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つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

問題を矮小化するな!

2006-02-20 23:02:40 | 日本のこと
衆院予算委:「武部氏二男に3000万円、堀江被告がメールで指示」--民主が指摘(毎日新聞)

3000万が渡ったか、ガセネタかともめていますが、
どうも、永田議員の勇み足のような気がする。

武部さんも妙に元気がなかったし
後ろ暗いところがあるのかもしれないけど、
どうも民主党も核心のところまでは
握れていないような気がしてならない。

ただ、問題はそこではない。
今国会、BLTだの四点セットだのと
野党が結構頑張っているようだけど
どうも、追求の方向性が間違っているのではないだろうか。
耐震偽装の問題にしても焦点は
伊藤公介・元国土庁長官とヒューザーの関係に
移ってきているし、Livedoorの問題も、
この3000万ばかりがクローズアップされている。

でも、問題はそこじゃないだろう。
国会っていうのは本来政策を議論するところであって
醜聞を追求するところではない。
もちろん、癒着があったとすればそれは問題なのだけど、
それは第一に司法が追及することだろう。

国会がやるべきなのは、
小泉構造改革なるものが
どのようなものであり、
それが本当に正しいものであったのか
ということの検証であるはずだ。

耐震偽装にしてもLivedoorにしても
明らかに新自由主義的改革の結果であって
それについて真摯な政策論争を行なえば
小泉構造改革の負の側面を抉り出せたはずである。

小泉首相の格差を容認したかのような発言なんかを
追求すれば、野党にとってもっと大きな果実を得られたはずだ。

追求の対象を癒着のような問題に絞れば、
確かにセンセーショナルだが、
それは同時に有権者の目を結果的に
問題の本質、これらの事件の構造的要因から
そらしてしまうことになりかねない。

そんなことではいつまでたっても
与党と野党との間の対立軸なんてできっこないし
民主党は派手な追及をするだけの
万年野党であり続けるだろう。

民主党の今国会の戦略は結果的に
小泉劇場を裏から支えていると
ぼくには思えてしょうがないのだが。

遅まきながらライブドアの件について考えてみる

2006-01-22 00:07:01 | 日本のこと
まあ、一連の事件を見ても驚いた人は
そんなにいなかったに違いない。
どちらかって言うと「やっぱり」
といったような反応が多いんじゃないかと思う。

しかし、よくわからないけど、今回の事件が
「出る杭は打たれる」的なものとして理解されるのなら
この国の社会のなんと前近代的なことか。

自由競争の中で上手くやったものが勝ち、
失敗したものが負けるってのが資本主義だ。

ライブドアがルール違反をしたからではなく
新参者だからこういう結果を生じたんだって
風潮があるのはどうも解せない。

それと

本当かどうかは疑わしい気もするけど
耐震偽装問題つぶしのために
ライブドアの強制捜査が行なわれたとしたら
土建屋っていう最も「古い自民党」的なものを守るために
改革の象徴をスケープゴートにしたことになる。

小泉改革の良くも悪くも象徴であったホリエモンが
そんなもののためにつぶされたのだとすれば
「自民党をぶっ壊す」はなんだったのだろうか?

小泉構造改革は自由競争に満ちあふれた
新自由主義的な世界をつくるためではなく
既存の資本を守り育てるための
形を変えた護送船団だったってことだろうか?

21世紀の日本もITに象徴される新たな産業を育てるよりも
20世紀型の資本を守るってことなのだろうか?

時代の寵児だったはずの人物が
選挙で利用され、既存資本を守るために利用された
ドンキホーテでしかなかったとしたら、
この国はサッチャリズムすらまともに
もてなかったことになりかねない。

「一度目は悲劇で二度目は茶番」
誰かさんがそう言ってたのを
ふと思い出した。


「9条守ろう! ブロガーズ・リンク」賛同表明

2005-12-24 18:54:41 | 日本のこと
まああんまり「憲法を守ろう」っていう言い方は好きではないんですが。

いや例えば
1条を変えて共和国にするとか
9条を「改正」して自衛のためであっても
軍隊も持たないと明記するとか
24条の婚姻は「両性」の合意に基づくってのも変えるとか
地方自治も「地方公共団体」を「地方政府」に変えるとか
環境権のような権利を加えるとか
そういう「改正」はあってしかるべきだから。

でも現在策動されている憲法「改正」が
およそ「改正」の名に値しないのは明らかだろう。

明らかな国際法違反の侵略戦争への加担であった
イラクへの自衛隊派遣はこの国の戦後史において
取り返すことのできない汚点だけれども
それでもあの日本語のわからない首相が
「自衛隊のいるところが非戦闘地域です」
と意味不明なことをわめかなければならなかったのは
「武力の行使」を放棄した憲法9条があったからだ。

いまこの国の最後の良心といっても過言ではない
憲法9条が「改正」されたらどうなるか。
戦争の放棄を謳っている憲法のもとで
自衛隊が海外に行くのである。
それが変更されたらこの国が戦争を遂行するのに
何の障害もなくなってしまう。

「気がついたら戦争をやっていた」では遅い。

というわけでぼくはここに
「9条守ろう!ブロガーズ・リンク」
に賛同表明します。

「自由は置き物のようにそこにあるのではなく、
現実の行使によってだけ守られる」
丸山真男の言葉を肝に銘じつつ。




ぶっ壊すんじゃなかったのか?

