ラヂオデパートと私

ロックバンド“ラヂオデパート”におけるギタリストとしての津原泰水、その幾何学的な幻視と空耳。

お前は関係ない

2009-10-13 07:07:00 | マルジナリア
 もうすこし若い時分はシーンについて考えていたような気がするのだが――いや、そうでもないか。

 少女小説の頃、ある作家が他作家の著書に激昂し、「なんでこんな代物を出す」と編輯部に怒鳴り込んだという話を耳にし、さすが業界人は熱いぜと感心した記憶がある。慥かにそれは、既存作のクライマックス(少女小説だから、男の子からプレゼントを貰うとか、手を繋ぐとか、接吻するとかの)場面だけを集めて一冊にしたという、未来の北原尚彦が感涙しそうな奇天烈本であった。レーベル中、偶さかあれを最初に手を取った人がいるとして、他は普通ですとは説明しにくいし、逆に似た物を求められても困る。

 しかし当時から非主流の烙印を押され、性別を誤解されがちなのをこれ幸いに、積極的に実像を隠されていた立場からは、余りに縁遠い出来事でもあった。「誰某の素晴しき世界」的な商品制作やプロモーションが、津原やすみに関してはあり得なかった。その在り方の是非を問うたところで「お前は関係ないだろう」と云われるだけなのだ。熱くなりようがない。
 交流イヴェントもインタビュウもNG。あとがきにも性別の知れる事は書けず、かと云って露骨な嘘も辛いので、仕方なく「私」「僕」といった一人称代名詞を廃して書いていた。どうやるのかと不思議に思われるかもしれないが、実はこの稿はそうして書いている。
 梅村崇君が検証したところ、全あとがき中、一人称代名詞は、ギャグで、「オイラ」だったかな? を語尾に付けた、一箇所だけだったそうだ。まあそのくらい、徹底した管理が可能な時代だったのだ。物書きの絶対数が、今より圧倒的に少なかった。
 刑務所から手紙を書いているようだったよ。

『妖都』で事情が一変した。小説すばるのインタビュウに出掛けていって、まず連れていかれたのは写真スタジオだった。先方にとっては常識だったらしく、事前に何も聞かされていなかったから、兔にも角にも驚いた。待機しておられた若い女性写真家の姿を、今もまざまざと思い出せる。強烈な照明を浴び、『未来世紀ブラジル』のラストシーンに放り込まれたような想いで、震え、脂汗を流しながら、じっと見つめ返していたから。