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「ひいちゃん」のお誕生日! ~誕生からを振り返る?①~

2011-08-28 23:24:18 | 育児

 そんなこんなで8月3回目のお誕生会は長女「ひいちゃん」5歳のお誕生日であります。
 先週の「みいちゃん」のお誕生日はミッキーマウスのアイスケーキだったので、「ひいちゃん」の第2希望プーさんのアイスケーキであります。

     

 アイスケーキも、そのあとのドライアイスのブクブクも、毎度のことで食傷気味ではありますが、「ひいちゃん」にとっては年に1度のお誕生日。今日から5歳だという年齢の切り替えも充分把握できる年齢でして、「しっかりもののお姉ちゃんに育ったな~」と感慨深い想いがアタシの胸にこみ上げてきます。

 

 このブログを始めた2年10カ月前、まだ「ひいちゃん」は2歳2カ月でありました。逆に言えば2歳2カ月以降の「ひいちゃん」の成長はこのブログを遡れば判るのでありますが、それ以前のことはブログには記録されておりません。

 と、いうわけで5歳の節目のお誕生日に、「ひいちゃん」の2歳までのことをちょっと残しておこうと思います。

 アタシとママが入籍したのは2005年の9月22日。
 う~ん、ちょっと前のことと思いつつも平成17年なんてかなり前のことのようになってしまいました。だってまだ小泉総理の頃ですもの。それから…安倍、福田、麻生、鳩山、管…と続いてもうすぐ野田総理になるようですので、そりゃ~大昔みたいなものですね。

 もちろん入籍当時は妊娠などしてなくて、ママはまだ救急外来で交代勤務をしておりました。年度末の3月にそこを退職して、4月に披露宴をやり、新婚旅行に…と予定を立てての入籍であったわけです。

 ちなみになんで9月22日にしたかといえば、『記念日は1年の中でバラけていたほうがいい』というアタシの発案で、アタシの誕生日(5月7日)とママの誕生日(2月8日)から一番遠い日を結婚記念日にしようと決めたわけです。お彼岸の最中になっているのはそのためです。
 11月22日が"いい夫婦"というゴロ合わせであれば、9月22日は"苦しむ夫婦"とか"苦労する夫婦"みたいなゴロ合わせになり、「最近、なにかと大変なのは結婚記念日のせいなのかな~」なんて思ったりして、もうちょっと良く考えれば良かったと反省しております。
 ふ~っ…

 

 で、披露宴や新婚旅行の予定は4月と決まっていたのですが、予定外だったのは12月に妊娠が判明したこと。
 アタシもママも子供を欲しいと思っていたので、嬉しいことに違いはなかったのですが、結婚式の後くらいで…と考えていたので、ちょっとだけ早まってしまいました。
 
 でもまあ、3月までのママの仕事に支障がなければ結婚式も新婚旅行も予定を変えずに済みそうだと判り、少し大変だけれどママには頑張ってもらうことにしたのです。
 ママのつわりも年末年始に少しあったくらいで重いものではなかったのも幸いして、退職日を前倒しすることもなく3月までママは立派に救急外来での仕事を勤めあげました。パチパチパチ。

 3月にはお腹の子の性別も判明し、名前も決めて、その名前でお腹に呼び掛けておりました。

 結婚式は妊娠6か月を過ぎた頃。お腹も大きくなり出していましたが、安定期でもあり、ママがお酒を飲めないこと以外に影響はありませんでした。
 
 

 というわけで、新婚旅行ものちの「ひいちゃん」となるお腹の子と一緒。
 そう「ひいちゃん」は三人姉妹の中で唯一(胎児のうちではありますが)アメリカに上陸しているわけです。
 
 もし、「飛行機の中で緊急出産」なんてなっていたら、"日本とアメリカどちらでも国籍を選ぶことができる"な~んてクイズに出てきそうな稀な事態になったのでしょうが、妊娠6か月くらいでは早産の兆候なんてありえなく、何事もなく旅行も終えました。
 ま、道中"細くて急な道を登ってダイヤモンドヘッドの頂上まで歩く"なんて無理もさせましたが、胎児に影響も無く、つくづく丈夫なママで良かったと思ったものでした。

 で、計画していた行事も終え、ママは予定日の8月24日に向けてのんびりと出産の準備を整えておりました。
 1人目の子であり里帰り出産の予定だったので、ママはお盆に実家に帰省したのですが、お盆中には産気づくこともなく過ぎ…。
 アタシの職場(今の職場ではなく、前職の職場ですが)に電話がかかってきたのは予定日の前日8月23日の昼過ぎのことでした。
 『破水して病院に来ている』とのことで、アタシは早退して病院に駆けつけました。

 頭の中では『そろそろ分娩室か?』などと想像しながら、夕刻に到着してみると、陣痛の波は来ているものの助産師さんや看護婦さんに慌てた様子も無く、ママは陣痛室という部屋に横たわっておりました。
 陣痛が始まると辛そうではありましたが、波が引くと落ち着いて2人で『まだかな~』なんて話をしていましたが、一向に陣痛の間隔が短くなったり、子宮口が開いたりする出産の予兆もないまま、夜になり、アタシは仮眠を取ったりしているうちに気がつけば朝でありました。

 よほど「ひいちゃん」はお腹の中にいるのが気に入っていたのか、大した変化も無いどころか、逆に陣痛も弱まるくらいでありました。
 9時を過ぎ先生から『あまり長引くと母体に良くないから』と説明され、陣痛促進剤を投与し、効き目が現れたのは午後になってから。
 そう、破水から丸1日が過ぎておりました。

 そこからようやく陣痛が強くなり、子宮口も開いてきて、アタシも一緒に分娩室に移動したのは、午後4時前。
 その頃になるとさすがにママも非常に辛そうでありました。

 で、ようやく事前にレクチャーを受けていた呼吸法『ひぃ、ひぃ、ふ~』の出番でありますが、呑気にそんなのをやっていたのはほんの数分。
 なんだか突然慌ただしくなってきて、お医者さん2人に助産師さん、看護婦さんがアタシとママを取り囲み、『いきんで~』という掛け声とともに、一人のお医者さんがママのお腹の上に乗っかるようにして思いっきりお腹を押すという…なんだか力技を加えること2回、ようやく誕生したわけです。

 

 アタシはそんな光景に、感動とかそういうものより、あっけに取られた感じのまま、ちょっと得体の知れない生き物のような「ひいちゃん」を見ていたのですが、お医者さんに『お父さん、写真、写真』と促されて撮ったのが、この「ひいちゃん」の初画像。生後10秒くらいです(次女、三女は逆子だった都合上、帝王切開でしたので、分娩室の画像が残っているのは唯一「ひいちゃん」だけです)。
 ちょっとナマナマしくて、グロいですね。でも出産の大変さが感じられると思います。
 気が付かなかったのですが、吸引分娩もしていたらしく、頭がとんがってます。

 そうそう、一番大変だったのはなんといってもママ。でも分娩室に入ってからのことは細かく覚えていないそうです。なんといっても破水から26時間も陣痛と戦っていたのですから、意識も朦朧とするはずです。
 それまでもママ中心の夫婦関係でありましたが、カカア殿下が確定したのはこの時だったことに間違いはありません。

 で、産湯につかり、身長・体重・頭の大きさなどを測定したあとのツーショットがこちら。
 体重が3,400gもある大きめの女の子だったせいか、生後間も無いというのに顔立ちも整っておりました(親の欲目ですかね)。

 

 そ~ゆ~ママの大仕事の末、「ひいちゃん」は平成18年8月24日に無事誕生したというわけです。

(つづく)


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