goo blog サービス終了のお知らせ 

鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅺ 347] ヨブ記巡禮  (16) / 神は剛速球の投手

2025-06-05 08:52:26 | 生涯教育

「ヨブ記」〈第9章〉後半では、ヨブは自分(人間)と神との間に立って裁きを行い、神の声を届け人間の声を届けてくれる「仲保者」の出現を強く意識しています。神と自分とは近い、近すぎるのだ、神の剛速球を直接キャッチするのはあまりに衝撃が強い、神の言葉は大きすぎて受け止め方も難しい、自分の言葉もあまりに微細で細すぎて神には伝わらないではないか、だからその衝撃を緩和して神の意思を中継ぎをしてくれる者が居て欲しい‥というヨブの強い願いです。鑑三翁の講演録ではこの部分については次のように記しています。

《三十二節以下はヨブ記中において最も注意すべき語の一である。「神は我の如き人にあらざれば、我かれに答うべからず、我ら二個(ふたり)して共に審判(さばき)に臨むべからず」と三十二節に言う。ヨブは神と己との間に充分なる交通の道なきを歎じたのである。そして三十三節にては「また我らの間には我ら二個の上に手を置くべき仲保あらず」といいて、彼は神と己との間に仲保者のなきを遺憾としたのである。「仲保あらず」というは仲保を欲する心を示した語である。欲しきものが無き故に、その無きを嘆いたのである。ヨブのこの叫びは、神の探求におのずと伴う仲保要求の最初の声である。旧約全体においてこれより以前にこの声はないのである。その声は短くかつ微(かす)かである。しかし人の本性より出ずる重大な叫びである。‥そして十九章二十五節に至れば「われ知る我を贖う者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん」といいて、仲保者出現の確固たる希望を歌っているのである。》(p.74-75)

鑑三翁は「ヨブ記」9章32節以下に注目してほしいと言う。すなわち[神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がいない。](9:32-33)の部分。そして鑑三翁も神と人間の間に仲保者がいない事を遺憾だと言っている。このような仲保要求の声は旧約聖書中にも「ヨブ記」以前にはなかったと言い、19章25節に至れば次のようにヨブは仲保者の出現を確信した言葉を述べるのだと言っている。すなわち[わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。](19:25)と。

私がくどくどと何度も仲保者の出現について述べるのは、ユダヤ教がキリスト教に発展するのはキリスト・イエスの出現によってであり、これはまごう事なき歴史上最大の「宗教革命」と言えるものだからです。

さて9章後半ではヨブの仲保者出現への強烈な願いを神の前に訴えた後、再び神の前で魂の苦しみを述べます。いつの間にか友人の存在はフェードアウトしているかのようです。〈第10章〉の解釈文です。

【 私は自分の命を厭うています。そこで私は自分の嘆きを包み隠さず言い表し、私自身の魂の苦しみの中から言葉を発したい。私は神に申し述べたい‥私を罪ある者としないでください。そして何ゆえ私と争われるのかその訳を教えてください。神よあなたは私を虐待し、神の御手の技を捨てて悪人どもの計画を明らかにして、それを良しとされるのですか。神よあなたの目は人間の目と同じように見ておられるのですか。神の過ごす日々は人間のそれと同じ日々なのですか。神の過ごす一年は人間の過ごす一年と同じなのですか。神よあなたは何ゆえ私のような者の咎を尋問して私の罪を調べられるのですか。神は私に罪のない事を知っておられるはずです。神よあなたの手から救い出すことのできる者はおりません。

神よあなたの手は私を形取り私を造りました。ところが神よあなたはその私を滅ぼそうとしている。神よあなたは覚えておられるはずです。あなたは土くれをもって私を作られたことを。ところがその私をあなたは塵に帰そうとされるのですか。神よあなたは私を母の胎内でつくり乳のように注いで私を乾酪のように固まらせ造ってくださったのです。神よあなたはその私に肉と皮を着せ骨と筋で私を編んで形成し、命と愛しみを与え私を尊いものとして守ってくださいました。そしてこれらの全ての事をあなたは知っており、私の人生の全てを知悉している事を私は知っています。

私がもし罪を犯せば、あなたは私に目を付けて私を罪から解き放たれない。私がもし悪いのであれば私は禍(わざわい)のある者です。例え私が正しくても私は頭を上げることはできません。私は恥だらけで悩みのさ中にあるからです。もし私が頭を上げれば、あなたはライオンのように私を追いかけて力のあるところを見せつけるでしょう。あなたは証人を次から次へと入れ替えて私を攻撃し、私に対する怒りを増して新しい軍勢を増やして私を攻撃するのでしょう。】(10:1-17)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« [Ⅺ 346] ヨブ記巡禮  (15) / ... | トップ | [Ⅺ 348] ヨブ記巡禮  (17) / ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

生涯教育」カテゴリの最新記事