ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

ネットで楽々ときたもんだ

2008-04-27 06:50:43 | ギター
 ギャンブル狂、野球狂、骨董狂い、古本狂い、女狂いに男狂い、女殺に油の地獄、世の中色々あるけれど、僕は間違いなく楽器狂いだ。
 幼児期に親戚を点々として、自分の物を持てずにいた。凡てが借り物だった。当時はまったく平気だったけど、大人になるや時限爆弾のように反動が来た。イメージしているその楽器に、触れられない日々に耐えられない。また子供の頃のように、弾いている自分をただ想像して過ごすのかと思うと、悔しくて眠れなくなる。で、無理をしてでも入手する。
 一点、ここだけは誇りでも恥でもあるのだが、僕が欲しいのはあくまで道具なので、それ以上の性質の物は買わない。如何にぼろぼろな状態でも気にしない。練習で更に瑕だらけにし、ライヴでも路上でもがんがん使う。蒐集家の目に、僕の楽器は全部がらくたである。本当に。

 ヌートリアスの音源にナイロン絃ギターの響きが欲しくなり、日々その事しか考えられなくなった。これは拙い。仕事にも健康にも差し支える。
 で、ウェブで見てぴんと来た中古楽器を、触りもせずに買ってしまった。とんだ賭だったが、ろくに外出できないほど多忙な時期だったし、Schecterというそのブランドの、知られていないアコースティック系の楽器が、意外にも秀逸だというのは知っていた。
 商品を確認できないインターネットを通じての買物には、未だ基本的にアレルギーがあるが、そんな小さな意地を張って生きられる時代でもない。

 KS-KANSASという謎の名前を冠された、テレキャスター型のナイロン絃ギター。テレキャスターにナイロン絃というのはゴダンが最初だったと思うが、そのデザインが余りに上出来だったためスタンダード化している。
 アンプやラインでの出力を前提にした、所謂エレガットである。ブラウザでは真っ黒の潰しに見えたが、届いてみると木目の透ける洒落た塗装だった。中空なので恐ろしく軽い。生での音量も意外とある。
 ウェブを探っても、当該モデルの資料は殆ど出てこなかった。元値が十万円台の半ばと判った程度。いつ頃の製品かも判らない。きっと生産台数は百本以下だろう。同ブランドの他楽器からの類推。
 反っていたネックを修正すると、なかなかの弾き心地である。ネックがエレキ幅なので、一面、余りに楽で拍子抜けした。

 小さなアンプで弾いている間は、低音の薄さ、ピエゾマイク独特の指と絃との摩擦音などが気になったが、のちにスタジオで大きなアンプに繋いだら、低音は出過ぎる程、摩擦音はアンサンブル中では聞き取れなかった。良く出来た楽器だ。
 絃の工夫も功を奏したように思う。いま張っているのはSAVAREZ(サヴァレス)のコラム・アリアンス。品番は500ARJ。高音絃がアリアンスで、低音絃がコラムで――という事らしいが、この絃セットは傑作ではなかろうか。質の良いウクレレは、ころころと土鈴のような音がし、アンサンブルに入るとハープかエレクトリックピアノのように響くものだが、その音程だけを下げたような軽やかな音がする。
 低音がハードテンションのセットにしているのは、絃高を下げつつもびびりを避けたいからで、トラスロッドが入っているからネックに悪影響は無かろうの判断。

