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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

モダンギター

2019年05月04日 23時36分07秒 | 日記
ギターを苛めすぎたと後悔するので書いて置く。学生時代から始めた。人生、いいことがなかったがギターを弾けたのは幸せだった。現に今、寝る前にと思って【CANTIGA・・聖母マリアの頌歌】を弾いて何とも言えぬ安らぎを覚えた。使ったギターはManuel Rodriguez Flamenco model (シープレス材)とPrudencio Saez (楓材)である。中世の動きの少ない祈りの歌。
つまりギターは自分の為に、自分の傷ついた或は疲れた心を癒す為に弾く楽器だ。決して大向こうを相手に腕前をひけらかす楽器ではない。さらに、この暗い音色の楽器はこの楽器の為に書かれた曲こそ最も相応しく他の楽器に書かれた曲の焼き直しは合わない。そこを押さえていれば一生の伴侶になる。スチール弦のアコースティックギターについては、今まで色々聴いての感想ではモダンギターほどに親しみは感じないが。

le chant des oiseaux [ ル・シャン・デズワゾ]

2019年05月04日 16時26分39秒 | 日記
ハルマゲドンが終わった、今日から新しい世界が始まる!!と言う日にもし遭遇出来たら最初に聴く音楽は カタルーニャ民謡 【鳥の歌】だ。
時計も数々の利便も偉業も要らない。創世の神が人類の為に用意されたものだけでいい。
Casals le Chant des oiseaux Emmanuelle Bertrand - YouTube 
Bach - Julia Hamari - Matthäus Passion - Erbarme dich - YouTube

ギターとチェロ

2019年05月04日 15時10分00秒 | 日記
アコースティック・ギターを始めたいと言う人が居るので私見を少々。
長くモダン・ギター(ナイロン弦ギター)をやって来た者として考えるに、ギターは【不完全な楽器】である。ブリッジを表甲に貼り付けてあってそれにサドルを介して弦の端っこを固定している。もう一方はナットを介してペグに巻いてある。弦を撥くと【伸縮】する。その伸縮の根本近くがサドルを上下に振動させ、それが表甲に伝わって増幅される。非常にエネルギーが無駄になっている。それでもギターが存続して来た理由はフラメンコのラスゲアド奏法(ジャカジャカジャカスカ)に使われていたからである。それは、聴衆に【音楽】を聴かせるのではなく踊りの伴奏としてのリズム楽器としての役割であった。

それを使ってフランシスコ・タレガなる人物が【正統ピアノ曲】を弾いて見せた。タレガの友人知人が【珍しがり感心して】珍重がったのが始まりでその後セゴビアなる人物がより発展的な演奏をして見せて一部の人々が熱狂した。思うに【そこから出て来る音楽】に熱狂したのではなく【珍しサ】に熱狂したのだろう。同時に【手軽さ】【敷居の低さ】【一般大衆がとっつきやすい】ところが受け入れられたのだろう。やりやすい楽器はその表現力も低い。これがバイオリンやチェロと同格の楽器とはとても思えない。その表現力の貧しさ!

ナイロン弦の前はガット(羊腸弦)だったが湿気に弱い、切れやすい、輪郭のはっきりしない欲求不満的音、に閉口した人々がスチール弦を張った。出て来る音は純粋音楽、芸術音楽の音ではなくポピュラー音楽のジャンルにある音だった。細いスチール弦は押弦に左指が痛い、勢い指頭による、俗にいうフィンガー・ピッキング奏法でなくコード進行でジャーンと撫でおろす奏法になった。それだけでは欲求不満になったので表甲を叩くこともやり始め、ジャンジャンジャカスカトントンジャララーンてな演奏が出て来た。音楽的に繊細な感性を持ち、年齢が進んでも、夜中に一人静かに自分の為に演奏したい人が取り組む楽器ではない。
私が今若ければチェロか筝をやる。その理由を言葉で説明出来ないからユーチューブにある演奏を下に貼っておく。但し、ギターも一流の楽器を一流の演奏家が弾くとどうなるかの例も最後に挙げる。
Casals le Chant des oiseaux Emmanuelle Bertrand - YouTube 
琴演奏:芽生え Japanese koto - YouTube 
Isabella Selder plays Platero y Yo - VII La Muerte by Eduardo Sáinz de la Maza - YouTube 
大衆受けするものではなく【真に価値ある音楽】に貴重な人生の時間を使いたまえ。

