ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

津原はよく喧嘩するという噂について

2009-10-10 14:00:00 | マルジナリア
 新作の打合せを兼ねて出向いた某社(伏せる必要はないんだが念の為)新人賞受賞パーティ。書評家某氏(これも本当は伏せる必要無し)から「また喧嘩したの」と問われる。してませんってば。いま京都の某イヴェント会場に居ないのはお金が無いからだ。厳密には、現在は多少有る。しかし一昨日まではまるきり無くて、交通費を捻出できる確証がなかったので、予約期限に間に合わなかった。誤解を招くといけないからちゃんと本当の理由を伝えてほしいと云ってあったのに、変に遠慮されてしまったんだろうか。
 僕は副業を持たないので、収入は原稿料と印税のみである。出版業界の人だったら、大凡の年収は想像できるだろう。とりわけ書下ろしをやっている間は完全無収入で、担保にできる資産も無いから、しばしば家財を売らねばならないほど困窮する。貧乏を恥ずかしいと思った事はないので、今後、同様の誤解を招かない為にもここに明言しておきます。

 そんな貧乏人がなんで楽器をいっぱい持っているんだと思われるかもしれないが、他になにも持っていないんである。自動車も電子レンジも無い。楽器にしたって十万円以上した物は数える程で、なにしろメインギターからして買値は五万円。キャリア三十年のギター弾きとしては特異じゃなかろうか。幽明志怪の伯爵と猿渡が豆腐を好きなのは、豆腐だったら名店を巡って味を確認できたからで、蟹の話は想像で書いた。舞台に井の頭公園がよく出てくるのは、当時、あそこなら歩いていって取材できたからだ。

「某誌とは喧嘩したの」とまた問われる。してないってば。昨今は不況につき誌面が縮小されることが多く、執筆媒体がウェブ中心に移行しているだけ。ちゃんと原稿料は頂けるので、こちらとしてはなんの文句もない。雑誌、単行本、文庫本と版元が変わる事が多いのは、「出したい!」と仰有る版元に采配をお任せしているからで、担当者同士が話し合って決めているのである。ルピナスが良い例で、ある版元にとってはお荷物の原稿が、別の版元には有用だったりする。

 喧嘩っ早かったら、二十五年も同じバンドを続けられるものか。この歳で兄弟仲が良いもんか。
 広島人の特質で喋り口調がきっぱりしている。眼が悪いので表情が厳めしい。文章もこんな感じで顔文字等とは無縁だ。余りに違う土壌に生まれ育った人から、あの人は怒っているんじゃないかと誤解される事が、ままあるのは認める。陰口を好まないので、「それは違うだろう」と思えば本人に云う。
 ここ四半世紀で本当に喧嘩と思ってやった喧嘩は、出版業界とは一切関係のない一度だけで、暴力こそふるわないものの、相手に恩情なくば刑務所に入れられかねないほど、それは無謀な喧嘩だった。家族を守るため「しばし鬼になります」と仏壇に手を合わせた後、踏み切った。男の喧嘩というのはそういうものでしょう。

 さて、昨夜打合せをした集英社のT君、「著者のぶんです」と韓国から送られてきたばかりのハングル版『赤い竪琴』を何冊も持ってきてくれた。思いがけず立派なハードカヴァーで感激したのだが、残念乍ら僕にはまったく読めない。読めたところで内容は知っているし。
 そこで、お読みになれる方やそういう利用者が多い施設に、一冊ずつですが(御希望ならば署名入りで)寄贈しようと思います。公式サイト【aquapolis】トップ頁の僕の名前をクリックすれば、パソコンのメールフォームが立ち上がると思います。基本的に先着順と思っているので、個人であれ団体であれ、まずは御一報ください。