 ここからが寧ろ本項の本題だったりするのだが、こういった、ちょっと変わった絃を見つけるのに、我々は実に苦労するのである。
 500ARJはまだしもサウンドハウスの通販で買えたが、以前書いたゴダンの十一絃フレットレスギター、グリセンターの専用絃など、代理店にも無かった。余所の絃だとまるでゲージが合わず、代用にならない。楽器を売っておいて、切れたら弾くなとでも? 非道いもんだ。
 バリトンギターの絃も、最近ようやく見掛けるようになったけれど、嘗ては絶望的だった。コーティング絃のElixerもバリトン絃を出していると知ったが、未だ店頭では見たことがない。ウェブでも在庫切ればかり。
 Veillette-Citronという今は亡き米国工房の、Guild Thunderbirdを模したバリトンギターを持っている。たぶんまだ二十代の頃、生まれて初めて見たこのバリトンギターを、衝動買いした。正しい調絃さえ分からなかったが、張られている絃から類推してAからのギター調絃にしてきた。
 そもそも僕は低音好きだから、次のライヴはこの一本で、と命じられても困らない自信がある。しかし合う交換絃が見つからず、買ったとき張られていたものを磨いては使ってきたのだ。
 工房は、1983年までの存在だったらしい。片割れだったJoe Veillette(どう発音するんだ。ヴェイレット?)は、今も物凄く良質なベースやバリトンギターを造っている。物凄く高いけど。 
http://www.veilletteguitars.com/
http://www.sleekelite.com/

 グリセンター専用絃、エリクサーのバリトン絃は、結局下のサイトでまとめ買いした。
http://www.stringsandbeyond.com/
 海外でも五日から十日で届くとあるけれど、実際には二週間くらいかかった。送料は十セット以内なら$14.95。以後十セット毎に$5増し。まあ安くはない。しかし特殊な消耗品に困ってきた者に、インターネット上のこういう商売は有り難い。
 インターネットでこんなに助かってます、ってな項になっちゃったな。

ザフーンとは?

2008-04-26 06:49:33 | 他の機材
 十五年くらい前、新宿駅でサキソフォンの〈Moonlight Serenade〉だったか〈Moon River〉だったかが聞えてきて、音の方へと歩いていくと、白人が地べたに楽器を並べ、自分でも吹いていた。サックスではなかった。黒っぽく染めた竹製の尺八状の楽器に、リードが付いている。音色はまるきりサックスかクラリネットである。Xaphoon(ザフーン)という創作楽器だった。
 吹き手は、マウイ島で生まれたこの新しい楽器の普及のため来日中だった、ディーン・リオーニなる人物。この名は最近ウェブで知った。
 一万二千円くらいで売っていた。ぎりぎり所持していたので一本買った。簡単に吹き方をレクチュアされた。高校の吹奏楽部で最初にまわされたパートはクラリネットで、リード楽器の経験は皆無ではない。音はすぐに出た。アルトリコーダー程のサイズだが、閉管楽器(クラリネットが代表)なので見た目のオクターヴ下が出る。
 構造上マウスピースにあたる部位がごぼっと太く、僕は口が小さいので長時間はしんどい。ましてやウワモノが僕一人のラヂデパでは使う機会が訪れようもなく、ときどき思い出してドレミ――と吹いてみる程度だった。

 ヌートリアスでは使えるかもと思いつき、久々に引っ張りだした。自然物の流用なので音程に個体差がある。僕の技術でA=440Hzを保つのは難しい。近年は樹脂製の物も出回っていると知り、通販で購入。一万円しなかった。竹製が別名をバンブーサックスというのに対し、こちらはポケットサックスと区別されている。色にヴァリエーションがある。白を買った。確かに白いが、よく見ると半透明。同素材のマウスピースカバーがフィルムのケースにそっくりで、よく捨てそうになる。
 一日三十分くらいチューナーを前にして吹いているうち、オクターヴ半だったら、満足のいく音色、音量で出せるようになった。音色は竹より硬いが、吹き手による差異に比べたら誤差。
 マウスピース部は相変わらず大きいので、タンギングが難しい。しかし音楽にルールは無いのだから、タンギング無しで篳篥(ひちりき)みたいに吹き続けても構わないのである。一応練習はしているが。

