Twitterへの加入者が急増しているらしく、不具合の報告が相次いでいますので、暫定的に、ここに小説『百歳の少年』既存の部分を転載しておきます。こちらのテキストは感覚的な改行を含んでいます。また今後の更新形態は未定です。
執筆はあくまで下(Twitter)を主軸におこないます。なるたけ併せてお読みください。
https://twitter.com/tsuharayasumi
百歳の少年
時間についてまじめに考えたこと、ある?
これから紹介する男の子は、赤ん坊のころからずっとずっと、時間について思いをめぐらせてきた。
楽しい空想というよりは、悩みに近かった。
彼が思い悩んでいるあいだにも、時間はどんどんどんどん流れてっちゃうんだから、それは、世界でいちばん虚しい悩みだったかもしれない。
いちばん、は大袈裟か。
でももし、悩みの虚しさ比べなんてのが大々的におこなわれたなら、少なくとも世界大会級の虚しさだと思うんだな、僕は。
僕? 僕はこの文章を書いている人間だ。
僕はその男の子じゃない。
彼のことはよく知っているし、自分に似ていると感じることもあるけれど、僕は彼じゃない。
僕は彼のことが好きだから、ちょっと残念なんだけど。
たとえば彼は、こんな悩み方をした。
素晴しいひとときを過ごしている人は――ううん、人にかぎらず犬だって猫だって植物だって――みな、今が永遠に続いてくれたら、と願っているはずだ。
この願いが叶ったなら、世界中が幸福だよ。
食いしん坊には、食べても食べてもなくならないご馳走。
スポーツマンは、ゴールを決めっぱなし。
科学者は、新発見に次ぐ新発見。
役者や芸人は、ずっとスポットライトの下。
犬は大好きな飼い主の顔をなめ続け、猫はいつまでも撫でられて咽をゴロゴロ。
植物にとっての素晴しいひとときがいつかってのは、ちょっと想像しにくいけど、きっと花の咲く草木だったら、多くが満開のあいだを選ぶんだろうね。
打上げ花火なら――もし花火に心があったとしてだけど――空一杯に広がったときだ。
なぜ現実は、そんな風にいかない?
時間のせいだ。
時間ってやつの、かならず過ぎ去ってしまう、律儀な性質のせいだ。
にもかかわらず時間はどこにでもあって、ゼンマイ仕掛けやアンモナイトの化石みたいにぐるぐるしている。
時間がぐるぐる巻きに流れるってのは、男の子の想像だけどね。
でも、もし時間眼鏡ってのがあって時間を見ることができたなら、町のそこらじゅう、大小さまざま色とりどりの渦巻きだらけのはずだと、彼は今でも考えている。
そんな渦巻きのひとつひとつを、ちょうどいいところで止めさえすれば、みんな悲しい思いも淋しい思いもせず、永久に幸福でいられる。
すごい発見だ。
言葉が話せるようになったら、みんなに教えてあげよう。
ゼンマイもアンモナイトも、時間って単語すら知らなかった赤ん坊のころから、赤ん坊に特有のゼリービーンズみたいな言語でもって、彼はそこまで考えついていたんだ。
でも男の子がもうすこし成長して、ゼリービーンズがチョコレート細工くらいになってくると、そう簡単な話でもないやと感じはじめた。
渦巻きの止め方が分からないってのが大問題なのはもちろんだけど、それ以前に、ご馳走をおいしいと思うのにも猫がゴロゴロいうのにも、すこしは時間の流れが必要なんだよね。
ただ止めればいいってもんじゃないらしい。
そんな単純なことに気づかなかった昔の自分を、男の子はおおいに恥じた。
若気の至りとはこのことだな、とひとり笑いもした。
喋れなかったのは不幸中の幸いだった、と胸を撫でおろしもした。
幼稚園に入ったら、うかつなことは口に出さないよう用心しなければ、と気を引き締めた。
そして時間について、いっそうまじめに、ひとりで思い悩むようになった。
時間の流れを渦巻きじゃなくて、輪っかにすればいいのかな。
最高に気持ちのいい半日が、何度も繰り返すような感じに。
でもそうしたら、科学者の新発見はぜんぶ、ちょっと前の発見、になっちゃうか。
上の方で桜がどれほど咲いてたって、路はいつまでもピンクに染まってくれない。
桜は、散る前の半日間に留まりたがるだろうからね。
男の子は、桜のはなびらに埋もれた地面が好きだった。
上を歩くと、王様になったような気がするもの。
はなびらも踏ませてもらえないなんて、そんなのただの間違った世界だ、と男の子は考え直した。
時間の止まった世界を想像すると、楽しい絵のなかに入れるみたいで居心地よさそうなのに、繰り返しの世界ってのは、なんだか苛立たしい感じがするしね。
流れを、ただゆっくりにしてみたらどうだろう?
