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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

流木拾い

2022-08-07 23:54:29 | 自然から学ぶ

長谷市ノ瀬三峰川(2022年7月28日撮影)

 

 以前にも触れたことがあったが、近ごろ三峰川を遡って杉島まで行った際に、あらためて三峰川堤防上の国道152号を走って思ったことは、河川がずいぶん埋まっているということであった。とりわけその印象を強く抱くのは堤防上が国道になっている市野瀬のあたりのこと。市野瀬は国道を介して左が三峰川なら、右側が水田地帯と市野瀬の集落という設定となる。振りかっえって撮影したものがこの写真である。2022年7月28日現在のもの。いっぽうグーグルマップのストリートビューで見られる光景がこれである。2012年6月とあるから、10年ほど前撮影されたもの。もちろんグーグルマップだから、いつ更新されても不思議ではなく、閲覧しているのは今日現在のものだ。対岸のヤナギの木だろうか、河床からずいぶん幹が見えているグーグルマップに比較すると、明らかにここに掲載した写真は幹が隠れている。流水部を見てみても、河床が高くなっているのは誰でも見て取れるだろう。

 実は国道右手の水田地帯は、美和ダムのバイパストンネルの土砂を搬入してほ場整備されたもの。もうずいぶん前に行われたものだが、かつては水田地帯はもう少し低い位置にあった。ところが今、国道を走っていると、川の方が水田より高いのじゃないか、と思わせるほど河床が上がっている。三峰川は市野瀬から見ても、まだまだ奥が深い。そして破砕帯が多いから崩土がたくさん流れ着く。そのせいで堆砂しているというわけである。下流に美和ダムがあるからよけいに堆砂するのだろうが、あらためて中止されてしまった戸草ダムの必要性が高まっている。

 さて、河床を見ると砂ばかりではなく流木がたくさんたどり着いている。美和ダムは流木が多いことでもよく知られている。国交省の天竜川ダム統合管理事務所のホームページでも「流木提供情報」トップに貼っているほど、三峰川といえば「流木」と言えるほど流れ着く流木は多いよう。そしてそれらを一般に無料提供しているというわけだ。「流木」といえば、かつて生家の横を流れる川へ、それを拾いによく行かされたものだ。「何のために」と言えば、もちろん当時は焚き物が必要だった。とりわけ風呂は焚いていたから、焚き物はたくさん必要だった。よく乾いていて、よく燃える、それが流木だった。自然にあるものを利用する、そんな時代の子どもの仕事でもあったわけである。

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ホタルブクロ咲く

2022-06-18 23:04:10 | 自然から学ぶ

佐原村道端のホタルブクロ

 

御手形諏訪神社横県道端にて(その先の交差点を右折すると戸中へ)

 

 豊丘村佐原の村道の端に、ホタルブクロが咲いていた。それもモルタル吹付された法面にだ。ホタルブクロはけして珍しいものではない。ネット上では「増えすぎて困る」というような書き込みも見えるから、強い植物なのかもしれない。とはいえ、自生している姿は、昔に比べたらずいぶん減ったと思う。先日妻が地元の「およりての森」に植えるのだと、生家からこれを運んでいた。珍しいわけではないが、多様な植物を増やす目的でホタルブクロも選択したようだ。

 キキョウ科の多年草で別名「釣鐘草」ともいわれる。梅雨に入ったころ咲く花で、釣り鐘状の花は梅雨らしく「傘」をも連想させる。関東では赤紫が、関西では白が多いとも言われる。妻とそんな会話をした矢先に、道端で遭遇した。生育している環境が珍しかったので、思わず写真を撮った。そこから里に下る途中、佐原の御手形諏訪神社の横の県道端にもたくさんのホタルブクロが咲いていた。群生といった方が良いだろうか。おそらくここも、人為的に開発された道路の法面の一部。やはりその強さを感じさせる。御手形諏訪神社の裏側(北側)から道が分岐して山奥へ向かう道がある。かつて野田平(のたのひら)という集落がこの奥まったところにあったが、もう30年ほど前、野田平に現場があって、何度も足を運んだが、ここから30分近く車で走ったはずだ。