2005-09-12 22:56:49 | 日本のこと
選挙は自民の「圧勝」であった。もっとも得票率でいえばそこまでの圧勝ではないのだろうけど、小選挙区制のなせる業であろう。

しかし、これで自民党をぶっ壊すという小泉首相の公約(?)は当分果たせないだろう。ぶっ壊すと自認する人が党首になっていて、しかもその党が選挙で大勝するんだからすごい。この国の民主主義はどこへ行くんだろうか?

個人的には想定の範囲内であった。というのも、数日前に見た夢のなかで自公:307、民主:122という結果を見てたので(なぜか数字だけはっきりと覚えている。変な夢であった)。

もうひとつ、個人的にうれしかったのは初めて国政選挙で有効票を投じれたこと。ぼくの「清き一票」は毎回比例ですら死んでいたので、少しうれしい。

前回も書いたが自民と民主の対立軸はかなり錯綜しているけれども、「郵政民営化」なんていう露骨な新自由主義改革がテーマになるとさすがに都会と田舎のコントラストが出てくる。もっとも地方で勝ったのは「郵政民営化反対」というだけで色々な立場の人がいるわけだが。

しかし、そういったクリーヴィッジを前面にだして対立軸を模索するというのも一つの方策ではないだろうか。

あと小選挙区の結果を見ると民主が自民に勝ち越しているのは、北海道、岩手、新潟の三つだけ。北海道はもともと民主王国と呼ばれているし、岩手は小沢王国である。しかし新潟で民主が勝ち越したのはそういう理由ではない。社民、連合との野党共闘が奏功した結果である。共産へ流れる票も含め野党票を以下にまとめるかというのを民主党はしっかり考えるべきなのではないだろうか。

大きな政府はいけないのか?

2005-09-10 20:58:49 | 日本のこと
いよいよ明日が投票日であるが、選挙戦の議論を聞いていて一番引っかかるのがこの論点である。

ワンフレーズポリティクスの悪いところが出たというか、どうも様々な言葉が一人歩きしている感がある。
まずそもそも日本は本当に大きな政府なのかという問題がある。確かにこの国の政府は公共事業に莫大な投資をしているけど、一般に大きな政府といった場合考えられるのは一昔前ならば主要産業の国営化、それと年金や福祉などの社会保障分野での支出であろう。そういったところで国が支出している額というのは比較すればそんなに多くないはず。日本は既に小さな政府なのであり改革という言葉がイコール小さな政府を目指すというのであればじつはそんなに改革をするところはないのではないだろうか。もしどうしても改革をするというのであれば公共事業費を削る意外に大きな部分はないはずなのである。

それに大きな政府から小さな政府へと変えることがすなわち改革ではない。確かに国営事業を民営化し歳出を削減し小さな政府を目指すというのは、一つの立場である。しかしそれはひとつの立場(新自由主義)であってそれがすべての国民の利益になるかのようにいうことは誤りであろう。
民営化するということは利益の上がらないところは切り捨てるということであり、それは市場原理の下では当然である(民営化するけど郵便局をなくさないというのはこの意味でおかしい。それは郵便局をなくさないというのが嘘であるか、実際には完全に民営化しないかのどちらかだ)。ハリケーンの被害までいわなくても、自国最大の自動車企業を二束三文で外国企業に売り飛ばした国がその実態をよく表現している。

当然のことながら大きな政府のままでもよいというのも一つの立場であってなんら臆することなくそういってかまわないはずである。それは様々な多様性の中の一つの立場なのであって「改革に賛成か反対か」などという二者択一で切って捨てることはできない。

さらにおかしいのが増税とのつながりである。本来小さな政府を目指す勢力が増税をするかも知れないというなどおかしな話である(理の当然として増税をすれば支出が増えるのだから)。もちろんその裏にはありえないほどの膨大な借金が存在するからこそ、こういうひっくり返った議論になるわけだが。

本来のあるべき対立軸にそえば(改革イコール小さな政府を目指すという前提に立つと)、改革反対‐大きな政府志向‐増税賛成という勢力と改革賛成‐小さな政府志向‐増税反対という主張にならなければいけないはず。

どうも、なかなか研究者が考えてるようには実際の政治は動いてくれないが…。