ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

『百歳の少年』#1

2009-07-31 19:11:00 | マルジナリア
 Twitterへの加入者が急増しているらしく、不具合の報告が相次いでいますので、暫定的に、ここに小説『百歳の少年』既存の部分を転載しておきます。こちらのテキストは感覚的な改行を含んでいます。また今後の更新形態は未定です。
 執筆はあくまで下(Twitter)を主軸におこないます。なるたけ併せてお読みください。
https://twitter.com/tsuharayasumi


  百歳の少年


 時間についてまじめに考えたこと、ある?
 これから紹介する男の子は、赤ん坊のころからずっとずっと、時間について思いをめぐらせてきた。
 楽しい空想というよりは、悩みに近かった。
 彼が思い悩んでいるあいだにも、時間はどんどんどんどん流れてっちゃうんだから、それは、世界でいちばん虚しい悩みだったかもしれない。
 いちばん、は大袈裟か。
 でももし、悩みの虚しさ比べなんてのが大々的におこなわれたなら、少なくとも世界大会級の虚しさだと思うんだな、僕は。
 僕? 僕はこの文章を書いている人間だ。
 僕はその男の子じゃない。
 彼のことはよく知っているし、自分に似ていると感じることもあるけれど、僕は彼じゃない。
 僕は彼のことが好きだから、ちょっと残念なんだけど。

 たとえば彼は、こんな悩み方をした。
 素晴しいひとときを過ごしている人は――ううん、人にかぎらず犬だって猫だって植物だって――みな、今が永遠に続いてくれたら、と願っているはずだ。
 この願いが叶ったなら、世界中が幸福だよ。
 食いしん坊には、食べても食べてもなくならないご馳走。
 スポーツマンは、ゴールを決めっぱなし。
 科学者は、新発見に次ぐ新発見。
 役者や芸人は、ずっとスポットライトの下。
 犬は大好きな飼い主の顔をなめ続け、猫はいつまでも撫でられて咽をゴロゴロ。
 植物にとっての素晴しいひとときがいつかってのは、ちょっと想像しにくいけど、きっと花の咲く草木だったら、多くが満開のあいだを選ぶんだろうね。
 打上げ花火なら――もし花火に心があったとしてだけど――空一杯に広がったときだ。
 なぜ現実は、そんな風にいかない?
 時間のせいだ。
 時間ってやつの、かならず過ぎ去ってしまう、律儀な性質のせいだ。
 にもかかわらず時間はどこにでもあって、ゼンマイ仕掛けやアンモナイトの化石みたいにぐるぐるしている。
 時間がぐるぐる巻きに流れるってのは、男の子の想像だけどね。
 でも、もし時間眼鏡ってのがあって時間を見ることができたなら、町のそこらじゅう、大小さまざま色とりどりの渦巻きだらけのはずだと、彼は今でも考えている。
 そんな渦巻きのひとつひとつを、ちょうどいいところで止めさえすれば、みんな悲しい思いも淋しい思いもせず、永久に幸福でいられる。
 すごい発見だ。
 言葉が話せるようになったら、みんなに教えてあげよう。
 ゼンマイもアンモナイトも、時間って単語すら知らなかった赤ん坊のころから、赤ん坊に特有のゼリービーンズみたいな言語でもって、彼はそこまで考えついていたんだ。
 でも男の子がもうすこし成長して、ゼリービーンズがチョコレート細工くらいになってくると、そう簡単な話でもないやと感じはじめた。
 渦巻きの止め方が分からないってのが大問題なのはもちろんだけど、それ以前に、ご馳走をおいしいと思うのにも猫がゴロゴロいうのにも、すこしは時間の流れが必要なんだよね。
 ただ止めればいいってもんじゃないらしい。
 そんな単純なことに気づかなかった昔の自分を、男の子はおおいに恥じた。
 若気の至りとはこのことだな、とひとり笑いもした。
 喋れなかったのは不幸中の幸いだった、と胸を撫でおろしもした。
 幼稚園に入ったら、うかつなことは口に出さないよう用心しなければ、と気を引き締めた。
 そして時間について、いっそうまじめに、ひとりで思い悩むようになった。
 時間の流れを渦巻きじゃなくて、輪っかにすればいいのかな。
 最高に気持ちのいい半日が、何度も繰り返すような感じに。
 でもそうしたら、科学者の新発見はぜんぶ、ちょっと前の発見、になっちゃうか。
 上の方で桜がどれほど咲いてたって、路はいつまでもピンクに染まってくれない。
 桜は、散る前の半日間に留まりたがるだろうからね。