 リードはテナーサックス用。管楽器のリードに当たり外れは宿命で、一箱買って二枚当たれば幸運だとか。そう云われましても、いま吹いているものが当たりか外れかも判らない。当てずっぽうに数枚買ってきて試し、なんとなく吹き易く感じた物を装着していた。
 先日、楽器店でLegere(レジェール)社の人工リードを見つけ購入。Studio Cutで厚みは2-1/2。積極的選択ではなく、歯抜けの在庫のうち最も薄かった物。単価は高い(三千円弱)が、外れが無いうえ長持ちするなら安い。厚みが気に食わなかったら一回は交換してもらえるという。
 レジェール・リードも半透明の白なので、装着していると最初からの仕様に見える。で、肝心な音と吹き心地だが――。
 これまでのリードがぜんぶ外れだったと判った。なんたるチア、サンタルチア。

 と、万全の体勢でギターケースに常備しているザフーンだが、今のところステージでの出番は見出せていない。永久に見出せないかもしれない。しかしトランペットに指示を出す時など、自分も管で音を出せるのは便利だ。
 久々にドレミで音楽を思考して、視野が広がった感もある。管楽器の人は「なにを云ってるんだ」と思われるだろうが、ギターを弾いて歌うだけの人の大半は、ドレミをまったく意識していない。Dコードを弾いてるとき一絃に小指を足したあの音、なんて程度の認識なのだ。

コーラスの恩恵

2008-04-25 06:48:13 | ライヴ
 4/22。個人的には幾多の課題を残しつつも、上出来のライヴ。ま、課題が消えてしまったら進歩も終わるだろうし。
 完成度、安心、といった言葉をお客さん達から賜った。若い時分の俺だったら「どこ聴いてやがんだ」と殴り返していたところだが(嘘)、今は謙虚に感慨をおぼえる。過去触発されてきた様々な音楽の、安定感、隠れた巧さといったものの、せめて一端には触れることができた、と。
 久々に中期ビートルズを立て続けに聴いたら、むかし巧いと感じていた部分は意外に下手で、下手だと感じていた部分が物凄く巧い。計算尽くの綻び。こういう部分に気づくたび、未だ感激する。自分も、もっともっと巧くなりたい。楽器も、歌も、詞も、小説も。

 小山、ミーシャ、僭越ながら津原と、三人の歌の個性が、なかなか面白く融合と分離を繰り返したライヴだった。例えば随分以前に作っていながら演奏の機に恵まれなかった新曲〈帽子をとって〉。古臭いソウル風の曲調も相俟って、三人掛かりのコーラスが填り、曲の輪郭が明確になった。
 コーラスの巧さは明らかに、小山>ミーシャ>津原の順なので、僕のリード曲は否応なくコーラスが秀逸になる。尤もビートルズやバーズ、ザ・バンド好きの特質で、誰がリードという意識は僕に稀薄なのだが。

 音源販売などしないぶん、たまに歌詞カードを配っている。昔の僕は発音が悪くマイキングも下手で、(凝っているに違いない)詞が聞き取れないと大変不評であった。その対策として考えついたのだが、音響面が改善された現在も好評なようだ。偶然ながらミーシャ詞も拙作も掌篇仕立てが多いので、物語集としてお楽しみいただけたなら幸甚。
 アラマタミキコ詞の平仮名への愛着は、本人のブログに詳しい。僕の詞に漢字が多いのは、単純に文字数が多く、その表記を切り詰めたいからなのだが、見知らぬ漢字の意味や読みを前後から類推して楽しかった、幼少時の読書体験も影響しているような気も、しないではない。

