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イバラノツルヒコの華麗なる生活

ボンソワール、今夜も僕と素敵な話をしよう

つまり…

2007-01-18 20:08:04 | Weblog


ボンソワール。

ここ数日、うまく言えないんだけど、何をやってもあんまり面白くないっていうか、気持ちがのらない感じがする。結構忙しくやっているし、なにか落ち込むようなことがあったわけでもないんだけど。

一体どういうわけでこんな状態なんだろうと考えるに、疲れとか以上に、なんのことはない、このところ誰かとゆっくり話をしていないことに気がついた。

僕は存外寂しがりで、ひとりぼっちの状態が続くと耐えられないし、かといってあんまり大人数でワイワイしているばかりだとそれはそれで孤独というか寂しさを感じてしまうから、ときどき気心の知れた誰かとゆっくりいろんなことを話したくてしょうがなくなるんだよ。

これってなんだろうってよくよく考えてみたら、小さい子供が自分のことを全部母親にきいてもらわないと気がすまない、っていうのに似ているのかも、と思ってちょっと気恥ずかしくなった。

だけど、どんな経験も、ほかの誰かと何らかのかたちで共有できなかったら、やっぱりそれだけのことでしかないような気がする。もし僕が地球最後の人間だったとしたら、そこでどんなすばらしい体験をしたり才能があったとしても、虚しいだけだろうと思うよ。

というわけで、今日のとりとめのない文章をまとめると、「なんだか人恋しい」ってひとことで片付いちゃうんだね・・・。

セーター

2007-01-17 16:56:34 | Weblog


多分今僕はちょっと疲れていてやけくそな気分でいるので、そのつもりで読み流してほしいんだけど、女の子がセーターを着ているとどうしてあんなにかわいくみえるんだろうね。特にもこもこした厚手の、大き目の、とっくりのセーターとか。

…いや、今日はそれだけだよ。

あわてる

2007-01-16 12:40:40 | Weblog


すっかりお正月も明けたっていうのに、まだどこかのんびり気分が抜けていなかったのか、今朝はちょっとあわててしまった。

ところで。

たとえば、電車で寝過ごして、ちょうど降りなきゃいけない駅で、ドアがもうすぐ閉まるかも、っていう状況で目覚めたときとか。
たとえば、寝坊して、本当なら家をでなきゃいけないはずの時間を、目覚まし時計の針が指していたときとか。

どう考えても、その場で瞬時に「あわてはじめ」なきゃいけない状況なのに、なぜかわざわざ意識的に急ぐのを拒否するときってあるよね。…あるよね?
あれはなんなんだろう、現状を認識するのを脳が嫌がって、なかったことにしようとしているのかな。

そんなわけで、今朝の僕はそういう「無駄に固まっている時間」を数分すごしてしまった後、ようやくそれじゃいけないと気がついて、フル回転で家を飛び出したんだけど、またそういうときっていうのは自分でもびっくりするくらい早く支度ができたりするものだね。いろんなことをこの調子で片付けられたら、一生の間にすごいことを成し遂げられそうな気がするけど、肝心の一生を縮めちゃいそうだから、やっぱりいつもどおりでいいや、…なんて、ひといきついている今、考えたりしているよ。

保留

2007-01-15 10:35:47 | Weblog


最終学年の最終学期にもなると、必要な授業もそんなにはないし、部活やサークル活動も以前ほどはやらなくなるし、それぞれの進路のために裂く時間も多くなるし…あるいは学生生活最後の時間を別のことに費やしたくなったりとかで、つまり4年生同士キャンパスで顔をあわせることが一部を除いてめっきり少なくなってきた。

その例外的な一部というのは、僕ととっている授業が同じだったり、行動範囲が似ていたりする人だから、彼らとは今度はやたら顔をあわせることになったりする。

冬学期になってから特によく顔をあわせるのは伊集院君で、彼は僕とは違って別の大学の院に進学するんだけど、図書館とか、授業とか、必然的に学食とか(時間割が似ているからね)でやたらと遭遇するようになった。もっとも僕は以前にも書いたように彼に対してはどうも苦手意識があるから、一緒になることが多いからといっていつもつるんでいるわけじゃないんだけれど。

ただこれも妙なもので、数少ない顔見知りってことになってくると、以前ほど彼に対して拒否感がなくなってきたっていうのも事実だ。彼独特のリアクションに慣れてきたっていうのもあるかもしれないけど、僕のほうも少し言いたいことを言っちゃえ、って開き直ったところもあるかもしれない。いまだに彼がどういうタイプの人かとか、好きか嫌いかっていわれたらよくわからない部分が多いんだけれど、わからない相手のことはわからないままつきあってみるっていうのも自然なことかもしれないね。

なにしろわからないものには無理にレッテルをはってでもわかった気持ちになりたいっていう傾向が人間にはある、ように思うから、わからないものとわからないまま共存するっていうのも結構大事なことかもしれないって思ったりするんだよ。