 男の子は、桜のはなびらに埋もれた地面が好きだった。
 上を歩くと、王様になったような気がするもの。

 はなびらも踏ませてもらえないなんて、そんなのただの間違った世界だ、と男の子は考え直した。
 時間の止まった世界を想像すると、楽しい絵のなかに入れるみたいで居心地よさそうなのに、繰り返しの世界ってのは、なんだか苛立たしい感じがするしね。
 流れを、ただゆっくりにしてみたらどうだろう?
 素敵な時間だけを何倍、いや何十倍、できたら何百倍にも引き延ばすよう工夫するんだ。
 これは名案。
 一杯のメロンジュースを何百杯ぶんも楽しめる。
 桜のはなびらがひらひらとじゃなくて、ひらああああああありひらあああああああり落ちてくれるなら、ぜんぶ手でつかまえられるよ。
 いやや、だめだめだめだ。
 はなびらが遅いってことは、ぼくの動きも遅いんじゃないか。
 ジュースだって考えてみたら、何百分の一ずつ、とろとろとろとろとろとろ、かぶと虫みたいに舐めるのと同じだ。
 間違って叱られてる時間を延ばしちゃったりしたらそれこそ大変だし、危ない危ない、うっかり有能な科学者に電話で教えなくてよかった。

 きっと、そんな風にして赤ん坊のころからずっとずっと毎日毎日、時間のことばかり考えていたせいだろう――普通の子供の十倍も、時間に心を浸していたせいだろう、小学校に入り、学年が進み、十歳の誕生日を迎えたころには男の子はすっかり、百歳の老人の気分でいた。
 なんてことだ、もう百歳になっちゃったよ、と彼は鏡の前で溜息をついた。
 もちろん鏡に映っているの十歳の少年なんだ、普通の距離から覗いているうちはね。
 でも凄く近づいてみると、皮膚のいたるところに、ちりちりした細かい皺みたいなのが見える。
 そういえばこのところ体がだるいし、骨も動くたびにきしきし鳴ってるような気がする。
 まあ、そのときは風邪だったんだけどね。
「僕は死にます。だってもう百歳なんだもん。あんまり親孝行できなくてごめんね」と布団のなかから、殊勝にもお母さんに謝ったもんだ。
「じゃあ私はもうじき三百歳だわ」と笑い飛ばされて、なんだよ、簡単に死んでやるか、と考え直した。
 自分も歳に十を掛けたつもりらしいんだけど、なんでこういう場合にすら少なめに言うかな。
 男の子と両親は団地に住んでいて、お母さんの口が軽いから、男の子の家での言動は近所に筒抜けだ。
「うちの子、鏡が好きなのよ」「あら、危ないんじゃない?」なんて、人の悲劇を悲劇とも知らずに笑ってるの、ベランダから聞いたよ。
 若いっていいね、箸が転んでも可笑しくて。
 あんまり馬鹿にしてたら、いずれ百歳の悪知恵を駆使して、団地の全員、僕の前にひざまずかせてやるからな。
 絶対君主として君臨してやるからな。
 そしたら次はきっぱりと奴隸制を導入します。
 奴隷かどうかは僕が面接で決めます。
 と、そんな調子に周囲の無理解と静かなる戦いを続けてきて、ある意味で戦闘慣れしているといっていい男の子だったが、風邪のときのお母さんへの告白をクラスのネギが知っていたのには、驚きも怒りも超えて、ただ唖然となった。
 そのあとお腹の皮がよじれた。
 だって、どの時点で誰が聞き間違えたのか、ネギったら「お前、ハクサイなんだって?」と訊いてきたんだ。
 ネギっていうのは本当の苗字で、ちゃんと野菜と同じに葱って書くんだ。
 男の子は鼻から息が大噴出しそうなのを我慢しながら、「君は葱だけど僕は白菜じゃないよ」と教えた。
「そうだよな」とネギは、ちょっとがっかりしたみたいだった。
 ミドリちゃんは正確に、「あんた、百歳なの?」と訊いてきた。
 なんでミドリちゃんまで知ってるんだよ、と男の子は全身から力が抜けてしまい、膝は曲がり、肩は落ち、腰まで海老みたいに丸くなっちゃった。
 団地内でミドリちゃんを相手にする人なんて滅多にいないから、きっと人が噂話してるのをベランダから聞いたんだろう。
 誰がどう説得しても猫や鴉に餌をやるのをやめない彼女は団地の厄介者で、これまでにいろんなことがあったらしくて、苗字で呼んだら「今は違うわ」と怒ったりするから、みんな仕方なくミドリさんとかミドリちゃんと呼んでいる。
 だいぶ目が見えなくなっていて、男の子のことも別の誰かと勘違いして話しかけてきたりするんだけど、耳のほうはよく聞えてるみたい。
「うん、本当はね」と男の子は仕方なく答えた。「よって外見とのギャップに起因する問題が生じがちな昨今です」
「大丈夫よ。外見もちゃんと老けてるわ。だってあんた、すっかり背が縮んじゃってるじゃない」
「これから伸びるって気もするんだけどね」男の子はそこでニヒルに微笑み、厄介なことに、という終わりの部分は省略した。
 ミドリちゃんはおほほほほと耳障りに笑って、「百歳にもなって伸びるもんですか。あとは死ぬだけよ。でもお葬式には行ってあげない。だってあんた、私のお誕生日にプレゼント持ってきてくれなかったんだもの」
 ミドリちゃんは自分のことを十五歳くらいのお姉さんだと思っているけど、本当は九十五歳くらいなんだ。
 でもみんなから嫌われている最大の理由は、そういう勘違いや餌付け以上に、性格の悪さだと思うよ。