素敵な時間だけを何倍、いや何十倍、できたら何百倍にも引き延ばすよう工夫するんだ。
これは名案。
一杯のメロンジュースを何百杯ぶんも楽しめる。
桜のはなびらがひらひらとじゃなくて、ひらああああああありひらあああああああり落ちてくれるなら、ぜんぶ手でつかまえられるよ。
いやや、だめだめだめだ。
はなびらが遅いってことは、ぼくの動きも遅いんじゃないか。
ジュースだって考えてみたら、何百分の一ずつ、とろとろとろとろとろとろ、かぶと虫みたいに舐めるのと同じだ。
間違って叱られてる時間を延ばしちゃったりしたらそれこそ大変だし、危ない危ない、うっかり有能な科学者に電話で教えなくてよかった。
きっと、そんな風にして赤ん坊のころからずっとずっと毎日毎日、時間のことばかり考えていたせいだろう――普通の子供の十倍も、時間に心を浸していたせいだろう、小学校に入り、学年が進み、十歳の誕生日を迎えたころには男の子はすっかり、百歳の老人の気分でいた。
なんてことだ、もう百歳になっちゃったよ、と彼は鏡の前で溜息をついた。
もちろん鏡に映っているの十歳の少年なんだ、普通の距離から覗いているうちはね。
でも凄く近づいてみると、皮膚のいたるところに、ちりちりした細かい皺みたいなのが見える。
そういえばこのところ体がだるいし、骨も動くたびにきしきし鳴ってるような気がする。
まあ、そのときは風邪だったんだけどね。
「僕は死にます。だってもう百歳なんだもん。あんまり親孝行できなくてごめんね」と布団のなかから、殊勝にもお母さんに謝ったもんだ。
「じゃあ私はもうじき三百歳だわ」と笑い飛ばされて、なんだよ、簡単に死んでやるか、と考え直した。
自分も歳に十を掛けたつもりらしいんだけど、なんでこういう場合にすら少なめに言うかな。
男の子と両親は団地に住んでいて、お母さんの口が軽いから、男の子の家での言動は近所に筒抜けだ。
「うちの子、鏡が好きなのよ」「あら、危ないんじゃない?」なんて、人の悲劇を悲劇とも知らずに笑ってるの、ベランダから聞いたよ。
若いっていいね、箸が転んでも可笑しくて。
あんまり馬鹿にしてたら、いずれ百歳の悪知恵を駆使して、団地の全員、僕の前にひざまずかせてやるからな。
絶対君主として君臨してやるからな。
そしたら次はきっぱりと奴隸制を導入します。
奴隷かどうかは僕が面接で決めます。
と、そんな調子に周囲の無理解と静かなる戦いを続けてきて、ある意味で戦闘慣れしているといっていい男の子だったが、風邪のときのお母さんへの告白をクラスのネギが知っていたのには、驚きも怒りも超えて、ただ唖然となった。
そのあとお腹の皮がよじれた。
だって、どの時点で誰が聞き間違えたのか、ネギったら「お前、ハクサイなんだって?」と訊いてきたんだ。
ネギっていうのは本当の苗字で、ちゃんと野菜と同じに葱って書くんだ。
男の子は鼻から息が大噴出しそうなのを我慢しながら、「君は葱だけど僕は白菜じゃないよ」と教えた。
「そうだよな」とネギは、ちょっとがっかりしたみたいだった。
ミドリちゃんは正確に、「あんた、百歳なの?」と訊いてきた。
なんでミドリちゃんまで知ってるんだよ、と男の子は全身から力が抜けてしまい、膝は曲がり、肩は落ち、腰まで海老みたいに丸くなっちゃった。
