五州三庁の時代の名残か「花蓮港」という言葉を耳にすることがたまにあるのですが、年配の方にとって「花蓮港」は日本語の響きとして残っているのでしょうか・・・・
(築港前輪船卸貨靠小駁船來回接運)
(花蓮港築港開工舉行盛大遊行)
花蓮港は昭和8年から6年もの工期を費やして整備されたようですが、北廻りの鉄道などない時代、名実共に重要なインフラだったことがよく判ります。(港湾整備前は、あまりのアクセス難に「帰れん港」と揶揄されていたようですが)昭和14年の「花蓮港」は、あたかも戦前の福博の街のようです。
「旧駅から中信大飯店に向かう道の途中、右カーブする辺りに看板が出とったねぇ」と以前から意識していたはいたのですが、美崙山麓の東南に位置する「松園別館」は、花蓮港と太平洋を一望できる高台にありました。
「付近の放送局(現、中廣公司花蓮台)、海岸電台(現、中華電信)、浄水場(自來水公司美崙淨水場)なども皆一連の松林の中にある」(花蓮旅遊網)とのことですが、これらのインフラは今も現役のようです。「ゆっくり見て行ったら?」と台湾自來水公司の年配の職員の方から声を掛けられました。
「松園別館」は日本軍の兵事部事務所として昭和18年に竣工したようですが、軍事関連施設というより、松林に囲まれた瀟洒な洋風建築といったたたずまいが印象的です。
地元の人々の熱心な保存運動が実り、00年に花蓮県政府の「歴史景観特別区」と内政部の「歴史景観公園用地」に指定され、01年には行政院文化建設委員会の「空間再利用モデル地」となったとのことですが、吉安の慶修院共々綺麗に整備されすぎた感もありますね。(贅沢な不満ですが・・・・)
幕末古写真風ジェネレーターでちょいと細工を加えてみるとそれっぽいか?まぁ、整備される前はお化け屋敷みたいな感じだったのではないでしょうか。
約7千平米程の広大な敷地内には「松のほかにも、ワラビ類、ススキ、ガジュマルなど、多くの原生植物が至る所に生育している」(花蓮旅遊網)のだそうですが、松をはじめ、日治時代に持ち込まれた外来種も多いようですね。
特攻隊が出征前に「御前酒」を拝し、米華相互防衛条約の時代は駐台米軍顧問団の招待所として利用されるなど、「松園別館」の歩みは北投文物館(記事)のそれと酷似しています。市民の文化活動や憩いの場として生まれ変わった今日が一番の輝ける時なのかもしれませんね・・・・
夕刻にジャズライブが催されていることもあるようですが、機会があれば是非狙ってみたいものです。
〔備忘録〕・・・・花蓮旅遊網 松園別館
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