人の不思議な行動、性向を見ると、人間なる存在が【意図して造られた】と窺わせるものがある。
1. 動物園、水族館・・・果たして生きるのに必須か?
2. 生垣を剪定する、花を植える・・・果たして生きるのに必須か?
3. 畑を借りて芋や大根を植える、・・・果たして生きるのに必須か?
4. 楽器を演奏する、絵を描く、・・・果たして生きるのに必須か?
その【造られた目的】に反するものを押し付けられると人間は【駄目になる】
カイシャなるものが無かったら多分ヒキコモリとかニートと言うものはない。いや、少なくともカイシャなるものが大威張りで人々を蹴散らし、世間を闊歩していなければヒキコモリはいない。
時間単価なる文言がある。【その作業に1時間従事すれば●●●円】などと。【一時間】とは別の言い方をすれば【命の長さ】である。つまり経済社会なるものは【生存したければ命を切り売りせよ】、【生きたければ本来の自分を死ね】と言っているに等しい。ヒキコモリやニートはこの【経済社会なる暗い洞窟】の中にあるもの、有体に言えば【人食い】を【それとなく察知している】と思う。・・・いみじくも言った、『働いたら負けだと思う』・・・そうだ、私は泣きながら敗け続けて年老いた。