 御手形諏訪神社にいると、県道を走る車はほぼいなかったが、野田平の方から降りてきた大型車が、神社の裏の交差点を右折して北へ向かっていく車が目立った。実は野田平の手前にある戸中にはリニア新幹線の工事現場があるという。戸中非常口が造られる場所で、リニアトンネルの掘削が1年ほど前から始まっている。トンネル工事の現場で事故が起きたというニュースをよく耳にするが、戸中工区でも事故が発生している。神社裏側を行き来している車は、リニア関連の車なのだろうか。

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今年のコシアブラは早い

2022-04-23 23:43:08 | 自然から学ぶ

 最近のわたしのブログの中で日々最も読まれているものが「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機」である。実は昨年その小型畦塗機は動かなくなった。そのことは「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機は動かなかった」に記した。結局残った畔は手で塗ったわけであるが、その後農閑期になってから小型畦塗機をメーカーに送って診てもらったわけであるが、致命的な部分に問題があって、「買い替えませんか」ということになった。とはいえ1年に1時間だけ使うような機械だから、そういう意味では高額である。そこで中古を提供していただくことになり、買い替えとなった。家まで大型車が入れないから取りに来てもらえないか、と運送屋さんに頼まれて、今日引き取りに行った。中古と言ってもデモで利用したものらしく、ほとんど新品に近いが、やはり「また壊れるんじゃないか」、という心配が少し頭をよぎる。扱いが悪いわけではないだろうが、ちょっときゃしゃな機械である。ということで、今年の畔塗は、手でなくて済みそうである。

 さて、例年なら今がコシアブラの良い時期なんだろうが、今年は既にしっかり開いてしまっている。妻に「もう開いている」と言われ、そんなことはないだろうと畔塗機を運んだ後に山に入ってみたが、見事に開いている。いわゆるこれから開くといった感じの市場に出回っているようなコシアブラは一つもなかった。開いていてもコシアブラらしさは味わえるので、食べられる限界のようなものを採ってきたが、ことしは一瞬でコシアブラは開いてしまったという感じだ。

 今年はもうコゴミも出ている。我が家ではコゴミはタラの芽やコシアブラの後に盛んに出ていたもの。すべてにおいて今年は早い感じ。もちろんワラビも盛んに出始めていて、今日最も多い収穫はワラビだった。またウドも出ていて、とりわけ茎が紫色のウドが「美味しい」とは我が家の勝手な言い分である。ヤマウドと言ったりウドと言ったりするようだが、どちらも同じものだという。我が家では自生しているから通常ヤマウドと呼んでいる。

 既に山菜三昧になっている我が家の食卓ではあるが、もちろんわたしは山菜好みなので、それで十分である。1年中で、一番食の進む季節である。

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「飯山」の記憶・前編

2022-01-28 23:29:10 | 自然から学ぶ

飯山観測所データより

(ただし今年は今日までの最深積雪)

 

 4日前に降った雪も田んぼから消えたが、掻いた雪が道の脇や、屋敷の庭にまだまだ残っている。今年の冬が雪が多いのか少ないのか、まだ1月だから何とも言えないが、近年の小雪状況から見れば多い印象を与えているのかもしれない。

 今日現在の飯山市の積雪は、気象庁の観測データでは137センチだという。今冬のこれまでの最深積雪は今月21日の166センチだった。ちなみに隣の野沢温泉の積雪は今日現在168センチ、最深積雪はやはり21日の192センチで、県境の向こうである津南では今日現在220センチ、最深積雪はやはり21日の246センチである。