まあ、わからないものよばわりされた彼にとっては不本意な話だろうけどね。


いきぬき

2007-01-14 08:30:29 | Weblog


このところ学校と図書館と家の往復ばかりだったから、昨日はちょっといきぬきに外にでてみた。…といっても、古本屋を数件めぐった程度のことだけど、まあ本屋なら寄り道のいいわけもしやすいからね。え、誰にって、僕自身にだけどさ。

たいていの古本屋では、店の前のワゴンで二束三文の文庫本なんかを売っていて、そこには一時はやったエッセイとか、よく売れた小説なんかがおいてあったりする。普段なら自分じゃ手にとらないようなそれらをながめたり、安さに気まぐれをおこしてつい買っちゃったりするのも古本屋の楽しみとしては悪くないと思う。

今はネットでも古本が買えるご時世だけど、こういう出会いは実際に店をのぞいてみたときならではだよね。
というわけで、昨日もついつい卒論や授業とは関係ない本を買い込んじゃったりしたよ。

遅れてきた人

2007-01-10 23:36:32 | Weblog


僕みたいなタイプは、たいがい一度くらいは「生まれてくる時代を間違えたね」なんて言われたりするわけだけれど。

実際僕がたとえば70年代あたりに青春をおくっていたら、当時の流行が大好きになっていたかというと、それはどうかなあ、って思ったりする。もしかしたら、その時代にもやっぱり「生まれてくる時代を…」なんていわれて、大正浪漫を追い求めていたりしたかもしれないよね。

ところで、誤解を恐れずにいうと、流行のものっていうのは必ずどこかちょっと「まぬけ」(あるいは”珍妙”でもいいけど)だ。ただ、その時代の渦中にいると、それがまぬけというふうに認識されないっていうのが、僕なんかは見ていて気恥ずかしい気がする。それが10年、20年とたつと、誰が見ても「これはまぬけだ」って認識されるので、僕みたいなタイプはそうなってはじめて安心してそれを愛でられるのだ。

つまり、「かっこいい」と「まぬけ」は紙一重でしかなくて、どっちを好むかに大した差はないって思うんだけど、…どうだろうね?

おみくじ

2007-01-09 22:47:09 | Weblog


この正月休みは、例の鍋会以外は大概卒論を書いていたから、とりたてて話すほどのこともないんだ。強いて言えば、初詣に行ったことくらいかな。例年通り実家のそばの神社に行って、おみくじなんかも引いてみたりして。

ちなみに僕はこういう運試しふうのことは嫌いじゃないけど、その結果をすぐに忘れちゃうから、実はひいてもひかなくてもあんまり変わらない。それでもやっぱり毎年おみくじをひいちゃうのは、つまりこれがちょっとしたエンターテイメントだからに相違ない、と思う。だって、もしおみくじってものがなかったら、初詣の楽しみってかなり減っちゃうと思わない?もっともこんなことを書いたら不謹慎だって怒られちゃうかもしれないけどね。

成人

2007-01-08 22:58:24 | Weblog


今日は成人の日だったんだね。なんだかニュースをみるまで気がつかなかったよ。自分が終えてしまったことには興味がなくなっちゃうのかもしれない。

僕が成人式に出席したときには、子供の頃想像していた「成人」と自分とが重ならなくてちょっと困惑した記憶がある。小さい頃の僕は、大人になれば誰でも正しい判断が下せて、世の中のことも全部わかっていて、車も運転できるし外国語も話せるし家だって建てられちゃう、…なんて風に思っていた気がする。

そりゃあ子供に比べればできることは増えたけどね。

寒風

2007-01-07 19:20:08 | Weblog
少し日差しがあたたかいからって、やっぱり冬をなめちゃあいけないね。
それでなくても僕は寒がりなほうなんだから。

身を切るような風にふかれると、条件反射みたいに中学とか高校の頃のマラソン
大会なんかを思い出す。どんなに寒くても走り終わった頃には汗びっしょりだっ
たんだから、人間の体っていうのはよくできているよね。

だからといって町なかでいきなりマラソンをするわけにもいかないのがつらいと
ころだ…待ち合わせしている場合は特にね。


抱負

2007-01-06 22:04:23 | Weblog


年が明けると「新年の抱負」なんて文字をよく見かけたりするけれど、僕はあんまりそういうことを考えたことがない。もちろん達成したい目標とかがないわけじゃないんだけど、それを1年単位で考えたことがあまりないのかもしれない。

一方で、僕には人生における目標みたいなものがあって、それは言葉にするとひどく気恥ずかしいんだけど、「美しくて強い人になる」ってものだ。

でもこの言葉が曲者で、「美しさ」とか「強さ」とかいったものはあくまで使う側の主観によるものだから、僕にはまったくそう思えないものを「美しい」と評する人だっている。「強さ」にいたっては、多分僕の思うそれを説明したら大半の人から「それは弱さじゃないの」ってつっこみを入れられてしまうかもしれない。

だから恐らく、僕は「美しい」とか「強い」ってことを口で言うんじゃなくて、僕の行動や行き方で説明しなくちゃいけないし、誰かが同じように「美しい」とか「強い」って言葉をつかったとしても、その人のやったことや姿勢で判断するしかないと思うんだ。

それで、そんなことを思うたびに僕はちょっと落ち込んじゃったりするんだけれどね。