追悼ライヴ詳細

2009-07-11 09:46:00 | ライヴ
「BLUE VELVET NIGHT vol.99 忌野清志郎追悼 COVER LIVE:ライヴハウス・ロッカーズからありがとう!」於渋谷「青い部屋」7/25(土)の告知です。趣旨はタイトル通りにて説明は不要かと。もちろんカヴァー中心の一夜。収益と出演者からの志は、慎んで御遺族に送られます。

 イヴェントはオールナイト。ただしラヂオデパートの演奏は、終電の早い週末でも安心な20:20より。
 なにぶん出演者が多いためライヴハウスにありがちなオシは皆無、むしろ後半戦を気づかってのマキ(早まること)すら予想され、早めの御来場をお薦めします。

【BLUE VELVET NIGHT vol.99 忌野清志郎追悼 COVER LIVE】
日時:2009/7/25(土) 19:00~
料金:2,000円+お飲み物
場所:渋谷「青い部屋」03-3407-3564
http://www.aoiheya.com/
出演:川井瑞樹、麻子、CHIGWO、ラヂオデパート、オサ、NO GENERATION、シャローズ、ハローズ、PEACOCK BABIES、布谷文夫&ブルースブレイカーズ、モンゴル松尾、RISKY DRIVE SHOW、TIME ROLL、ドリモグダーズ、NUKUMI&CHAINGANG、キャラメルマック、ミネラル兄弟、ELK(出演順)

 青い部屋のサイトにあるフライヤーの忌野氏が、なんとも云えず素敵。この人、好き。

百歳の少年

2009-07-10 23:59:00 | マルジナリア
 Twitterで小説を書くという試みを始めた。『百歳の少年』という。
https://twitter.com/tsuharayasumi

 Twitter上には既に円城塔氏が超短篇を書き溜めておいでだし、他にも先例があるかもしれない。よって新奇なアイデアではない。
http://twitter.com/EnJoe140

 僕の小説は元々充分に短いので、超短篇には目下さほど興味が無い。中篇程度の物語を一行ごとぶつ切りに出していく心算である。
 物語は何年も前から全文に近く頭の中にある。白いノートを開いて朗読をでっち上げられるくらい出来上がっている――適当な発表の場と、時間と、精神の余裕に恵まれなかっただけで。

 Twitterの表示は読み捨て読み流しに特化しているので、あるていど進んだ時点で最初から読もうとなさる方には御苦労かと思う。簡単に最初から読み直せる機能も用意されているのだろうか? よく知らない。あんまり苦情が多くなったら、古い部分は何処かに公開し直せばよかろう。此処かもしれない。

 一行ずつ制作プロセスを公開する訳だから、大きな軌道修正は効かない。また転記を始めてから気づいたのだが、百四十字という一発言の制約の一方、発言数に制約はないので、簡潔だが回りくどい、不思議な文体が出来上がる。
 不自由さが、新たな可能性を示唆してくれることが、人生にはある。それに期待している。

ベリンガーの実力

2009-07-01 06:22:00 | 他の機材
 公募へのエントリーに言及して以降、連日、着実な御投票を賜っている。バンド一同、心から感謝しています。
 上位の方々の得票数が半端ではないので順位がなかなか動かないのだが、たちまち地下に追いやられるでもなく、ある程度の位置に食い下がれているというのは、最初の篩い分けは生き残ったという事だと、少なくとも小説の経験からは思う。
 なによりエントリーにまつわる作業と思索が、凄まじく勉強になっている。自分の創る舞台や音像への意識が、生業たる小説と同等にシビアになってきた。もはや音楽は、楽しい趣味ではない。しかし悩むことが最大の趣味である僕には、この精神状態が最も楽であったりもする。

