つらねのため息@gooブログ

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3.11雑感

2013-03-11 19:30:00 | 日記
今年もまた、3月11日がやってきた。2年という月日が長いのか短いのかわからないが、メディアでは盛んに「被災地のいま」や「遅々として進まぬ復興」が取り上げられている。

にもかかわらず、ぼくはこの「3.11」という日付が象徴させられている何ものかに違和感を拭えずにいる。その違和感が何なのか、少し考えてみた。

3月11日、より正確には3月11日14時46分、三陸沖で巨大地震が発生した瞬間だ。しかし2011年のその日、その瞬間自分は何を感じただろうか。大きな地震に驚き、あたふたしながらも、それがどのようなものかはまだ知らずにいた。それは恐らく被災地にいた方も同じであって、この揺れがその後に巨大津波を引き起こし、原発事故につながるとは考えもしなかったのではないだろうか。そう、今日多くの人が冥福を祈った方の大半は2011年3月11日14時46分にはまだ生存されていたに違いないのだ。

それでも、3月11日14時46分という瞬間はあの大災害を象徴するものになってしまっている。ぼくはそこにひとつ大きな違和感を覚えるのだ。なぜ、揺れが発生した瞬間が重要なのか。それが多くの人の命を奪うことになる津波を引き起こしたことは確かだけれども、それは単なる地震や津波という自然災害といえるのだろうか。多くの方の命を奪ったのは天災だけではなく、「自然をコントロールできる」というこの社会の驕りにもあったのではないだろうか。「3.11」という瞬間に追悼をすることへの違和感がそこにある。

このことは原子力災害を考えるとより明確になる。少なくとも福島第一原子力発電所の事故に関する限り、地震や津波に責を帰することはできない。あの原子力発電所は誰に断るでもなくこの社会があの場所につくったものであり、2011年3月11日よりずっと前からそこに存在していた。人間が勝手につくったものが引き起こした災害が自然災害と呼べるはずもない。「3.11」にそれを象徴的に負わせるのは筋違いではないだろうか。

そしてもう一つの違和感はいうまでもなく、この一日だけを記念日的に切り取ることの違和感だ。原子力発電所の事故に終息のめどがつかないことは指摘するまでもない。被災地では多くのひとがいまだに「復興」という言葉からは程遠い日常を過ごしておられる。現在進行形で進む日々の中で、一日だけを遠くから切り取ることは、やはりどこかおかしなものを感じてしまう。もし「3.11」が重要であるなら、残りの364日も同様に思いをはせるべきだろう。

ただ、そんな違和感にもかかわらず、こういう日は重要なのかもしれないとも思う。あれほど見掛けた「がんばろう」の文字を街なかで見つけるのに苦労するようになってしまった。結局のところ、被災地から離れたところでの生活の中で、あの大災害の実際を思い起こすことはなかなか出来なくなってきている。この「記念日」はそのきっかけとしては有効だろう。

結局のところ、そんな自戒を込めた結論しか導き出せないことが、何とも情けなく、不甲斐ない。