ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

絡む人々

2008-07-14 05:52:55 | マルジナリア
 金子國義展の初日にお祝いを述べに行き、その後の飲み会で康芳夫氏の傍らに呼ばれた。この自称虚業家、心優しき怪人物は、昔から「津原くん津原くん」とよく可愛がってくださるのだが、仕事上の繋がりはまるで無い。康さんがどこへでも出没なさるので、僕のように滅多に出掛けない人間でも否応なく出合ってしまう。で、「ちゃんと小説は書いているか」「はい、書いております」といった調子。
 向かいに神奈川近代文学館の方がおられ、同館での澁澤回顧展についてやり取りがあったあと、「ところでお仕事は」と問われた。「はあ、小説だけです」「フリーですか」「フリーですね」
 たかが十と何冊か、少女小説文庫を入れたら五十くらいだが、その程度で「小説家です」と名乗るのはこちらも躊躇いがあるので、こういう扱いは寧ろ心地よい。ただたまに、奇妙に絡んでくる人たちもいる。

 広島の小さな飲み屋で、こんなことがあった。
 たまたまギターのケースを提げていた。「音楽のお仕事?」と常連から問われた。面倒なので、こういう時はきっぱりと「趣味です」と答える。いちばん厄介なのは「何か弾いてみろ」と絡まれる事なのだ。
「じゃあ仕事は何?」「はあ、小説を書いております」「じゃあ小説家?」「まあ、そういう事になります」
 挙句、「本が出たら教えて。買ってあげるから」等と励まされるのが常で、これに抵抗感はない。自分のなかで「次の本」と解釈する事にして、素直に御礼を云う。
 しかしその晩は変な事になった。別の席にいた男が、「あんたが小説家かどうか決めるんは読者じゃ」と絡んできたのだ。
「ほうですね。確かに僕らも市場原理のなかで書かざるを得んし」「ほうじゃのうて、お前が決めるな云うとるんじゃ」「すみません、認めんと仰有る方も多いでしょう」
 相手が何を云いたいのかも分からないので、ともかく謝っておいた。せんの常連が「で、本はもう出そうなの?」と僕の機嫌をとる。「まあ、出とるのもあります」「凄いじゃない」
 ここでまた絡んできた。相変わらず意図が分からない。三度、それが続いた。
「僕にも読者はおりますし」と、さすがに腹が立ってきた。「ほうじゃなしに、なんで読者じゃなしにお前自身が決めるんか云うとるんよの」と異様にしつこい。「あの、失礼ですけど読者に認められとる真っ当な小説家いうたら、例えば誰のことなんですか」と訊いた。男は勢いを失って、「例えば、直木賞を獲った作家とかよ」

 出た。こういう輩は少なくない。文藝春秋の主催する二賞、芥川龍之介賞と直木三十五賞を、国家試験か何かのように誤解している。そしてそれは読者の総意によって決まる、という不思議な思い込みが、絡んできたこの男にはあったと思しい。
 創設者菊池寛さえ「出版社の宣伝」と公言していたこの二賞に限って、何故か報道番組が動いたりするので、突飛な誤解とまでは云いきれないのであるが、直木三十五という、恐らくその男は読んだことも観たこともなかろう作家/脚本家に、片時でも注目すれば、その名を冠した賞の本来の意義にくらい気づきそうなものだ。
 直木は、今の僕の歳で歿している。夭折とは云い兼ねるが、志半ばの感は否めない。ちなみに芥川の享年は三十五で、こちらも同様。

 二賞は、彼らにちなんだ新人賞だ。だから、著名人だが小説は初めて、なんて人がぽんと獲れたりする。ただし近年は「獲らせそこねていた人」への繰り下げ的な授賞も少なくないので、上記のような誤解が生じやすい。
 新人の時期を乗り切ってしまった僕なんぞは、即ち賞金による生活保護を必要としていないので、本来、対象外である。それを押しても保護したいと仰有る向きあらば、喜んで若者のふりをするが、誰にアピールすればいいのかよく分からん。
 ついでに解説しておくと、僕がこれまで書いてきたようなホラー、SF、探偵小説、幻想小説は、大衆文学とカテゴライズされるので、芥川賞の守備範囲ではない。芥川賞の候補作は、このところ純文学誌(文芸誌)掲載の中篇から選ばれるのが慣例。

