Mac miniと、Logic Pro 8を含むLogic Studioを一気に購入。しかも銀座。漸く大人になった気分だが、もっともディスプレイは弟から貰った。即ち、音楽の道具と執筆の道具を分離させたのである。
いかしたリズムを奏ではじめていたパワーブックのハードディスクも、ついでとばかりに交換。相変わらずOSXとLogic Pro 7は入っているが、音楽に対しては緊急用と位置づけている(執筆は未だ、専らOS9)。と云おうか、余程の事態でなければロジックプロ7には触れないような気がする。それほどロジックプロ8の進化は凄まじかった。
Vision、Studio Visionという、いかにもMacらしいソフトウェアからDTMに入門して、録音物をグラフィック同様に扱えることに驚嘆し、その瞬間「いつか大きなスタジオでレコーディングして――」という夢想が、良くも悪くも吹き飛んでしまった過去がある。だからロジックプロ7の、機材裏の配線を覗きこんでいるようなユーザー・インターフェイスには馴染めなかった。同8のインターフェイスは、在りし日のスタジオヴィジョンとほぼ同等である。マニュアル要らず。にも拘わらずマニュアルブックも出色の出来。
音色も7よりふくよかな気がするのだが、これはパソコンの違いかもしれない。
〈きっと食べてね〉制作に則して記すと、ミキコ、ビアンコによる生ギターと歌だけの仮演奏に、奥野のドラムを重ね、僕が思い付きの間奏をリッケンバッカーで入れ、太朗がうちにやってきてベースを入れ――というところまではパワーブック+ロジックプロ7でおこなった。
そこでマックミニを導入。更に大人というか焼糞というか、StealthPlugなるエレキ用インターフェイスを、やっと利用できる日が来たぜとこれも購入。バンドルされているアンプシミュレイターAmpliTube 2 Liveで遊んでいたら、案件だったリズムギターの音が簡単に決まり、ほんの短時間で録れてしまった。
ギタリストとして、人として、尻上がりの進歩を遂げた二〇〇七年であったと独りむせび泣いた。僕は演奏する時だけは決して酒を飲まない。いきおい演奏可能な時間は限られている。リズムギターといっても割に凝ったことをやるので、勢いよく録りきるのは結構難儀なのだ。
大概、機材を並べケーブルを繋ぎ、マイクやアンプの、これという位置や音量を探しているうちに日が暮れる。暮れたら飲まねばならない。セッティングには触れぬようにして、録りは翌日にまわす。翌日その場所に行くと犬が滅茶苦茶にしている。
今はなにか思いついたら、その五分後には試し録りしている。夢のようだ。夢か?
機材面より実は、ヌートリアスを始めてビアンコくんとやり取りするようになったことが、より大きく作用しているとも感じる。彼には編輯者のようなところがあって、特に催促してくるとかではないのだが、じゃあこういう手順で、とおおまかなスケジュールを決めてくれる。すると僕のなかに〆切が生じる。
ギターの音決めにしても、後でビアンコくんが駄目だと感じれば、変えてしまうか弾き直しを要請してくるだろうから、逆に自由闊達に弾いてしまえばいいのだと気楽でいられる。頭のなかで鳴っている音を弾けばいい。
いかしたリズムを奏ではじめていたパワーブックのハードディスクも、ついでとばかりに交換。相変わらずOSXとLogic Pro 7は入っているが、音楽に対しては緊急用と位置づけている(執筆は未だ、専らOS9)。と云おうか、余程の事態でなければロジックプロ7には触れないような気がする。それほどロジックプロ8の進化は凄まじかった。
Vision、Studio Visionという、いかにもMacらしいソフトウェアからDTMに入門して、録音物をグラフィック同様に扱えることに驚嘆し、その瞬間「いつか大きなスタジオでレコーディングして――」という夢想が、良くも悪くも吹き飛んでしまった過去がある。だからロジックプロ7の、機材裏の配線を覗きこんでいるようなユーザー・インターフェイスには馴染めなかった。同8のインターフェイスは、在りし日のスタジオヴィジョンとほぼ同等である。マニュアル要らず。にも拘わらずマニュアルブックも出色の出来。
音色も7よりふくよかな気がするのだが、これはパソコンの違いかもしれない。
〈きっと食べてね〉制作に則して記すと、ミキコ、ビアンコによる生ギターと歌だけの仮演奏に、奥野のドラムを重ね、僕が思い付きの間奏をリッケンバッカーで入れ、太朗がうちにやってきてベースを入れ――というところまではパワーブック+ロジックプロ7でおこなった。
そこでマックミニを導入。更に大人というか焼糞というか、StealthPlugなるエレキ用インターフェイスを、やっと利用できる日が来たぜとこれも購入。バンドルされているアンプシミュレイターAmpliTube 2 Liveで遊んでいたら、案件だったリズムギターの音が簡単に決まり、ほんの短時間で録れてしまった。
ギタリストとして、人として、尻上がりの進歩を遂げた二〇〇七年であったと独りむせび泣いた。僕は演奏する時だけは決して酒を飲まない。いきおい演奏可能な時間は限られている。リズムギターといっても割に凝ったことをやるので、勢いよく録りきるのは結構難儀なのだ。
大概、機材を並べケーブルを繋ぎ、マイクやアンプの、これという位置や音量を探しているうちに日が暮れる。暮れたら飲まねばならない。セッティングには触れぬようにして、録りは翌日にまわす。翌日その場所に行くと犬が滅茶苦茶にしている。
今はなにか思いついたら、その五分後には試し録りしている。夢のようだ。夢か?
機材面より実は、ヌートリアスを始めてビアンコくんとやり取りするようになったことが、より大きく作用しているとも感じる。彼には編輯者のようなところがあって、特に催促してくるとかではないのだが、じゃあこういう手順で、とおおまかなスケジュールを決めてくれる。すると僕のなかに〆切が生じる。
ギターの音決めにしても、後でビアンコくんが駄目だと感じれば、変えてしまうか弾き直しを要請してくるだろうから、逆に自由闊達に弾いてしまえばいいのだと気楽でいられる。頭のなかで鳴っている音を弾けばいい。