ニート、ひきこもり、少子高齢化、結婚したがらない、小屋に住む若者

2019年05月04日 08時11分31秒 | 日記
これらの【根】は同じだと考えている。私があのカルト、ものみの塔に引き込まれた動機は粗末な紙に印刷された小さな挿絵、【森の小川の傍で煮炊きしている二人、そこから歩み去る二人】を見たからだ。それに強く心惹かれた。『こんな世界に生きたい!』
開高 健 氏は言う・・『食は地面に近い方が美味い』。野外でバーベキューを嫌いな人は居ないだろう。

人々が『現代社会でそれを言っては生活が成り立たない』として無意識の底に封じている【密かな欲求】、それは【時間と社会通念】に拘束されない人生ではないか?私自信は成育歴からコチコチの【時間・社会通念】厳守人間だったが本当はあのスウェン・ヘディンのような放浪・探検が好きだった。・・放浪癖のない男なんて、魅力ないな。

表題に挙げた現代に多く見られる現象はその、【今までは仕方なく封じていた】無意識の欲求が噴出したもの、現在進行中(と考えている)のハルマゲドンが終了して立ち現われる世界を予見しているのかもしれない。
その世界では人々は貨幣に縛られない、・・・創世の神はエデンで人に言った、『あなたは園のどの樹から取って食べてもよい』・・つまり【生存の為の闘い】と言う概念はなかった。それが起きたのはエデンを追い出されてからである。
ニート、ひきこもりと言う現象はもしかしたら【貨幣】とか【経済社会】とか【社会通念】なるものの【いかがわしさ】に無意識が反感を持って前頭葉冷静論理思考を越えて本来欲求を主張し始めているのかもしれない。サラリーマン時代の預金を原資にして土地を買い、小屋を建てて自給生活を始める若者も居るらしいがこれなどはひきこもりの【陽】の姿かもしれない。

世間は【少子高齢化】を嘆き憂慮するが私は少しも気にしていない。大体それを憂慮するその心底は【経済】が成り立たなくなるのではないか?との危惧であろう。この同じ現象象限にあるのが【結婚したがらない男女】だろうがこれもどうやら【新世界】を予見乃至先取りしているのではないか?と思う。

今、人々が当然と思っている社会通念、・・・学校出て、就職して、あくせくでも何とか働き、帰宅前に居酒屋で仲間と愚痴を言い合い、給料を得て、まあまあのところで妥協して結婚し、子供を成し、人生を売って家を建てて、それなりに昇進出世して・・・と言う在り方はもう間もなく瓦解するのではないか?
森の中に、或は海辺に、極小住宅が散在し、人々は思い思いに畑を耕し、或は牛を飼い、或は什器備品を造り、或は絵を描き、或は織物を作り、或は楽器を演奏し、・・・それらを必要に応じて交換し合う、と言うような世界が登場するのかもしれない。実際、中世ヨーロッパでは例えば仕立て職人は何処かの家に逗留し、そこの家族の為に仕立物をし、それが済んだらまた次の家にと歩いたらしい。大らかな世界!ヘルマン・ヘッセの【クヌルプ】、ノヴァーリスの【青い花】、ソローの【森の生活】、ゴールズワージーの【apple tree】などにその微かな記憶が残っている。
新幹線も宇宙ロケットも偉業ではあるが【人の真の幸せ】とは関係ないものである。これらは無くなるかもしれないが私個人は惜しいとは思わない。
もし仮にそのような世界に生き残る事が出来たならば、やりたい事は【吟遊詩人】である。