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「出火奇観」は日没後が宜しいということは判りましたが、今日の私は逆に日没までに鵝鸞鼻までたどり着かねばならんので恆春のバスターミナルに戻りました。しかし、次の鵝鸞鼻方面行きは17:15分発で、平日は墾丁列車や墾丁街車(域内シャトルバス)も手前で折り返している模様。屏東客運のHPでは16:30分とあったはずですが、ダイヤ改正が反映されていないようです。ありがちな話と思いつつも、17:15分まで待つと日没までに回りきれないので、墾丁の宿泊先に向かい足を確保することにしました。
墾丁~鵝鸞鼻は片道10公里程度ありますので、筆談も交えてタクシーを確保。全行程TWD600(≒2100)円で商談成立。前日の花蓮に続いていい塩梅だったと思います。 船帆石
運ちゃんによると、この船帆石は別名「ニクソン岩」と称されているのだそうですが、在台米軍関係者が命名(また微妙な時期に微妙なネーミングをしたもんだ・・・・)したのでしょう。氏もその絡みなのか英語片言、日本語片言といった塩梅でしたが、南湾に美國(米国)子弟学校があるようですね。
砂島
台湾では貴重な美しい砂浜ですが、ここは立ち入り禁止の模様。
ガイド本で見た鵝鸞鼻公園内の白い灯台が見えてきましたが、高さは約20m程でしょうか。元は1883年に英国人の手により竣工したものだったようですが、空襲で破壊されたのではなかったかと。バシー海峡を見通すこの一角は昔から戦略的な要衝であったことがよく判りますね。
その傍らに石碑がありましたが、おやっと思って裏に回ると碑文に刻まれた文字の一部が「台湾×××」と削られたか、セメントで埋められているようです。恐らく「台湾総督・・・・」と続いていたものと思われますが、「台湾八景」の残り七つは帰国後の宿題ということに。
○日治時代・台湾日日新報が選定(投票)した「台湾八景」
→基隆旭岡、淡水河、八仙山、日月潭、阿里山、高雄壽山、鵝鑾鼻、太魯閣峡
○2005年・交通部観光局が選定した「台湾八景」
→台北101、台北故宮、日月潭、阿里山、玉山、高雄愛河、墾丁、太魯閣
公園内を散歩していて何やら既視感が・・・・まぁ、位置的に植物の分布等は同じでしょうから、三ヶ月前に放浪した小琉球(記事)と同じ光景に見えます。
台湾最南端は実は鵝鸞鼻公園とは別の場所ということで、この日最大のネタはここ攻略だった気がしますが、当然ガイド本等には出ていないので、Pote氏に「一度省道26号線を佳楽水方面に向かう感じですかね?」とうかがったところ、その通りだがさほど遠くはないとのことでした。入り口からは遊歩道を歩く感じですが、この手前で2~3人とすれ違った以外、この日は道中誰も見かけませんでした。
東経120度50分0秒。北緯21度53分59秒。ここが台湾最南端ですね。
やはり小琉球と同じく珊瑚礁からなる石灰岩で囲まれたゴツゴツした地形です。バシー海峡の向こうはフィリピンで、よく晴れた日は一望できるのではないでしょうか。海洋に囲まれたクロスロードという台湾の地勢を改めて思い知らされます。
〔備忘録〕・・・・墾丁国家公園管理処(日本語)
再訪したいなと思いつつ・・・・・・・・・・
ノンビリ二、三泊したいなと思っている場所です。
その当時は換算レートもさることながら、外国に出るのは難儀な時代ですよね。日本語もバリバリ通用したんでしょうね。
あのとき使った有村産業の船が今月から燃料高騰の煽りを受けて運休だそうです。来年はぜひ船で・・・・と思っていたのですが。(泣)
日本語はお年寄り・・・40代以上に方は大丈夫でしたね。でも若者はぜんぜん駄目でもっぱら同世代は英語でした。
有村産業の船は残念ですね。留学生が三月にあれで帰ってみたと言っていました。
>日本語はお年寄り・・・40代以上に方は大丈夫でしたね。でも若者はぜんぜん駄目でもっぱら同世代は英語でした。
そっかぁ、70年当時の40歳は終戦時に中学卒業。その方々も今は78歳ですね。
国府が「大陸反攻」とか止めてその分の軍事費を75年当時に新幹線に使っていれば、台湾新幹線の共通言語は国鉄仕込みの日本語だったでしょう。(爆)