 わたしは昭和54年末から同59年を明けた冬までの飯山の雪を体験している。わたしにとっては実質的な初任地だった。5年間の飯山の冬のイメージは、言うまでもなく雪に埋もれていた。とても雪の少ない冬をすごしたという記憶はない。おそらく最初の冬、ようは昭和55年を明けた今ごろ、ひと晩に1メートルほどの雪が降ったことを覚えている。これが「当たり前か」と思ったわけだが、実は滅多にはない降り方だったようだ。前掲したデータの気象庁の観測所「飯山」のデータから振りかえって見ようと思ったら、当時の積雪深データは、気象庁のページに掲載されていなかった。同ページに積雪深のデータが現われるのは昭和59年(1984)からだ。したがってそれ以降のデータをまとめたものが冒頭のグラフである。「最深積雪深」であるから、最も積雪深が大きな値を示した数値である。その年の最深積雪深は、おおかた2月、あるいは1月に観測している。前者の方が比較的に多いから、2月の方が積雪が多いという印象だ。そして年によっては年内、ようは新年を迎える前に観測しているケースもあり、令和2年は106センチを12月に、平成19年には32センチを11月に観測している。グラフからもわかるように、平成19年は、最も雪が少なかったようで、豪雪地飯山で32センチということは、スキー場では雪不足で困った年だっただろう。そう考えると平成元年の52センチも少ないし、平成28年の56センチも少ない。平均的には150センチくらいの最深積雪は例年観測するという感じだ。

 最後の飯山であった昭和59年の最深積雪は257センチ、ようはわたしにとって5年目の積雪状況は、それ以後現在までの最深積雪を見ても最も多そうな様相である。残念ながらそれ以前の4年間の記録がないので正確なことは言えないが、降水量の記録が掲載されている。ちなみに1日の降雪量の記録を昭和59年以降のデータから紐解くと、最も大きな値は69センチで、昭和63年2月16日、令和12年2月16日、平成18年1月3日、平成25年1月3日、以上4回記録している。そしてこの際の降水量をみてみると、それぞれ42mm、32mm、不明、24mmとなっている。不明とは「統計を行う対象資料が許容範囲を超えて欠けています」と解説されている。ということでこの降水量と、それ以前の降水量を比べてみる。わたしの飯山1年目である昭和55年には1月21日に53mmを観測している。以降翌昭和56年は1月11日に52mm、昭和57年1月19日に32mm、昭和58年1月22日に31mmを観測。最低でも31mm、1年目の昭和55年には53mmとその後の前掲した1日あたり降雪最大値の降水量よりはるかに大きな値を示している。ようはわたしの記憶は間違いではなく、おそらく昭和55年1月21日は、「朝起きたら前日より1メートル雪が深かった」日に違いない。

続く

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ささやかな空間

2021-09-20 23:18:23 | 自然から学ぶ

 例年稲刈りのころとアサギマダラのやってくる時期は重なる。フジバカマをたくさん育てていた田んぼが、昨年豪雨の際に崩れた。その工事のせいで、田んぼ一面にあったフジバカマは、半分くらいになってしまったが、もともとそこよりも、元々フジバカマのあった隣の山つきの畑にあるフジバカマにアサギマダラはたくさんやってきていた。ことしも昨日あたりからそのアサギマダラがやってきている。世間にはたくさんやってくるところもあるようだが、我が家のほんの小さな空間にやってくる、ささやかさが良いのだ。

 最初は1頭?、と思っていたらいくつかの個体を確認。少しの間写真を撮っていたら、5頭以上は確認できた。ちゃんと数えれば10頭くらいいるのかもしれないが、稲刈り休みの合間だったから大雑把に捉えた。ということで、短時間に撮影したものだから、こんな程度しか撮れなかった。

 ちなみに昨年の記事は「2020 アサギマダラ」である。

 

 

