私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

MRT で淡水へ

2005年02月11日 | 台湾
台鉄の廃止路線を大規模にリニューアルして作られた路線です。地上部分に出たところで車窓を眺めますと、駅のホームも線路沿いのマンションも新しく、新しく開発されたニュータウンの風情です。私が台北に職場を持つ台湾人なら、この辺に住居を構えたいものです。新しいマンションには窓やベランダの鉄格子は見受けられませんでした。
MRT で改めて感心したのは、バリアフリー設備が完全な点です。陳総統の奥様は確かハンディキャップをお持ちで、 MRT は陳市長時代だったでしょうか?陳総統も難しい政局運営のようですが、八方美人的にならず信義を貫いてもらいたいものです。

淡水駅からバスに乗って紅毛城に行って見ますと、無情にも「修復工事中」の文字が … 慰霊碑に続いて空振りです。曇天なので先へはゆかず、海岸添いを老街の方へ戻ることにしました。海岸はやや風が冷たい。台湾的には寒いのでしょう。
海峡の向こうを眺めていると、日本の安全保障、憲法について考えさせられました。
台湾空軍は F16 やミラージュをそろえ、海峡の制空権を握っています。彼らは侵略戦争(反攻大陸)をしたいがために最新鋭機をそろえているのか?そうではないでしょう。もし彼らが丸腰ならあっという間に大陸から攻められ、二、二八、文化大革命、チベット虐殺、天安門の再来です。台湾軍はあくまで祖国防衛のために存在しているのです。
翻って日本について考えますと、平和憲法の精神は確かに立派ですが、残念ながら、ただ口で唱えただけでは平和は手に入らない。これまでの戦後 60 年がそうだったからと言って、今後もそうだという保証はどこにもないのです。
昨年来から続く大陸の日本領海侵犯等の動きを見ると、日中平和友好条約が、日ソ不可侵条約と同様の脆さを内包しているような気もいたします。
憲法と自衛隊の在り方を実態に即したものに改め、将来的には日・米・台、海軍は豪辺りも含めて極東の安全保障の枠組みを構築する必要があると言えましょう。
シーレーンを行き交う日本向けの船舶は 1 日 400 隻にも及ぶそうです。台湾の問題は、とりもなおさず日本の問題でもあるのです。
だからこそ、明石元二郎総督は、
「自分は死して台湾の土となり、台湾を護る」
と遺言されたのではないでしょうか?

老街を歩いていると、昔の日本とそっくりの作りの銀行があったりして、どこか懐かしい光景です。ちらっと横目に入った店頭を覗きますと、何かつみれの入ったスープのような物が目に入りました。何ともいい臭いです。指差して 25NT$ を払い、席を下ろしました。これが実にうまい!あっさりした味のスープにつみれ?の歯応えが最高です。
「柚子胡椒があれば最高だな … 」
と思いましたが、そんなものが台湾にある訳はありません。次回は日本から是非持ち込もうと思いました。もう 1 杯オーダーし、
「うめぇな、これ … 」
とつぶやきますと、
「日本?一人?旅行?」
と店頭の兄ちゃんから話かけられました。
「はい!台湾初めて … ヘイカイシン!」
「中国語、できる?」
「ごめん、出来ない … 」
もっと突っ込んだ話をしたかったのでしょうが、少々残念ではありました。もっとも、目を丸くして美味そうに食べている私を見て、彼も満足そうでした。
「ありがとう、謝謝、新年快楽!」
手を振って店を後にしました。台湾も大晦日、私の台湾ぶらぶら旅もいよいよ終盤です。

※写真・・・・淡水から対岸、海峡を望む

淡水はデートスポットのようですが、水はあまり綺麗ではありませんでした。



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