つらねのため息@gooブログ

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

国政と自治

2013-04-16 01:22:00 | 自治のこと
兵庫県の2つの市長選挙で維新の会が敗北したことが大きく報じられている。

朝日新聞デジタル:維新、兵庫2市長選で敗北 「橋下氏の名だけで勝てぬ」 - 政治

維新の会:戦略の見直し必至 2市長選で惨敗- 毎日jp(毎日新聞)

伊丹・宝塚市長選 維新候補、現職に敗れる 勢力拡大ならず - MSN産経ニュース

それぞれの市長選で維新の会の候補が敗れたことから、維新の会の勢いが落ちたとまでは言わないまでも、勢力の拡大に失敗し、戦略を見直す必要が出ているという。
しかし、そうなのだろうか。先週の東京の小平市長選挙でも民主党などが推す候補が勝利したが、これらに共通にみられるのはきちんと地域の実情を知り主張することができる候補がいれば、その推薦政党の消長にとらわれずに選挙戦が戦われるということなのではないだろうか。事実、上に挙げた毎日新聞の記事によれば、維新の会の候補は「党の看板である公務員批判と役所改革一辺倒の主張を展開した」という。そのまちの課題も知らず、党の主張を繰り返すだけの人物に、自分たちのまちのこれからの4年間のかじ取りを任せたいと誰が思うだろうか。その選挙で選ばれるのは自治体の首長なのだ。

にもかかわらず、マスメディアはすぐさま自治体選挙の結果を国政政党とのつながりで論じたがる。これはいかがなものだろうか。

青森と郡山の2市長選で自民党と公明党が推薦した候補が敗北したことをつかまえてアベノミクスへの支持が限定的だと論じた下記の記事も同様だ。

自公:青森と郡山の2市長選で敗北 アベノミクス支持限定- 毎日jp(毎日新聞)

もとより、国全体の経済政策が、そのまちの市民の生活や自治のありように直結するはずもない。国全体の課題に対応するために、私たちは国会議員を選び、国政に参加しているのであって、自治体の選挙ではそのまちの課題とそれへの対応が論点となってしかるべきだろう。自治体の選挙が国政に結び付けられてしか論じられないような状況で、それぞれのまちに自治が根付くことがあるだろうか。そこで論じられているのは本当にまちの自治なのだろうか。

「地方自治は民主主義の学校」という古い言葉を持ち出すまでもなく、この国のデモクラシーをとりまく現状がこういうところにも表れているような気がする。