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暑いはずの「盆」の今年

2021-08-17 23:10:20 | 自然から学ぶ

 昨日も記したとおり、この盆はほぼ「雨」。こんな盆を経験した記憶はあまりない。そもそも盆に限らず、8月に入って以降の天気は「雨ばかり」という印象だ。印象だけではいけないと思い、わたしの記憶にある過去まで少しデータを読み解いてみようと、気象庁の過去の気象データを紐解いてみた。本当なら天気の過去データをまとめたかったのだが、気象庁のデータに「天気」を探しても見当たらないことをご存知だろうか。というか、おそらく観測所の体制によってそれは異なり、例えば大きな観測所(県内では「長野」のみ)のデータには「天気概況」があるが、他の観測所にはそのデータがない。したがって近在の過去の天気を気象庁の観測データから知ることができない。とはいえ、年代によって記録が残っていたりして(気象庁の観測体制の変化)直近の「飯田」のデータには、1967年から2006年の間は「天気概況」が示されている。が、トータルで読み解こうとすると「天気概況」では通して見渡せないため、今回は「降水量」と「日照時間」で過去のデータと今年のデータを比較してみることにした。

 

 

 ということで、直近の(「飯島」が近いが、50年前までのデータがない)「飯田」観測所のデータを8月1日から盆の終わりである8月16日(昨日)までのデータをまとめてみた。それがこのグラフである。16日間の総降水量と総日照時間を示したもので、両者は横軸の数値がほぼ同じ帯域で上下していることは、調べてみてわかったこと。データは1970年から2021年までの52年間の比較である。16日間最大総降水量は、やはり今年の358.0mmが最も多く、次は2003年(平成15年)の286.0mm、次いで1982年の245.5mmと続く。いっぽう最も少ないのは、対照的なのだろうが、昨年2020年の1.5mmである。昨年は「暑かった」という記憶があるが、雨もほとんど降っていない。100mm以上という年が10年しかないから、8割以上の年は16日間総降水量が100mmに満たないという状況だから、100mm以上になることですら5年に1回程度、それがその3倍以上降っているというのだから、いかに今年の8月前半の雨量が多いかを示す。ついでに日照時間であるが、もちろん雨量が多ければ、日照時間は少ないことはあたりまえのこと。今年の日照時間は84.2時間であり、52年間の中では13番目に少ない。意外だろうが、最も少なかったのは、2014年(平成26年)の44.4時間というもの。今年の半分ほどだったということになる。実は平均気温のデータを合わせなかったが、平均気温的には、2014年より少し今年の方が低いが、ほぼ同じくらいだったといえそう。平均気温では、1976、1982、1993年が今年より若干低い。気温については近年上昇傾向のため、単純に天候と同じ土俵では比較にならないと考え、表示しなかった。

 いずれにしても、盆の期間だけで比較したらもっと今年は顕著なのかもしれない。8月が終わった段階に、このことについては再度検討してみたい。なお、グラフを見てなんとなく思うのは、10年ほどのピッチで山が繰り返されていることに気がつく。そしてその山は、しだいに大きくなっている。

 参考に飯田観測所の8月1日から16日のグラフにしたデータを下記に示す。数値は総量である。

 

 

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ヤマユリ

2021-07-17 23:26:50 | 自然から学ぶ

 

 妻が言う。「最近刈った草がもう伸びている」と。確かに先週刈ったところも、すでに伸びている草は10センチほどになっている。もちろんまだ全体的に伸びているわけではないので、すぐに草を刈るほどではないが、気になることもわかる。

 なぜかといえば、植相に多様性があるから、ということなのだろう。とりわけ刈る頻度が少ないと、それはよくわかる。丈の長いものは日陰を作って、丈の短い草を遮る。結果的に丈の長いものが占有していくわけだが、そこで丈の長い草を刈ると、今度は短い草がちょっと息を吹き返す。例えば芝化した畔では、芝が占有する。伸びてきたら刈っていれば、ほかの草はなかなか伸びてこない。だからこそ芝化するわけだが、そうした畔草環境は、実に管理しやすい。ところが植相が多様だと、刈ったとたんに「ここぞ」とはかりに伸びてくる草がある。もちろんそれにはその植物の伸びる適期というものがあるだろうから、本当は植物のことをよく勉強しておけば、そのあたりを調整しながら草を刈ることができるのだろう。ようはむやみに刈っていても、無駄に伸びる適期にきている草をすぐに伸ばしてしまう、というわけだ。いずれにしても、単一化している畔の草を刈れば、とりわけ丈の短いグランドカバー的な草ならすぐには伸びてこない。

