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『日本におけるフィルムアーカイブ活動史』

2018-04-13 00:10:00 | 読書
石原香絵さんの『日本におけるフィルムアーカイブ活動史』(美学出版、2018年)読了。映画フィルムを収集・保存し、それへのアクセスを提供するフィルムアーカイブ。本書は日本のフィルムアーカイブ活動の歴史を国際的な視野も交えつつ描き出した一冊である。

石原香絵『日本におけるフィルムアーカイブ活動史』(美学出版、2018年)

「活動史」とタイトルにあるとおり、基本的には第1章から第5章までクロノロジカルに議論は進む。その中でも公的な支援態勢が弱い中で映画フィルムの保存に向けた関係者の奔走を活写した「第四章 川喜多かしこと戦後日本の〈映画保存運動〉」が圧巻だが、フィルムアーカイブという活動の始まりを論じる「第一章 フィルムアーカイブ活動の原点を求めて」、軍国主義の時代の映画の取り締まりと振興、保存を描いた「第二章 軍国主義時代の映画フィルム」、占領期におけるフィルムアーカイブの取り組みの可能性と蹉跌をたどる「第三章 日本映画の網羅的な収集はなぜ実現しなかったのか」などもそれぞれに面白い。

第1章で紹介されている、フィルムアーカイブの歴史の長さ(映画誕生の2年3か月後にはポーランドのボレスワフ・マトゥシェフスキによって世界初のフィルムアーカイブ論が論じられ1910年代には最初のフィルムアーカイブがヨーロッパにつくられていた)も驚きだが、第2章で論じられているファシズム・軍国主義と映画の一方では規制がありつつも他方で振興や保存が取り組まれていたという一筋縄ではいかない関係が興味深い。本書ではあまり触れられていないが、社会主義国でも似たようなことがありそうである。また「国際的」というとどうしても欧米に目が行きがちであり、実際国際的なネットワークは欧州やアメリカが中心のようであるが、中国と日本の映画界の関係も論じられていて、改めて隣国との距離の近さを感じさせる。ただし、満州の映画についても触れられているように、その「近さ」はもちろん単純な意味ではないが。

第4章は本書の主題ともいえ、さまざまなエピソードを交え「映画保存運動」の広がりが立体的に描かれているが、特に国際的な活動の広がりと同時に自治体や地域の市民の取り組みへの目配りがされ、その意義が強調されているところがとても良い。

それにしても、つくづく感じるのはこの国のものを残すことへの態勢の弱さであり、それを乗り越え取り組みを積み重ねてきた先人の足跡の偉大さである。恐らくそれは映画フィルムに限ったことではなく、文書や音を含むあらゆる記録にもいえるものであろう。本書354頁の著者の嘆息ともいえるような以下の記述は映画界だけではないこの国の現状を指弾していると言って差支えないように思う。

--以下、本書354頁より引用--

経年劣化が進行すると自然発火の危険性が増すナイトレートフィルム、強烈な酢酸臭を発するアセテートフィルムは本来的に脆弱な存在である。日本の場合、追い討ちをかけるように映画保存に不利な条件―関東大震災をはじめとする自然災害、映画検閲、太平洋戦争末期の空襲、敗戦時の意図的な証拠煙滅、GHQによる占領政策、映画の法定納入制度の不成立、映画産業の斜陽化、貧しい文化芸術予算と映画振興策の出遅れ等が押し寄せた。結果として、劇映画だけでも残存率は目を背けたくなるような数字を示し、残存する素材はオリジナルネガとは限らず、ましてや無傷の完全版ばかりではない。映画フィルムの物理的状態に、映画保存体制やフィルムアーカイブ活動の過去が反映され、スクリーン上に露呈してしまうのである。
 戦後日本の、〈映画保存運動〉が果敢に歩み出したとき、まだほとんどの日本映画は保存されている状態にはなかったが、その担い手たちは海外事情を知るにつけ、日本の惨状を度々「恥ずかしい」という言葉で表現した。「何とかしなければ」という焦りは、この運動を形づくり前進させた原動力の一つであったろう。現在、日本の公共フィルムアーカイブの映画フィルム専用収蔵庫等の設備や、保管されているコレクションの規模、そして映画の復元を支える民間の現像所の技術力は、海外と比較して何ら見劣りするものではない。しかし 一方で、公共フィルムアーカイブの正規職員の少なさには愕然とさせられる。本書では、ロシアのゴスフィルモフォンドの600名、中国電影資料館の340名、米国議会図書館の110名、韓国映像資料院の6O名といった職員の概数を例示したが、地域の公共フィルムアーカイブも含め、恒常的な人員不足が日本のフィルムアーカイブ活動の最大の弱点となっている。

--引用終わり--

これに対して日本の「フィルムセンターの正規職員数は長らく10名前後から増えず、いくら膨大なコレクションを構築しても、人員規模の上では諸外国との差を縮めることができなかった」(256頁)という。フィルムセンター自体も独立した組織ではなく東京国立近代美術館を母体として設置されたものであった。2018年4月に独立が果たされ国立映画アーカイブが設置されたのは「快挙」であったと著者は指摘する(306頁)。

著者は「過去を知れば知るほど、民間の貢献が日本のフィルムアーカイブ活動史に占める大きさを痛感させられる」(357頁)と記しているが、民間のとりわけ個人の取り組みに限界があるとはいえ、その運動の意義は高く評価されるべきものであろう。そうした「先人たちの積み上げてきたもの」がこうしてまとめられたこと自体、大きな意味を持つと思われる。そうした積み重ねを受け継いで(著者もそうした運動を受け継ごうとする人々の中の一人であろう)、著者が言うような「〈自主的参加型〉の『みんなのフィルムアーカイブ』を目指す」運動が広がっていくことを期待してやまない。