放課後の校庭を

2008-04-07 05:28:09 | マルジナリア
『ブラバン』という小説は僕の作品にしては随分売れ、内容にも満足をしているのだが、このところ書き損じたと痛感している点がある。故村下孝蔵に言及しなかった事だ。同作の舞台は1980年を起点とする広島、これは氏が〈月あかり〉で商業デビューを果たした年だ。
 僕は氏のレコードを一枚も持っていないのだが、にも拘わらず〈月あかり〉のサビを歌える。氏はかねてからローカルラジオの有名人で、このデビュー曲は当時盛んにオンエアされていたし、ヤマハ楽器広島店前に於けるデモ演奏(?)でも歌われていた。
 偶然通りかかった僕は、最後の最後、彼が機材を撤収してしまうまで、場に立ち尽くしていたのである。これが1980年なのか、それ以前なのかの記憶が、残念乍ら定かではない。所謂営業のようではなく、頻りに足許の機材(ボスのコーラスアンサンブル"CE-1"等)を解説していた。元職場(このほど経歴を調べて、ヤマハで調律師をされていたと知った)から頼まれて、この画期的新製品が如何に弾き語りに有効かを立証していたのかもしれないし、僕のように単にそういう話が好きだったのかもしれない。

 ギターは高価なADAMASだった。当時慥か八十万円で売られており、クラシックの銘器を除けばギターの金額的最高峰だった。特筆すべきは楽器に相応しい氏の腕前で、「独りヴェンチャーズ」なる有名な技を、このとき僕は既に目撃している。一種のチェット・アトキンス奏法で、ベースはこう、ここにリズム、そしてリード、と重ねていくとヴェンチャーズの〈Caravan〉になる。不意に「ここでドラムソロが入るんですが、どうしましょう」と演奏を止める。「実は出来るんです」と直後に彼が始めたのは、第五絃の上に第六絃を無理やり重ね、二本同時に調子良くピッキングするという技だった。絃のビビりが丁度ドラムのスナッピーのように響く。この状態で左手を巧みにスライドさせると、タムとスネアを乱打しているような音になる。凄い事を考える人がいるものだと感心して、暫くその練習ばかりしていた。

 これほど強い印象を残した音楽的体験を、何故作品に持ち込もうとは思い至らなかったのか。執筆中は完全に失念していたからで、これは偏に、僕がフォーク/ニューミュージック少年ではなかった事に起因する。
 後に〈初恋〉が大ヒットし、テレビで氏の姿を見掛けても、この人知ってる、本当はギター巧いんだよね、という程度だったのだ。
〈初恋〉という曲に込められたヴェンチャーズ魂には、ごく最近まで気づかなかった。Am G F――と下降していくコード進行、思えば完全に〈Walk Don't Run〉である。中サビ(好きだよと言えずに――)ではこれを半分のテンポで駄目押しする。一聴するとサビのようなこの部分が、実は中盤の盛上りに過ぎず、その後の細かい進行(放課後の校庭を――)こそ美味しいサビだというのも、メロディだけで勝負していたエレキバンド達への敬意に思えてならない。最後のリフレインで新しいコード進行が出てくるのも気が利いている。

 圧倒的とも云える洋楽魂を宿し、それを体現できた村下孝蔵だが、作詞者としては徹底して外来語を排して、如何にも昭和風な叙情詩に傾いた。これが氏のパブリックイメージを形づくった。僕もその表層に惑わされてきた一人だ。
〈初恋〉は、五月雨は緑色/悲しくさせたよ一人の午後は、と歌い出される。この「/」部分に「を」が省略されている事に、長年気付かなかった阿呆が僕である。「五月雨が」として欲しかったような気もするが、これだと(意味的)主格が「五月雨」になってしまう。どうあれ僕が阿呆である事に変わりはない。中サビの「ふりこ細工」という造語も、造語の天才井上陽水の作に勝るとも劣らぬ出来映え。

 村下孝蔵と同じ時空に佇んでいた自分を、仔細に思い出すきっかけとなったのは、スーパーマーケットで流れていた最近のカヴァーである。オリジナルと比べてしまうと雑な感じがしたが、記憶を呼び起こしてくれた事に感謝している。
 生まれて初めて〈初恋〉を、ギターを弾きながら口ずさんでみた。こういうときボサノバっぽく弾く癖が僕にはあるのだが、この曲には合う。