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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

もう一度乗りたい車、未経験で惜しかった車

2019年05月23日 07時48分50秒 | 日記
次回の免許更新は80歳だからおそらく目が駄目で返上になるだろう。
もう一度乗って見たかった車、筆頭は20年乗った 空冷フラット4、次は初代三菱ランサー、その次がニッサン・ブルーバード410。

乗って見たかった車の筆頭は、空冷フラット6、次がいすずベレット、次がブルーバード510。

大きい車に興味がない。機械むき出しの小さい車に興味がある。物心つく頃、最初に与えられたオモチャがオートバイだったせいもあろう。本音はオートバイかもしれない。

おばさん運転

2019年05月23日 07時29分57秒 | 日記
妻の運転も、女性の例に漏れず【おばさんスタイル】だった。ハンドルにしがみつくようにして首を伸ばしてボンネットの先を覗くスタイル。そしてしゃにむにトップギヤで走る、だからエンジンの機嫌が悪い。

『足をクラッチペダル下のフットレストに載せて、腰を座席でホールドせよ』、登り坂にかかったら、『ギヤを3速に落とせ、アクセルを踏め』、ヘヤピン昇り坂になったら『2速に落とせ、アクセルを踏み込め、足を踏ん張れ』なんて教えていたらコツを体得したらしい、おばさんにしては運転が上手になってヘヤピン登坂などで前を走る車との間合いを詰めるようになった。『近すぎる、離れろ』なんて言っている内に【車を振り回すオモシロサ】に目覚めた。元々運動神経はいい方だった。そして・・・ついに私にハンドルを握らせなくなった。参った!

しかしまだ、回転計を見て運転する、ダブルブレーキを踏む、ところまでは行っていない。さらに下り坂でギヤを抜いて転ばす邪道に目覚めてはいない。こういう面白さは現代のオートマチック車にはない。

偽善

2019年05月23日 06時52分51秒 | 日記
祖父の友人の話。遠い遠い昔、その友人なる人は勉学の為に上京していたが関東大震災に遭遇した。偶々、煙の燻る通りを歩いていて産着に包まれた赤ん坊が泣いているのを見た。捨て置けず抱き上げ、親を探し回ったがついに見当たらなかった。学生の身分だったが彼はその子を世話し、最後は郷里、遠い薩摩国に連れ帰った。そして、育て成人させ、結婚させた。彼女は幸せな母となり、女の子が出来た。母の話によれば【愛くるしい】と言う表現がピッタリで商売が好きな女子であった由。この娘もまた幸せに結婚出来たと言う。おそらくは江戸商人の血筋だったのかもしれない。

姻戚の話。彼女はアメリカに住んでいたせいでそうなったのか、或は元々そういう性格だったのか、はたまた母親への解消できなかった反感がそういう行動に駆り立てたのか、第二次大戦中にアメリカ兵が日本軍から受けた彼らが虐待と称する体験をわざわざ掘り起こして本にまとめて出版するような事をしていた。マイク・ホンダとか言う自称日系人で青むくれのブーに肩を抱かれて嬉々としている写真もある、ケッ!。彼女はその息子に既に実子があるのに養子を取らせた、もしくはキリスト教思想に被れて【自分たちが幸せに暮らしているのだからそうでない人にも分け与えなければ】との考えに同調して賛同した。かくして【何処の誰の子かも分からない赤子を引き取った】らしい。

私はこのような【心の底から湧き上がる】のではない、【理屈で考えてそれが理想だから】で行動することに反感を持っている。キリスト教社会と言うものは総て、【言語脳から出た発想】で動く。それは【偽善】である。その行き着くところが【移民や難民に寛容な社会、多文化共生社会】であって最終的には【自壊】ではないのか。

ところで私は利己主義者である。綺麗ごとだの何に使われるのか定かではない寄付など一切しない。但し拝金主義者ではない。妻に指輪のひとつも買えない奴が何やら会費とか称する寄付などちゃんちゃらオカシイ。