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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

元宮神社お囃子

2019-09-28 23:05:14 | 農村環境

 

 

 

 近年になく、今年は脱穀を早く済ませた。とはいえ、一部稲が黄色くならず、そのままにしていた稲を今日刈っているから、全てではないが、それはほんの少し。ほとんどは脱穀を済ませ、空を見ては悩む日々は、今年はなくて済んだ。今土曜日は予報でははっきりしなかっただけに、脱穀などする予定もなかったのだが、今後1週間は天候不順のようなので、急遽脱穀となった。ちまたでは稲刈りをしている家もあれば、脱穀をしている家も多かったが、我が家の周辺は静かなものだった。周辺では最も遅くに田植をしたのだが、終わってみれば脱穀は早い方となった。ハザ掛けの景色を意識して見ていると、谷間や日陰地には、まだ稲が多く残っている。まだ青いのだ。農家によって作業に大きな時間差が生じている、ことしの稲作の様相である。

 さて、元宮神社の獅子舞については、“「獅子切り」④”で触れた。『宮田村誌』の記事を引用したが、太刀4人の舞は、さながら大御食神社獅子練における獅子切りを思わせる雰囲気があり、いつか足を運んでみたいと思っていた獅子舞である。昭和61年に訪れているが、当時は「獅子切り」という視点で獅子舞を見ていなかった。ということで9月第4土曜日の宵祭りにのみ舞われるという獅子舞を訪れてみた。祭日はもちろんのこと、時間などの事前確認もせず向かったのだが、すでに暗くなりかけた遠方に、幟旗が上がっている姿と、神社らしきあたりに明かりが見えたので、期待をもって境内へ向かった。ところがすでに獅子舞は終いのあたり。最も見たいと思っていた練りの部分は終わっていた。今年も子どもによって獅子招きが行われたことはわかった。来年に課題の持ち越しである。

 保存会の方の話によると、この元宮神社の獅子舞の元は大御食神社だという。もちろん規模にしても内容にしてもだいぶコンパクトであるが、太刀4人の有り様からそう言われても不思議ではない。しかし、大御食神社のような獅子を切る所作はないし、あくまでも太刀4人は「招き」の意味であるという。とはいえ、刀を持った子どもがそれを振り上げているから、獅子を切る所作があっても違和感はない。

 舞台での獅子舞を終えると、引き続いてお囃子が披露された。かつては毎年行っていたものだが、廃れてしまっていたものを保存会で継承に向けた取り組みをしたお陰で、囃子を担う人の人数も増えたという。しかし、3年に一度になってしまっていたため、これでは練習の機会も少なく、危機感を抱き、間の2年間も本来なら囃子屋台で囃すところを、舞台で披露する形で囃子を奉納している。囃子の曲には5つあり、それは「数え歌」「あげあ」「程ケ谷」「きつねつき」「さいとりさし」だという。残念ながら周囲でこれらを観ていたのは、氏子総代や祭りの当番の方たちくらい。余興のある3年に1度は、それぞれ地区より余興の披露があるというから、もう少し賑やかなのだろう。


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