日は兄の会社に行ってきました。
出勤や退社時間の都合で事務員さんたちに会えない
兄の代わりに内祝いの品をお渡しする為です。

従業員12人、家族で営む小さな電気工事会社。
兄は勤続44年になります。
12年前に一度訪問したことがあって
その時は、母が退院をして自宅での介護が始まった。
兄にも協力してもらいたいので、
少しだけ会社にも協力をしていただけないかという
お願いをしに行きました。
当時から、夜遅くまで働いていたので
私が帰ったのち、母を一人にさせる時間を短くしたかった。

その時には応接室で短時間、社長の奥さんと
社長のお母さん(会長)と話をしただけだった。
今回は、事務所にお邪魔した。
社長の奥さん、長男ご夫婦、事務員さんがいらした。

社長の奥さんは、私よりひとつ上の61歳。
何歳でお嫁に来たのかは知らないけれど
お嫁に来たときから既に兄は会社にいたわけで、
その頃から事務を手伝っていたと思われる。
だから、長男も次男も三男も生まれたときから知っている。
兄からしてみれば、我が子のような感じ?

長男さんから
「仕事のことは勿論、車のことをすごく良く知っていて
何時も教えてもらっている。自分の父親(社長)よりも
尊敬をしている。」と、とても嬉しい言葉。
聞いたとたん涙がでた・・・
私からみると、本当に頼りない人見知りの兄が
慕ってもらい、頼りにされていることは
奇跡のようなことで。
母が聞いたらどんなに喜んだだろう。

兄のデスクを
「お兄さんの机が一番きれいに整理整頓されている」
と見せてもらった。確かに兄らしく美しい(笑)

長男さん(いずれ社長)が今の勤務体制も仕事の取り方も
無理がある、改善していかなければならないことは
重々承知していて一気には無理でも変えていきます。と。
公共工事を請け負うことが殆どで、受けて実績を残さなければ
次回の入札にも影響が出ること。これを兄も知っているから
黙々と無理をして仕事をこなすわけで。
兄が早く帰れないのは、勿論、莫大な仕事量があるけれど
兄自身、翌日の仕事の段取り準備に余念がなく、
時間がどんどん過ぎるということもあるわけで。
会社だけを責めることはできない。

いずれにせよ、今回兄が入院したことによって
激震が走ったようで、見直しは進んでいくと思う。

社長の奥さんが
「お兄さんは、妹さんが頼りだと思います。妹さん、
どうかご自身も体に気を付けてください。
お兄さんのこと本当によろしくお願いします。」
と何度も何度も・・・

きっと、兄を何十年も見てきて性格や特性に気付いている
のだろうなと思った。

会社に行ってみて良かった。
会社での兄の様子を知ることができた。
ある意味、兄の居場所なんだと思った。





我が家にあるたくさんの沈丁花、もうすぐ。







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退院しました。

2024-02-03 21:50:59 | family
1.2kgのエビピラフを食べて
お腹がはち切れそうになった。

夢を見て目が覚めました(笑)

どんだけ食いしん坊((´∀`*))ヶラヶラ


兄、本日退院しました。
主治医に「退院したいですか?」と聞かれて
ソッコー首を縦に振った兄です。
喉の腫れが元からその大きさなのかそうじゃないのか
今ひとつ微妙らしいのですが、炎症の数値も下がったので、
お許しが出ました。
でも、火曜日には再診なんですけどね。

これからの仕事の仕方(休日や残業)を会社と
話をしました。良い方向に継続されることを
望むばかりです。
兄には、「自分の身体を守ってやれるのは
自分だけなのだから」と念を押しました。




エレベーター。
三基あるのですが、一基だけビョンビヨンと乗っている間じゅう
縦に酷く揺れて恐ろしかったです・・・(´-ω-`)




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兄の様子

2024-01-31 21:35:15 | family
腫れはまだあるようだけど、痛みがだいぶん取れてきて
顔色も良くなってる。

今日、病室に行くと姿がない。
処置室に行ったのかと思っていたら、ディルームにいた。

入院後はじめてのコーヒーも飲んだ。
日に何度もディルームへ行くらしい。
現場から工事の指示を仰ぐ電話が頻繁にかかるらしく
その都度、対応している。

社長の息子が兄の現場をやっているらしいけど
まだまだ、経験が浅い。
分からないことが沢山あるらしい。








いま、兄が入院している大学病院のすぐそばには
私が卒業した高校がある。

昨日、窓から校舎や校庭を見つけた。
学校は好きではなかった。
友達がいるから行くけれど、それだけ。
高校生ともなると、こちらも段々と大人になるから、
教師の人間性とかズルさとかが
垣間見えてしまい・・・ウンザリしてた。
素晴らしいと思える教師は残念ながら一人もいなかった。
どうして一人もいなかったのだろう・・・

生徒会長のチャコなどは媚を売るのは大事なことと
私に言ったけど、そんなことは死んでもできないと跳ねのけた。
そんなチャコもちゃっかり煙草を吸って彼氏もいた。
まぁ実際・・・私の停学回避は、
チャコに助けてもらったわけだけど(笑)

卒業後、チャコは短大に行きミス広島となり、後に付き合った彼氏と
300人の招待客を呼び盛大な披露宴を開いた。
私は小さく見える花嫁さんを見ながら伊勢海老をパクついた。
未婚女子は、皆、振袖、天井につきそうなウエディングケーキ、
大量の引き出物、懐かしい昭和時代。

要領の良かったチャコも今はふっくらとしたおばあちゃま♡




前方に見える山が「比治山(ひじやま)」
岸田総理大臣の自宅があります。
向こう側の斜面にあり、土砂災害特別警戒区域に入っているようです。
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