団地内でミドリちゃんを相手にする人なんて滅多にいないから、きっと人が噂話してるのをベランダから聞いたんだろう。
誰がどう説得しても猫や鴉に餌をやるのをやめない彼女は団地の厄介者で、これまでにいろんなことがあったらしくて、苗字で呼んだら「今は違うわ」と怒ったりするから、みんな仕方なくミドリさんとかミドリちゃんと呼んでいる。
だいぶ目が見えなくなっていて、男の子のことも別の誰かと勘違いして話しかけてきたりするんだけど、耳のほうはよく聞えてるみたい。
「うん、本当はね」と男の子は仕方なく答えた。「よって外見とのギャップに起因する問題が生じがちな昨今です」
「大丈夫よ。外見もちゃんと老けてるわ。だってあんた、すっかり背が縮んじゃってるじゃない」
「これから伸びるって気もするんだけどね」男の子はそこでニヒルに微笑み、厄介なことに、という終わりの部分は省略した。
ミドリちゃんはおほほほほと耳障りに笑って、「百歳にもなって伸びるもんですか。あとは死ぬだけよ。でもお葬式には行ってあげない。だってあんた、私のお誕生日にプレゼント持ってきてくれなかったんだもの」
ミドリちゃんは自分のことを十五歳くらいのお姉さんだと思っているけど、本当は九十五歳くらいなんだ。
でもみんなから嫌われている最大の理由は、そういう勘違いや餌付け以上に、性格の悪さだと思うよ。
執筆はあくまで下(Twitter)を主軸におこないます。なるたけ併せてお読みください。
https://twitter.com/tsuharayasumi
百歳の少年
時間についてまじめに考えたこと、ある?
これから紹介する男の子は、赤ん坊のころからずっとずっと、時間について思いをめぐらせてきた。
楽しい空想というよりは、悩みに近かった。
彼が思い悩んでいるあいだにも、時間はどんどんどんどん流れてっちゃうんだから、それは、世界でいちばん虚しい悩みだったかもしれない。
いちばん、は大袈裟か。
でももし、悩みの虚しさ比べなんてのが大々的におこなわれたなら、少なくとも世界大会級の虚しさだと思うんだな、僕は。
僕? 僕はこの文章を書いている人間だ。
僕はその男の子じゃない。
彼のことはよく知っているし、自分に似ていると感じることもあるけれど、僕は彼じゃない。
僕は彼のことが好きだから、ちょっと残念なんだけど。
たとえば彼は、こんな悩み方をした。
素晴しいひとときを過ごしている人は――ううん、人にかぎらず犬だって猫だって植物だって――みな、今が永遠に続いてくれたら、と願っているはずだ。
この願いが叶ったなら、世界中が幸福だよ。
食いしん坊には、食べても食べてもなくならないご馳走。
スポーツマンは、ゴールを決めっぱなし。
科学者は、新発見に次ぐ新発見。
役者や芸人は、ずっとスポットライトの下。
犬は大好きな飼い主の顔をなめ続け、猫はいつまでも撫でられて咽をゴロゴロ。
植物にとっての素晴しいひとときがいつかってのは、ちょっと想像しにくいけど、きっと花の咲く草木だったら、多くが満開のあいだを選ぶんだろうね。
打上げ花火なら――もし花火に心があったとしてだけど――空一杯に広がったときだ。
なぜ現実は、そんな風にいかない?
