ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

CAPTAIN ROCKETを振り返る

2009-10-21 11:39:00 | 他の機材
 CAPTAIN ROCKETの資料録音を怖々と聴いてみたら、バンドも自分も異様に上手くて――そう錯覚できて――驚いた。
 中近東っぽく、といったリクエストに素直に応じていたに過ぎないが、さすがフレットレス楽器のグリセンター(と商品名で呼び続けるのは気持ちが悪いものの、エレクトリックウード等と称すれば、それはまた別に存在するのでややこしい。CAPTAIN ROCKETでは単にウードと呼ばれている。音色は殆ど同じだからね)はフレーズ毎の緊張感が凄まじく、ギターで演ると阿呆みたいな技にも説得力がある。なにより音色が美しい。ひょっとするとこれ、僕に不可欠な楽器の三指に食い込むかもしれない。

 コントラバスは何人もの先生に付いて学んだし、フレットレスベースを弾きながら歌っていた時期もあるので、音程を外すのではという恐怖は薄い。ウードにも共通する大きな課題は、人間にとって耳につき易いうえ音程ポイントの間隔が狭くなる高音部で、ここを外すと大変に気持ちが悪い。逆にそれをクリアできればすぐさま達人のように聞える。

 もう一つの壁は和音。
 フレットの手助けが無い為、どうやっても指を適切に配置できないコードフォームが多々ある。まあ世の中のあらゆる和音を弾ける必要はないのだし、好都合な省略形を考案していくしかない。他にベースが居るアンサンブルだったらルートや五度を省略し、三度と七度だけ弾いたほうが爽快だったりする。別の楽器や歌がメロディをとるならルートと五度で事足りる場合もある。
 ウード類はその響きが美しいという理由もあり、開放絃は多用する。和音にもだが、メロディ弾きの間も、例えばその時のコードがAmなら、でーんと開放のA音を鳴らしてからフレーズに入ったほうが、結果が良い。

 余談。理論を突き詰めていけば、「あるていど速く弾いている間なら“絶対に弾いてはならない音”は存在しない」という理由から、僕はギターでもよく危ない開放絃を鳴らしたり、上の方を右手で鳴らしたり(要するにタッピング)する。本当は感覚的に演っているに過ぎないので、「単に間違って」聞えてしまうケースも無いではない。すまん、よくある。そういう時は二、三回同じ事を繰り返して「意図的です」と示す他ない――それが事実であれ芝居であれ。

 CAPTAIN ROCKETと奇妙な楽器の話は続く。

2009-10-21 06:07:00 | マルジナリア
 悲しい、余りにも悲しい夢の直後に目覚める。
 僕は少年で、一泊の遠足に出掛けようとしている。食事は買って済ませる心算でいたが、近くに都合よく店があったものか、玄関で急に不安にかられる。「だからこれ」と母が大きな大きな稲荷寿司を持ち出してくる。母は不思議に上機嫌で、おどけた拍子に寿司が床へと転がる。
「食べらりゃせんわ」と僕は母を叱る。母は「ごめん」と殊勝に謝る。僕は意地を張ったまま稲荷寿司を拾い上げ、指で埃を払おうとするがうまく行かなくて、台所に行って水で洗い流そうとする。たちまち中身が崩れ、こぼれ出て、流れ落ちて、寿司はびしゃびしゃの小さな塊になり果てる。
 僕は本当は怒っていない。貴方に怒った事は一度もない。