 ただ「なんとなく好き」だったCDの聴き方が、分析的になる。このミックスはどの帯域を強調して迫力を出そうとしている、等と考えはじめ、するとそこばかりが耳につくようになる。
 新しいヘッドフォンを買った。同じソニーだが、使い古しとはとうぜん音が違う。その差異から、世間一般のリスニング環境の幅が類推できる。本当はできていないのだが、疑似的な確信が生じる。幾多の問題をクリアできそうな音像が、頭の中に響きはじめる。現状での理想。
 冴えない現実を、懸命にそれに寄せていく泥臭い努力こそ、創造であると僕は考える。この信条は死ぬまで変わるまい。

 立派な結論を述べられるような話題ではないので、本日は自由連想式に、逸れていくに任せる。
 ヘッドフォンはサウンドハウスという通販業者から買った。ついでにBEHRINGERの安い機材も注文しておいたら、全部がまとめて届いた。
 一つはTO800というストンプボックス――ギター用のオーヴァドライヴ。アイバニーズのTS808を愛用している事は何度も書いてきたが、緑色の筐体も品番も似ているし、なにより二千円台と安く、以前から気になっていた。
 家の小さなアンプでだが、TS808と並べて試奏してみた。アンプを多少歪ませて、そこにLEVELを思い切り上げた信号を送り込む、オーヴァドライヴの典型的な使用法。
 結論。そんなに変わらない。ライヴハウスで眼を閉じて弾いたら、きっとどちらか分からない。(本来、アイバニーズとはブランド違いに過ぎない)マクソンとの差異の方が大きいかもしれない。厳密に云えばハイポジションの音が少々違う。TS808のほうが鼻詰まりと云うか、太った猫が唸っているようなニュアンスがある。僕が好むこの音色を、嫌いだという人もいるだろうから、だとしたら大変お買い得である。
 いずれライヴハウスのリハーサルでも試して、結果を報告したい。

 もう一つはHB01。HELL-BABEという、無神経な感じの愛称が付いた、多機能ワウペダル。
 こいつの出来には驚いた。ヴォクスやそれ系の高級ペダルより、僕はこちらを推す。これが三万円台の商品だったら、みな有り難がって絶賛するのだろう。実際には三千円台(サウンドハウス)である。
 踏むと内部でLEDが点灯し、それをセンサーが検知してスイッチが入るという、光学式。同方式ではMORLEYというメイカーが有名だが、残念乍ら僕はそちらを弾いた(踏んだ)経験が無い。筐体が物々しいので、欲しいと思った事も。
 地獄のベイブね――と強く印象に残っていたのは、ウェブ上でもプラスチックと分かる、軽々しさ故だ。ワウペダルは大概、石のように重い。舞台での安定感を求めての一つの結論なんだろうが、この点が、僕のような電車移動ギタリストには苦痛でならない。
 ヘル・ベイブはやたら軽い、という記述を見た事もあったので、だったら音質や機能に目を瞑ってでも――という心算だった。ところがいざ届いてみたら、意外な重量感。プラスチック乍ら、体感としてはクライベイビィの七割程度。やや落胆した。
 どこが重いのかと調べてみたら、なんと裏蓋。重たい金属を使って、ことさら重量を増してある。軽すぎるとクレームでもあって、仕様変更されたのだろうか?

 全体のデザインはクライベイビィにそっくり。そこに「これでもか」と機能が盛り込んである。
 筆頭は、前述の光学式スウィッチ。通常のワウの「強く踏み込むとオンになる」システムは、スウィッチの入れ損ない、切り損ない、思いがけないオフ、が多発する。その完璧な解決。ペダルには撥条が仕込んであって、足を離せば自動的にオフになる。
 しかしこの仕様を知った瞬間の、「足を乗せた瞬間にオン」という僕のイメージは、残念乍ら裏切られた。多少遊びがあったのち、体感的には四分の一くらい踏み込んだところで、やっとオンになる。僕には些か不快で、ちょっとした改造を施した。後述する。
 撥条の強さも調整できるようだが、初期設定で問題なかったし、どうやら長い六角レンチが必要そうなのでまだ試していない。