時間のせいだ。
時間ってやつの、かならず過ぎ去ってしまう、律儀な性質のせいだ。
にもかかわらず時間はどこにでもあって、ゼンマイ仕掛けやアンモナイトの化石みたいにぐるぐるしている。
時間がぐるぐる巻きに流れるってのは、男の子の想像だけどね。
でも、もし時間眼鏡ってのがあって時間を見ることができたなら、町のそこらじゅう、大小さまざま色とりどりの渦巻きだらけのはずだと、彼は今でも考えている。
そんな渦巻きのひとつひとつを、ちょうどいいところで止めさえすれば、みんな悲しい思いも淋しい思いもせず、永久に幸福でいられる。
すごい発見だ。
言葉が話せるようになったら、みんなに教えてあげよう。
ゼンマイもアンモナイトも、時間って単語すら知らなかった赤ん坊のころから、赤ん坊に特有のゼリービーンズみたいな言語でもって、彼はそこまで考えついていたんだ。
でも男の子がもうすこし成長して、ゼリービーンズがチョコレート細工くらいになってくると、そう簡単な話でもないやと感じはじめた。
渦巻きの止め方が分からないってのが大問題なのはもちろんだけど、それ以前に、ご馳走をおいしいと思うのにも猫がゴロゴロいうのにも、すこしは時間の流れが必要なんだよね。
ただ止めればいいってもんじゃないらしい。
そんな単純なことに気づかなかった昔の自分を、男の子はおおいに恥じた。
若気の至りとはこのことだな、とひとり笑いもした。
喋れなかったのは不幸中の幸いだった、と胸を撫でおろしもした。
幼稚園に入ったら、うかつなことは口に出さないよう用心しなければ、と気を引き締めた。
そして時間について、いっそうまじめに、ひとりで思い悩むようになった。
時間の流れを渦巻きじゃなくて、輪っかにすればいいのかな。
最高に気持ちのいい半日が、何度も繰り返すような感じに。
でもそうしたら、科学者の新発見はぜんぶ、ちょっと前の発見、になっちゃうか。
上の方で桜がどれほど咲いてたって、路はいつまでもピンクに染まってくれない。
桜は、散る前の半日間に留まりたがるだろうからね。
男の子は、桜のはなびらに埋もれた地面が好きだった。
上を歩くと、王様になったような気がするもの。
はなびらも踏ませてもらえないなんて、そんなのただの間違った世界だ、と男の子は考え直した。
時間の止まった世界を想像すると、楽しい絵のなかに入れるみたいで居心地よさそうなのに、繰り返しの世界ってのは、なんだか苛立たしい感じがするしね。
流れを、ただゆっくりにしてみたらどうだろう?
素敵な時間だけを何倍、いや何十倍、できたら何百倍にも引き延ばすよう工夫するんだ。
これは名案。
一杯のメロンジュースを何百杯ぶんも楽しめる。
桜のはなびらがひらひらとじゃなくて、ひらああああああありひらあああああああり落ちてくれるなら、ぜんぶ手でつかまえられるよ。
いやや、だめだめだめだ。
はなびらが遅いってことは、ぼくの動きも遅いんじゃないか。
ジュースだって考えてみたら、何百分の一ずつ、とろとろとろとろとろとろ、かぶと虫みたいに舐めるのと同じだ。
間違って叱られてる時間を延ばしちゃったりしたらそれこそ大変だし、危ない危ない、うっかり有能な科学者に電話で教えなくてよかった。
きっと、そんな風にして赤ん坊のころからずっとずっと毎日毎日、時間のことばかり考えていたせいだろう――普通の子供の十倍も、時間に心を浸していたせいだろう、小学校に入り、学年が進み、十歳の誕生日を迎えたころには男の子はすっかり、百歳の老人の気分でいた。
なんてことだ、もう百歳になっちゃったよ、と彼は鏡の前で溜息をついた。
