私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

総統府内部見学会

2006年03月03日 | 台湾
「長く覆われていた神秘のベール」(総統府パンフ)がめくられたのは李登輝時代の1995年、現在の民進党陳政権に交代した2001年からは「全民政府構想」を実現すべく、中華民國(台湾)総統府(旧台湾総督府)の内部見学は月曜日から金曜日の午前中へと「有効解放」されるに至ったとのことです。
内部見学は総統府の脇(台湾銀行本店との間の通り)に適宜集合した順に、「旧同胞」のガイド(日本人の場合)が付いて中を案内してくださるのですが、「積極管理」の度合いは桃園の空港の比ではなく、財布以外の荷物は預けさせられ(メモ帳の類は可)セキュリティチェックもくぐらされました。見学にはパスポートが必要で、街中にいる台湾のオッサンみたいなサンダル履きも不可のようです。

一行をご案内くださったのは肅錦文氏。歴代の台湾総督、そして中華民國総統の写真が並ぶパネルの前で「戦争中はビルマに四年行って参りました。自分の国は自分が護らなきゃ誰が護ってくれるという気持ちでしたよ。負け戦ではありましたが、今の日本の七十以上の方もそれなりに大変な思いをしています・・・・」としんみり自己紹介をされました。御歳は80歳位かと思いますが、まぁ、とてもそんな歳には見えない感じです。
まずは歴代の台湾総督、中華民國総統の解説ですが、日本は1895年に条約に基づいて清から台湾を割譲されたのであり、軍事侵略を行ったのではないという点を強調されました。台湾で今でも慕われている歴代の台湾総督として第四代の児玉源太郎と第七代の明石元二郎の名を挙げられたのですが、肅氏は明石元二郎総督の墓地の移設にもご尽力され、「今でも台湾の守護神です・・・・」と仰っていたのが印象的でした。肅氏は中山北路にあった明石総督の墓の移転にも尽力されたようですが、台湾の土となった明石元二郎と台湾の土になることを拒んだ蒋介石という二人の為政者は、「旧同胞」世代には鮮烈なコントラストに映るのでしょうか・・・・
それから李登輝、陳水扁という中華民國総統について紹介されたのですが、蒋介石・経国父子については、
「この二人は軍政を敷き、38年にわたる戒厳令下で弾圧を行いました。私は228事件で目隠しをされてトラックに放り込まれ、その後弟はあらぬ疑いをかけられ銃殺されました。そういう訳でこの二人についてはあまり語りたくありません・・・・」

内部見学は一階の展示コーナーと中庭等を回る形になっているのですが、上空から見ると〝日〟の字の内部にあたる中庭には日本にはない油杉が植えてあること、そしてダストシューターを備えた〝台湾総督府〟は、環境にも配慮した当時としては画期的な建造物が外地の台湾に存在したことをユーモラスに話されました。
そしてやおら「教育勅語」のコピーを配布され、
「どこにも日本は侵略戦争をしろとか書いていないでしょう? いいこと書いてありますよ。こういうのをキチンと教えず変なマスコミや左翼が威張っているから今の日本は親が子を殺したり、子が親を殺したり・・・・」
それから内部の資料展示室に戻り、一枚の写真の前で氏は立ち止まりました。
「この写真は、米軍が1940年に台湾総督府の上空を撮影した航空写真です。大東亜戦争の前年に既にこうした写真を入念に撮影していたというのがアメリカが戦争になるように仕向けた最大の証拠です。こんなの日本人は知らないでしょう? だから総統府にいらっしゃいと日本人には申し上げたいのです。日本の教育は間違っている!・・・・すいませんねぇ。私おしゃべりで」
当時の国のために〝大儀〟に赴いたのに、侵略戦争の片棒担ぎ呼ばわりされるのは納得がいかないという思いがおありなのでしょう。
日本の戦中派世代は、「戦争の悲劇を語る」という点についてのみ言論を許されるといった感じですし、墓場までそういう重荷を背負っていった方も多かったでしょうね。
「金何かは要らないんですよ。当時としてはそれが当たり前だったのだから。ただ、日本も支那に媚を売るんだったら、『台湾の軍人・軍属の皆様、お疲れ様でした!』という一言くらいはあって欲しい。今の小泉総理大臣からね。でも・・・・日本は素晴らしかったんです。今日の台湾があるのはホント日本のお陰なんですよ。そういう台湾のことを教えていないから私はここに立っているんです・・・・」

見学の最終スポットは、総統府グッズを売っている売店でした。「財布だけは持ってきていいというのはこういうことだったんですねぇ」と氏は笑われていましたが、私は札入れ(880NT$=約3200円)を購入。何か買うまで外に出られないということでは勿論ありません。
「また台湾にいらっしゃる際は連絡してください」(「教育勅語」のコピーに連絡先等が記されていました)と仰る肅さんに、これから烏來の高砂祈念碑に慰霊に赴く旨を申しましたら、とても喜んでくださいました。
総統府の解説というより、「台湾総督府よ永遠なれ」といった内容で、烏來への途上色々考えさせられる向きもありました。「我が青春の日本時代」への郷愁もあるのでしょうが、被統治者としての立場から戦後の苦難を経てようやく手に入れた自由台湾の貴さは幾ばくかと思います。かつての「旧同胞」のことを忘れ、蒋独裁政権に肩入れしてきた日本の「戦後責任」が全くないとは言い切れないのではないでしょうか?