 踏み戻すたびオフになるかと思いきや、裏側にTIMER ADJという半固定のネジ穴があり、オフになる迄のタイムラグを設定できる。つまり完全に踏み戻してしまっても、任意のあいだ効果が持続するので、その間にまた踏み込めばワウワウ領域に留まることができる。このタイムラグをフレーズの癖に合わせて設定すれば、ソロ中の「一音にだけ」ワウを掛けるといった曲芸も可能。
 ユーザーレビュウでこのペダルを悪し様に語っている人々は、こうした設定を使いこなしていないか、そもそも気付いていないのではなかろうか。

 RANGEのツマミで、ワウワウ領域の高低を設定できる。このツマミは大きいしクリックが付いているので、ライヴ中にも変えられる。

 足先でオン/オフできるブースターが付いている。説明書きには、効くのは「ワウがオンの時」とあるが、オフの時も影響するようだ。今のところオフで充分と感じているが、ライヴ中にはついスイッチを入れてしまうかも。もちろんブースト量も設定できる。

 Q及びFINEというツマミで、いちばん踏み込んだ時のフィルターカーヴや周波数帯域を調整できる。要するにワウワウ領域専用のパラメトリック・イコライザー。

 アウトプットが二つある。一つはワウの効かないドライ。地味なおまけだが、こういうのは意外と便利なのだ。即ちヘル・ベイブを持参していれば、ライヴハウスのアンプを二台同時に使う事ができる。ドライの方に別のワウを挟んで、左右のアンプで別々のワウ、という夢のような事も可能。立って演れたら、君は神と呼ばれるだろう。
 これだけ天こ盛で三千円台。音色も、バイパス時の音質も、僕の使い方に於いては文句の付けようが無い。これ程の名機が雑誌のワウ特集でレビューされないのは、価格差が激しすぎて「他はなんなの?」となるからだろう。

 光学式スウィッチ部の改造について。
 四本のネジを抜いて裏蓋を外し、電池の入った、且つインプットジャックにケーブルを挿し込んだ状態で、ペダルを動かすと、どこいらでどのパーツが光り、どのセンサーがそれを捉え――といった仕組みが理解できると思う。発光体とセンサーは同じ基盤上に貼り付けられており、基盤は二本のネジで筐体に留まっている。この基盤を浮かせて固定することにより、ペダルの踏み込み開始からワウ領域までの、物理的距離を調整できる。
 僕はガムテープで厚みを調整したワッシャーを、基盤の下に咬ませた。快適な使用感となった。
 云っておくけれど僕は、この種のペダルを極めて繊細に踏むタイプである。例えばワウを、ちゃうわうと前後限界まで踏む事は滅多にない。体重は完全に反対の脚に預け、足先で絵を描くくらいの細かさでもって、フレーズに合わせて動かすのが基本だ。そうではない人が多いから、このヘル・ベイブは遊びを大きく設け、「いや、まだオンじゃなくて」を避けてあるのだろう。
 だから「うおりゃワウ」と飛び込むように踏んでしまう人に、この改造は勧められない。上述のTIMER ADJの設定で充分。
 かといって「よって改造は自己責任で」なんてケチな事も云わないよ。もし改造に失敗して「津原のせいで損した」と思われたら、メールをください。購入価格相応の、サイン入り書籍と交換してあげます。予備も欲しいから。

 更に話題は流転する。
 以前、ユニヴァイブに言及したら、ラッコ☆戦士のkikuさんが、「これ使ってください」とダンロップのROTOViBEを貸してくださった。うねりの速度をコントロールできるコーラス/ヴィブラート・ペダル。ありがとう。優しい方が世の中には居るものだ。
 kikuさんは「びっくりするくらいセコいですよ」と謙遜なさっていたが、なんの、ラヂデパのリハーサルで使ってみて、夢かと思った。我々が演奏するRCの〈よそ者〉や、一方〈亀と象と私〉といったファンキーな曲には、もはや不可欠な機材と化している。
 僕のギターではフロント・ピックアップの方が掛かりが良いようだ。効果の特性上、リアだと低音が薄まり易い。kikuさん仰有る「セコい」はこの事かな? しかし無意味なくらい頻繁にピックアップを切り替える僕には、なんの問題も無い。
 それに繰り返しになるけれど、本当、僕はペダルを「なにが悲しいの?」というくらい、ちまちまと操作する。この操作法において、ロトヴァイブは無敵のエフェクターと思える。ワウかロト、と選択を迫られたなら、即座にロト。そのくらい。
 これまた重いんだけど、可愛いロトの重さと思えば、絶対に我慢できる。そのくらい。