 多様であることを「良い」と捉えるか、「悪い」と捉えるか。もちろん除草剤を撒いた脆弱な畔など問題外だが・・・。

 さて、今年もヤマユリが咲いている。畔草を刈る際に「アッ」と声を上げてしまうことも多いように、まだ丈の短いうちには刈ってしまうこともある。我が家の草刈は、「アッ」の連続なのである。

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熊に出会った

2021-06-07 23:56:54 | 自然から学ぶ

 「想定内と、想定外」を記して以降、土日と足の筋肉が痛くて仕方なかった。簡単に言えば、屈んで隧道の中を往復200メートル近く歩いただけだったのに、意外な症状に驚いた。屈んで歩くなどということは、近くではこの正月以降にも何度となく体験していたはずだが、その際は記憶に残るほど筋肉痛を感じることはなかった。にもかかわらず、今回はその症状が・・・。だから、単純に「歳だから」とは自らも思わないのだが、ちょっと意外だった。その筋肉痛で、土日と草刈をしていたわけで、身体の重さを解消することなく、週を開けた。

 ということで、今日は「想定内と、想定外」で訪れた現場を、再び訪れた。ところが、朝からあまり見たくない物体に遭遇。先日触れた通り、今日は通せんぼを開けてもらって、車で現場近くまで向かった。先日は通せんぼがあったので、この道を歩いたわけなのだが、その歩いた曲がりくねった道を進むと、突然車の前を黒い物体が谷の方から出てくると、車の前方を横切って左手山の斜面を逃げるように登って行く。もちろんこの山の中で、真っ黒な物体といえば「熊しか思い当たらない」。わたしも長く生きてきたが、実は熊に遭遇するのは初めてだ。世間では町の中までその姿を現すご時世だから、けして珍しいことではないのかもしれないが、さすがに熊に遭遇ともなると、そう滅多にあることではない、とは長い経験の中からのもの。

 大きさにして体長1メートルあるかないか程度。小熊の部類になるのだろう。モゴモゴしていて、なんともいえない可愛ささえ遠目で感じたが、「車で良かった」とつくづく思った。先日はここを歩いていたわけで、道に真新しい小枝の折れたものが転がっていて、「熊でもいるのだろうか」とは、悟っていた。加えて熊の糞がどのようなものがイメージはできなかったが、雨の中、道に明らかに猿でもない、猪でもない、糞のようなものが解けて転がっている姿をいくつか見ていた。あれはやはり「熊の痕跡だったのか」とも思う。左手斜面に逃げて行った熊は、立ち止まって振り返ると、しばらくこちらを見ていたが、また山を登っていって見えなくなった。先日は独り、今日は大勢だから大丈夫、とは思ったが、さすがにこの山の中では、熊は当たり前な存在なのか、と体感した。先日、この道を歩いていて声を掛けてこられた方は、最後に「お気をつけて」と口にしたが、「このことか」と思ったしだい。

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再び、「鉄道花」

2021-05-03 23:30:49 | 自然から学ぶ

令和3年4月23日午後10時30分撮影

 

 かつて「鉄道花」を記した。世間に「鉄道花」という言葉はない。ネット上でこう検索しても「そのままの単語は登場しない。「鉄道草」の間違いではないか、と言われそうだが、わたしは「鉄道花」をあえて使う。「鉄道草」といえば、ウィキペディアにも引ける。ヒメジョオン、ヒメムカシヨモギのことだという。ヒメムカシヨモギを引けば、明治維新のころから鉄道線路に沿って広がったため「鉄道草」と呼ばれたという。鉄道草=ヒメムカシヨモギとも言われる。