「お前なんか文学賞も獲ってないくせに」と難癖をつけてくる人に、文春の二賞以外だったらなんだと問うと、まず間違いなく「江戸川乱歩賞」と抜かす。たまに「角川ホラー大賞」と云う人もいる。
 これらは公募賞である。基本的に素人が応募する賞だ。応募条件に「プロ・アマ問わず」とあったりするが、これは「一から出直しの人も受け容れる」という意味であって、著書が市場に出回っている僕のような人間が、別人の素振りで応募したなら、場合によっては詐欺として訴えられかねない。

 逆に業界内の人から、僕が文学賞を拒否しているかのように云われ、驚くこともある。偏屈とも見える作風が生んできた誤解だろう。欲しいか欲しくないかといったら、欲しいですよ。特に母が老いてきた近年は、そういう気持ちが強い。
 しかしそれは強欲に過ぎるとも思う。僕は既に奇蹟を起こしているからだ。少女小説書き津原やすみを支えてくださった(少年)少女たちが、大人となり、今は津原泰水の本を買ってくださる。これ程の幸運に恵まれた物書きは珍しいと、人からも云われるし、自分でも思う。

 金子展の宴に話を戻す。
 康さんがお隣のエキゾチックな美女に、「彼はな、恐ろしい小説を書くんだ」と仰有る。僕はこれを賛美と感じ、鳥肌が立った。成功するより、まずterribleな存在であり続けたいと願うものである。孤立しがちな、依怙地な魂の、絶対の味方たる唯一の方法として。
 くだんの美女は天野小夜子さんという。村上龍の映画や著書で拝見したお顔だ。後日、シンガーとして青い部屋などに出演されていると知った。来月ラヂオデパートも出演する。なんだ、じゃあ音楽の話をすればよかった。自己紹介下手は、こういう後悔が多い。

もうじき完成

2008-07-05 05:02:55 | 録音
 こんな怠慢なブログでも連日訪れてくださる方があるようだ。感謝。
 本業で変な番狂わせがあったせいでこのところペースが乱れ、ウェブ連載にも支障をきたす程だった。ヌートリアスの作業も中断してしまい、メンバーにも申し訳ない事をした。やっと作業が一段落した。

 以前も書いたが、1st CD『きっと食べてね』には、ヌートリアスとしての同曲以外、ミキコアラマータのラヂデパ曲カバー、ラヂオデパートによるミキコ曲カバーが収録される。お互いのファンへの挨拶状といったところ。ミキコは〈雲雀よ雲雀〉を取り上げてくださった。まだ途中経過しか聴いていないが、切ない曲想をよく捉えてくださっている。
 ラヂデパは『ライブアラマータ』に収録されている〈カーブを描く〉を選んだ。コード進行が雄大だし、とにかく歌詞が良い。余りに好きで、いざバンド演奏したらまるきりコピィになってしまい、これはいかんなとコード進行からして解体した。跳ねていたリズムも、ほぼイーヴンに。
 個人的には、ガットギター、12絃ギター、バリトンギター、ラップスチール、そしてマンドリンを重ねた。凡てエレクトリック。ビアンコが生ギターが上手いので、同じ事をやったら見劣りしてしまう。普通のギターが入っていないのが、なんだか自分らしいかなとも。コーラスを相当重ねたが、ビアンコによるミックスでどの程度残存するかは謎。僕の声は殆どミドルの塊なので、重ねるとアナログシンセのようになる。このノウハウは今後も使えそうだ。基本的に左右に二声ずつ、が丁度いいようだ。で、左右でちょっとだけ違うメロディを歌う。

 やたらと音を重ねるのを「誤魔化しだ」と批判なさる向きもあろうけれど、ステレオ再生自体が誤魔化しなのだから、そこにトリックを投入するのは恥ずかしい事でもなんでもないと思っている。生演奏だと伝わる音の大半が、平坦な録音物では消失してしまう。
「俺はいつも心のマンドリンが鳴っているから、それを具体化しただけだ」と嘯いているが、ある意味でこれは妥協の産物なのだ。しかし積極的な妥協である。小説で映像を表現しようとする人は、物凄く損をしていると、一人の小説家として思う。映像で言葉を伝えようとするのも同様。

 ライヴではライヴでしか出せない音。
 録音では録音でしか表現しえない事。
 昔はこんな生意気は云えなかった。演奏力がつき、テクノロジィもそれを後押ししてくれる現状だから、図々しくも云える。若い頃、二十以上の録音トラックを同時に扱えるようになるなんて、夢にも思わなかった。余りに自在なのが誰に対してだか分からんが申し訳なく、アナログでは出来ない継ぎ接ぎのような事はやっていない。この辺、頭が旧い証左だと自覚しているのだが、そうでもしないとどこで完成と見極めればいいのか、見当がつかないのだ。