祖父の友人の話。遠い遠い昔、その友人なる人は勉学の為に上京していたが関東大震災に遭遇した。偶々、煙の燻る通りを歩いていて産着に包まれた赤ん坊が泣いているのを見た。捨て置けず抱き上げ、親を探し回ったがついに見当たらなかった。学生の身分だったが彼はその子を世話し、最後は郷里、遠い薩摩国に連れ帰った。そして、育て成人させ、結婚させた。彼女は幸せな母となり、女の子が出来た。母の話によれば【愛くるしい】と言う表現がピッタリで商売が好きな女子であった由。この娘もまた幸せに結婚出来たと言う。おそらくは江戸商人の血筋だったのかもしれない。
姻戚の話。彼女はアメリカに住んでいたせいでそうなったのか、或は元々そういう性格だったのか、はたまた母親への解消できなかった反感がそういう行動に駆り立てたのか、第二次大戦中にアメリカ兵が日本軍から受けた彼らが虐待と称する体験をわざわざ掘り起こして本にまとめて出版するような事をしていた。マイク・ホンダとか言う自称日系人で青むくれのブーに肩を抱かれて嬉々としている写真もある、ケッ!。彼女はその息子に既に実子があるのに養子を取らせた、もしくはキリスト教思想に被れて【自分たちが幸せに暮らしているのだからそうでない人にも分け与えなければ】との考えに同調して賛同した。かくして【何処の誰の子かも分からない赤子を引き取った】らしい。
私はこのような【心の底から湧き上がる】のではない、【理屈で考えてそれが理想だから】で行動することに反感を持っている。キリスト教社会と言うものは総て、【言語脳から出た発想】で動く。それは【偽善】である。その行き着くところが【移民や難民に寛容な社会、多文化共生社会】であって最終的には【自壊】ではないのか。
ところで私は利己主義者である。綺麗ごとだの何に使われるのか定かではない寄付など一切しない。但し拝金主義者ではない。妻に指輪のひとつも買えない奴が何やら会費とか称する寄付などちゃんちゃらオカシイ。