もちろん鏡に映っているの十歳の少年なんだ、普通の距離から覗いているうちはね。
でも凄く近づいてみると、皮膚のいたるところに、ちりちりした細かい皺みたいなのが見える。
そういえばこのところ体がだるいし、骨も動くたびにきしきし鳴ってるような気がする。
まあ、そのときは風邪だったんだけどね。
「僕は死にます。だってもう百歳なんだもん。あんまり親孝行できなくてごめんね」と布団のなかから、殊勝にもお母さんに謝ったもんだ。
「じゃあ私はもうじき三百歳だわ」と笑い飛ばされて、なんだよ、簡単に死んでやるか、と考え直した。
自分も歳に十を掛けたつもりらしいんだけど、なんでこういう場合にすら少なめに言うかな。
男の子と両親は団地に住んでいて、お母さんの口が軽いから、男の子の家での言動は近所に筒抜けだ。
「うちの子、鏡が好きなのよ」「あら、危ないんじゃない?」なんて、人の悲劇を悲劇とも知らずに笑ってるの、ベランダから聞いたよ。
若いっていいね、箸が転んでも可笑しくて。
あんまり馬鹿にしてたら、いずれ百歳の悪知恵を駆使して、団地の全員、僕の前にひざまずかせてやるからな。
絶対君主として君臨してやるからな。
そしたら次はきっぱりと奴隸制を導入します。
奴隷かどうかは僕が面接で決めます。
と、そんな調子に周囲の無理解と静かなる戦いを続けてきて、ある意味で戦闘慣れしているといっていい男の子だったが、風邪のときのお母さんへの告白をクラスのネギが知っていたのには、驚きも怒りも超えて、ただ唖然となった。
そのあとお腹の皮がよじれた。
だって、どの時点で誰が聞き間違えたのか、ネギったら「お前、ハクサイなんだって?」と訊いてきたんだ。
ネギっていうのは本当の苗字で、ちゃんと野菜と同じに葱って書くんだ。
男の子は鼻から息が大噴出しそうなのを我慢しながら、「君は葱だけど僕は白菜じゃないよ」と教えた。
「そうだよな」とネギは、ちょっとがっかりしたみたいだった。
ミドリちゃんは正確に、「あんた、百歳なの?」と訊いてきた。
なんでミドリちゃんまで知ってるんだよ、と男の子は全身から力が抜けてしまい、膝は曲がり、肩は落ち、腰まで海老みたいに丸くなっちゃった。
団地内でミドリちゃんを相手にする人なんて滅多にいないから、きっと人が噂話してるのをベランダから聞いたんだろう。
誰がどう説得しても猫や鴉に餌をやるのをやめない彼女は団地の厄介者で、これまでにいろんなことがあったらしくて、苗字で呼んだら「今は違うわ」と怒ったりするから、みんな仕方なくミドリさんとかミドリちゃんと呼んでいる。
だいぶ目が見えなくなっていて、男の子のことも別の誰かと勘違いして話しかけてきたりするんだけど、耳のほうはよく聞えてるみたい。
「うん、本当はね」と男の子は仕方なく答えた。「よって外見とのギャップに起因する問題が生じがちな昨今です」
「大丈夫よ。外見もちゃんと老けてるわ。だってあんた、すっかり背が縮んじゃってるじゃない」
「これから伸びるって気もするんだけどね」男の子はそこでニヒルに微笑み、厄介なことに、という終わりの部分は省略した。
ミドリちゃんはおほほほほと耳障りに笑って、「百歳にもなって伸びるもんですか。あとは死ぬだけよ。でもお葬式には行ってあげない。だってあんた、私のお誕生日にプレゼント持ってきてくれなかったんだもの」
ミドリちゃんは自分のことを十五歳くらいのお姉さんだと思っているけど、本当は九十五歳くらいなんだ。
でもみんなから嫌われている最大の理由は、そういう勘違いや餌付け以上に、性格の悪さだと思うよ。