「伯耆のサイノカミから」から
かつての鳥取県西伯郡淀江町が平成の合併で現在は米子市になっていることは前回触れた通り。昭和59年8月18日に訪れて以来、結果的にいまだ同地方を訪れることはできなかった。すでに30年以上経ており、信仰の様子はだいぶ変わっているのだろう。「遙北通信」では、この時訪れた鳥取県のサイノカミについて、何度となく報告している。
鳥取県西伯郡淀江町亀甲神社のサイノカミ (「遙北通信」114 平成3年10月1日) HP管理者
淀江町は、鳥取県の西部、米子市の東に隣接する町である。国道9号から少し入った亀甲神社の境内に、9基のサイノカミが祀られている。この内8基は男女の双神で、1基は男根石である。男根石は淀江町ではこの1基のみという。森納著『塞神考』(森納発行)において、因伯の双体神像の像容についてまとめられている。それによると双体神総数326体のうち、神祇像259体、猿田彦天錦命416体、内裏雛型9体、戯画風6体、図案化3体、エビス大黒風2体、大津絵風3体、ダルマ風2体、その他3体、という内訳である。また双体神像の彫刻方法は323体中、丸彫11体、半丸彫25体、肉付・浮彫106体、浮彫・浮線彫11体、浮彫・線刻96体、線刻76体、不明1体、となっている。
写真は亀甲神社にある1体であるが、先の像容の中では、神祇像として数えられているものである。卵円型の自然石の前面を半ば丸く削り込み、肉付け浮彫りしたもので、坐像である。サエノカミの集団の中にあるため、サイノカミとわかるが、他の場所に1体だけあれば、とてもサイノカミとは思えない。ちょっと見では阿弥陀如来の双体坐像といったところだろうか。因伯のサイノカミは長野県の道祖神のように、双神であっても肩を組んだり、握手をしたりといったものはあまり見られない。
ちなみに淀江町の数字を示すと、神祇像57体、猿田彦天鈿命3体、内裏雛型1体の合計61体である。
この内裏雛型の1体が亀甲神社にあり、遙北通信第63号で紹介したので参考にされたい。
ここで参考にされたいとしている「遙北通信」63号の記事は、下記のようなものであった。
鳥取県西伯郡淀江町亀甲神社のサイノカミ (「遙北通信」63 昭和63年6月12日) HP管理者
淀江町(よどえちょう)は米子市の東に接する町で、日本海に面した人口9千人ほどの小さな町である。亀甲(かめのこう)は、国道9号線を米子市から淀江町に入り、1キロほど東へ行った所にある。
伯者(ほうき)では道祖神という呼称はなく、サイノカミ信仰として盛んである。この地方では12月15日をサイノカミの祭日としており、サイノカミを縁結びの神として崇め、祭り当日には早く参るほど良縁があるといわれている。参詣の折にシトギを入れたわらづとを供え、男の子はわら馬の背にシトギの入ったわらづとを結びつけて供える。長野県内に見られるわら馬引きの行事に似ているが、こちらは2月8日と、行なわれる日程には違いがある。ぜひ祭りの頃、訪れたいものである。
亀甲神社には、サイノカミが9基祀られている。さまざまな物が並ぶが、中央に高さ335cmの自然石に男女の内裏びな像を線彫し、上部に和歌を刻んだサイノカミがある。磨滅がひどく、読み難いが、「ただびとにかみ いざしたまへ 才のかみさん」と読まれている。歌の意味は「サイノカミに作り祭ったから力は充分だ。庶民の縁組を頼みますよ」(野の仏・原宏一著)。サイノカミの裏には「文化十三子(1816)忠佐衛門」とあり、淀江町のサイノカミの中で最古の年号を刻んでいる(淀江町にはサイノカミが41カ所に71基ある。その内男女像を刻むものが65基と殆どである。
撮影 昭和59年8月18日(HP管理者)
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