私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

「高砂義勇兵」祈念碑再公開へ:台北県烏來郷

2008年06月06日 | 台湾
北投温泉周遊の標準所要時間を3時間半と記す一方、小琉球環島旅遊が2時間半などと、我ながら滅茶苦茶だと呆れる「個人的な旅行(写真)の記録」ですが、何年何月何日に何処に行ったという記録はごく稀に役立つことが。06年の2月13日に「台湾高砂義勇隊」の慰霊碑を訪問したのですが、移設されたのはその5日前だったなぁ・・・・

◆「高砂義勇兵」記念碑封鎖で公開協議(産経)

    

曝布公園に移設されてわずか1週間程度で〝封鎖〟された祈念碑ですが、白糸の滝が一望できる風水的にも最高の高台にありましたね。

    

日章旗のみが多数翻る光景を遠目に見た瞬間、少なからず困惑(記事)したことを思い出します。「高砂義勇軍の歴史を記念碑として残すことは重要だが、日本国旗を飾り日本語で「大和魂の復興」を強調しすぎると日本の軍国主義を鼓舞していると誤解される恐れがある」(原住民立法委員の孔文吉氏)という懸念はむべなるかなと改めて思います。

    

 (PHOTO: HUANG LI-HSIANG, TAIPEI TIMES)

<The structure comprises a series of stone tablets with inscriptions in Japanese that mourn the deceased soldiers, commend their bravery and sacrifice for Japan, narrate the history of the establishment of the team and express loyalty to the emperor of Japan. According to a local media report, many recent visitors to the park were confused by the sight of a large number of Japanese flags flying there and expressed their displeasure at the construction of the monument.>
(祈念碑の周りには戦死した兵士への哀悼の意を日本語で記した銘版をはめ込んだ石碑が置かれており、そこには義勇兵らの勇敢さや日本への犠牲的精神、義勇隊結成の歴史、天皇への忠誠心等が記されている。地元紙の報道によると、日本国旗が無数に翻る光景に困惑した観光客らは祈念碑の建立に不快感をあらわにしたという)

CNA配信の当時のTaipei Times紙の記事にはこのように記されていましたが、日本人の私でも引いた位ですし、『移設直後に台湾メディアが碑文を誤訳して報じ、これを下に県側は「日本の軍国主義をあおっている」と決めつけ、問題は一気に政治化』(産経)といった単なる言葉の行き違いが騒動の原点であったとはやはり思えません。有志による募金を募った立場の産経(とりわけ『還ってきた台湾人日本兵』を記した河崎前台北支局長)がその背景を掘り下げて報じていないのは遺憾ですね。

元の敷地にあった際の写真では、慰霊碑の両側に日章旗と青天白日満地紅旗がそれぞれ掲げられ、「日華両国の和解」といったテイストでしたし、李登輝氏が揮毫した碑の上部には十字架が備えられ「犠牲者への哀悼」を強く感じさせるものでした。ところが、曝布公園に移設される段の当初の計画では、これを軍服姿の高砂義勇兵に差し替えようとしたようなのです。その〝内幕〟を当時得意げにYahoo!の掲示板に記していた「関係者」には激しく違和感を覚えましたが、善意で寄付した人々の多くも祈念碑がそのまま無事に移設されることだけを望んでいたでしょう。問題点の多くは、祈念碑移設に関わった日本側「関係者」の意識のありようと無配慮さ(ここはあくまで台湾ですからね)に起因するものだったと改めて思います。

日本の〝親台派〟論壇(?)も「慰霊碑ニ反対スル者皆シナ人」といった調子で、例の如く「中国か、台湾か」と喚いていましたが、そのような二分論に矮小化できるほど単純な話ではなく(何でもかんでも〝外省人〟とその支配下メディアのせいにするのはね・・・・)、端的にいえば、戦前の同化政策や皇民化を是とするような史観は受容され難いということです。 慰霊碑を建立された故・周麗梅さんは以前から戦死者や戦傷者への補償問題も訴えられていたようですが、少なくとも小林よしのりの漫画本を有難がる程度の連中の歓心を買うことは念頭になかったと思います。

<ソウル  和解への思い通じず>
「韓国人のこと嫌いになりそう」。韓国通で知られる女優黒田福美さんが、電話の向こうでため息をついた。  
 黒田さんは17年前、「日本人の名前で死んだのが残念だ」と話す朝鮮人特攻隊員の夢を見た。青年を慰霊しようと故郷を探し出す。石碑を制作し、地元市長が提供してくれた公園内に建てたが、除幕式直前に反対運動が起こり、式は中止になった。3日後には市が石碑を撤去してしまった。反対運動をした市民団体は「日本のために死んだ人はたたえられない」「皇民化教育の犠牲者ではあるが、加害者でもある」と主張していた。  
 黒田さんの「日韓の和解につながる平和の礎(いしじ)にしたい」との一念で奔走した行動力に感服し、記事にしたが、歴史問題の難しさを思い知らされた。電話で聞いた黒田さんのひと言が耳に残る。「多くの韓国人が反対しているとは思いたくない」 (築山英司)

先日ピア 徒然見聞録様で拝見した記事ですが、独りよがりな思い込みで突っ走った挙句、「韓国人のこと嫌いになりそう」とのたまうこの〝韓国通〟の女優の傲慢さ(で、あんた誰?)と、「台湾主体性意識=戦前の日本の無条件肯定」と我田引水に解釈する日本の〝親台派〟の単細胞ぶりは五十歩百歩です。

祈念碑騒動が終結し、再公開の見通しが立ったのは喜ばしいことですが、2年前に垣間見た日本人の台湾観の死角(記事)は相変わらずといった感もありますね。

   



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人の歴史と世界観 ()
2008-06-06 21:26:04
たしかに、プラス・マイナスともに一方的に独りよがりになってしまう特性があるのはやむを得ないところはあると思います。
また「皇民化」は日本人に対しても行われたものであり、それを受け入れた世代・人々を云々したり非難することは避けなくてはとも思います。
返信する
? (tsubamerailstar)
2008-06-06 23:34:50
>@様


>それを受け入れた世代・人々を云々したり非難する

という(事を記した)つもりはありませんね。日本人であれ、外地人であれ、当時としては不可避的な状況にあったわけでしょうから。ご存知でしょうが、和信辜家何て日治時代から国民党独裁時代をしたたかに立ち回った賜の財閥でしょう。皮肉でも何でもなく、時流を読んで儲けるのは結構なことでしょう。

「日本人の歴史と世界観」という件に関し、「我田引水」も内弁慶である分には結構でしょうが、異国でそのままあからさまにすることに躊躇しないその感覚は「傲慢」かつ「死角」だと思うわけです。貴殿みたいな読解力も覚束ない人は、単に「台湾は親日だなぁ」という感慨で終わりなんでしょうけどね。(笑)
返信する
Unknown (ピア)
2008-06-07 23:00:18
こんばんわ。

>祈念碑がそのまま無事に移設されることだけを望んでいた
ここが重要ですね。
今の台湾は日本ではないのですし、高砂義勇隊そのものも
台湾の方々のことですから、台湾の方々のお気持ちを最優先に
すべきです。

あくまでも日本人はその手助け、黒子に徹すべきですね。

甘えて、それが押し付けになっては元も子もないです。
返信する
確かに・・・・ (tsubamerailstar)
2008-06-11 18:34:46
>ピア様

なまじ距離が近いだけに思わぬ誤解等が生じやすいという死角があると思いますが、台湾とて外国あるという当たり前の前提は、異文化交流の基本だと思います。

元の建立者はあくまで「慰霊」が目的だったと思いますし。
返信する