先月末の28日、国民党主催の228追悼式典の席で遺族代表として挨拶された肅氏(edaats様(超特選ブログ)よりたまたまTBいただきました)は、馬英九主席を初め居並ぶ国民党幹部に向かって、
「自由と民主を否定するような、時代を逆行させる行為は絶対に行ってはならない!」
と叫ばれたのだそうです。(台湾研究フォーラム事務局長 古市利雄氏による)


※写真・・・・228事件の犠牲者を追悼し、初めて総統府に掲げられた半旗。(AFP=時事)

同事件については「むじな@台湾よろず批評ブログ(超特選ブログ)に知られざるお話が記されています。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (小熊猫)
2006-03-03 22:15:28
私も総統府の見学に行ったことがあります。

セキュリテュイが確かものすごく厳しかったと覚えています。あと、見学記念証のワッペンに自分の名前が入ってヤケに喜んでた自分を覚えてますが(笑)



肅錦文氏ってもしかすると、白髪で少し禿げててめがねを掛けてらっしゃるお方でしょうか?
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Unknown (ろろ)
2006-03-04 00:20:24
>〝大儀〟に赴いたのに



細かいことですみませんが、大「義」かと・・・。



いい話ですね。

こういう話を聞く度に、

「日本は今でもサムライの国です!」と言えないのが

少し悲しい気がします。
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Unknown (古市利雄)
2006-03-04 01:46:47
こんにちは。いつも拝読しております。国民党主催228追悼式典の肅錦文さんのレポートを(本論は高砂義勇隊慰霊碑撤去事件)書いたものです。

あの話を直接聞いたときは体が震えました。

肅さんにはいつまでもお元気でたくさんの人に、228事件の真実を語ってもらいたいですね。

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見学 (edaats)
2006-03-04 07:53:19
私はまだ見学できたことがないんです。

でも、通常は撮影禁止だけど年何回かは撮影もできる日があるようですね。

一度は行きたいと思っているんです。(^_-)

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Unknown (チラシ)
2006-03-04 23:45:12
こうしたお話をされる台湾人の方々もご高齢でいずれは聞く事が出来なくなってしまうのか・・・と思うと、残念でなりません。こうしたお話が台湾から日本へもっと伝われば、と思いますがこうした事はマスゴミも全然取り上げませんからねぇ・・・。ホンマ、どこまで歪んでるのかと・・・。

「教育勅語」は今読んでも、どこが悪いのかさっぱり判らない自分です。至ってまっとうな事が書いてあると思うのですが・・・。

海外旅行は一回こっきりな自分で、まだ台湾には行った事が有りませんが、台湾はぜひ行きたい場所です。高砂義勇軍の慰霊碑もお参りしたいです・・・。
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ううう (A/T)
2006-03-05 01:54:58
(;;)

ええ話です……

「旧同胞」の響きが素敵です。

返信する
ううう (A/T)
2006-03-05 01:56:20
(;;)

ええ話です……。

「旧同胞」の響きも素敵ですね。
返信する
はじめまして (hideyuki)
2006-03-06 07:24:33
実は去年の8月ぐらいからちょくちょく拝見させていただいてます。



今度台湾特集をやろうかとおもってます。



その際、リンクをはらさせていただいてもよろしでしょうか?



私も他の日本人には真実を知ってもらいたいです。
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ごめんなさい。 (hideyuki)
2006-03-06 07:26:04
日本語変でした。



拝見させていただいております?ですかね?



わからなくなってしまいました。
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やばい! コメントが溜まっている! (tsubamerailstar)
2006-03-07 00:08:51
>小熊猫様



>セキュリテュイが確かものすごく厳しかったと覚えています。



見学中も後ろから「見張り」が付いてきますよね。まぁ、でも20年前とかだったら内部見学何て発想すら出てこなかったでしょう。



>あと、見学記念証のワッペンに自分の名前が入ってヤケに喜んでた自分を覚えてますが(笑)



確かに「わざわざご丁寧に・・・」と私も思いました。「地球の迷い方」に貼っておきました。(笑)



>肅錦文氏ってもしかすると、白髪で少し禿げててめがねを掛けてらっしゃるお方でしょうか?



頭の頂上までは?ですが、風貌はそうかもです。「感想文」でも書いてお送りしようかと思っております。



>古市利雄様



ご丁寧に&中途半端な引用の仕方で大変失礼いたしました。後ほどクレジットを入れて修正しております。

「旅行記録の個人的な電子落書き帳」路線に戻りたいのですが、米帝やら中共やらが煩くてまったく困ったものです。一旅行者としても台湾の平和と安定を願っております。



>edaats様



あ、なんかわかる気が・・・・ edaats様みたいに筋金入りの方は今更台北って感じになってしまう嫌いもおありかと。

次回いらっしゃる際は是非足を運ばれてみてください。詳細はその時にでも!



>チラシ様



私も「教育勅語」は「天皇のためにお前ら死んで来い!」みたいなことが書いてあるのかと思っておりました。(汗)

台湾は20余年前に父親が仕事で数回行ってえらい褒めていたのですが、7年前に大ベストセラーとなった李登輝総統の「台湾の主張」を読む前は、フィリピンみたいに誘拐が多い何か

やばそうな国といったイメージでした。

是非お勧めしたい国です。(笑)



>A/T様



一方的な思い入れはアレですが、親しみは感じますねぇ。それにしても私が見た限りでは皆さん若々しい! 気合の入れ方が違うのでしょうか。(笑)



>hideyuki様



ご丁寧に恐縮です!8月くらいといえば思いっきり脱線しまくっていた時期ですねぇ。(汗)

シアトルにお住まいなんですね! 後ほど貴ブログも拝見させていただきます!



・・・・結構他人様から見られているものなんだなぁ。(大汗)





実は去年の8月ぐらいからちょくちょく拝見させていただいてます





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