 さて、かつて「鉄道花」では、その花の名がわからなかった。ちょっと調べればわかるはずだったが、世間で知られている花図鑑的図書では判明しなかった。ゴマノハグサ科の越年草「マツバウンラン」である。1941年に京都で初めて採集され、現在は関東や北陸以西で見られる花という、いわゆる帰化植物で北アメリカ原産だという。「鉄道花」で触れたマツバウンランは、わたしが当時毎日利用していた飯田線の上片桐駅の線路上で見たもの。ちょうど10年前の今ごろのことだ。きっと今も咲いているのだろう。この花を見るたびに思い出す記事だ。先日もどこかの道路脇で見たのだが、思い出せない。ところが、その数日後、先ごろ友人と久しぶりに飲んだ際、終電で帰ろうと伊那市駅のホームで電車を待っていて、この花に気がついた。気がついたのは「初めて」ではない。思い出せば昔電車通勤をしていた際にも、電車を待つ際に視界に留めていたと記憶する。

 何と言っても間もなく真夜中という時間に、このように咲いている。「鉄道花」と名づけるより「月見草」といったほうが良いだろうか。夜中にもこんな具合に咲いているということを知らなかった。そしてあたりにはほとんど草花がない荒野のようなところに、このような姿を見せる花に、その強さを覚える。もちろん「鉄道花」と名づけたのは、鉄道に沿うようにこの花を見つけるからだ。世間ではこの花を鉄道線路に沿って広がったなどと報じている記事はそれほどないが、わたしにはそう思う。

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久しぶりに見た足あと

2021-01-20 23:56:55 | 自然から学ぶ

 

 昨日、そしてきょうと、久しぶりに野うさぎの足跡を雪上に見た。この足跡は絶対間違えない足跡だ。とはいえ、土の上ではなかなか素人にはわからないし、そもそも気がつかない。雪上ならではのもの。

 一昨日の夜にわが家のあたりから飯島町を中心にそこそこ雪が降った。朝方自ら雪をかいたのは、今年初めてだ。聞くところによるとよそはそれほど降っておらず、伊那市より北へ今朝方足を運んだら、まったく残雪がなかった。昨年も冬季に現場に出ることが多かったが、そもそも雪が少なかった。富士見町には雪が多かったが、獣の足跡を見ることはほとんどなかった。さすがに、中央アルプス山麓は獣が多く、わたしが雪上で獣の足跡を意識的に確認した記憶は、ほとんど中央アルプス山麓だ。ところが近年この界隈で冬季に現場に足を運ぶことがなかったこともあって、野うさぎの足跡とは縁がなかった。

 ここは、飯島町。けして山麓というわけではないが、段丘崖である。こういう空間を使って獣は行き来する。熊もそうだろう。ここは中学生の通学路の脇だが、その通学路にもひとの足跡は数えるほど。今はこの段丘崖を通る中学生はほとんどいないのかもしれない。あるいは通学しようと思っても親はこの怪しい空間を一人で歩かせることはできないのかもしれない。それほど今は鬱蒼としていて、とくに冬季は陽は差さない。

 すでに雪が解け始めていて、足跡は真新しくない。しかし、確実に歩道をまっすぐ、まるで人が歩いたように一匹の野うさぎが手前から奥に向かって歩いている光景が映し出されている。わたしの子どもころも野うさぎを見かけたのは、この段丘崖の続きだった。もう半世紀ほど前のこと。もちろん当時は足跡を見たわけではなく、野を歩いている姿を何度も確認したものだ。個体そのものが減っているのだろうが、こうした足跡を見かけることで、今も息づいている姿が追える。そういえば、昔はうさぎを「羽」と数えたが、今はどうなんだろう。

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2020 アサギマダラ

2020-10-04 23:55:59 | 自然から学ぶ

 

 

 先週「ようやくアサギマダラ」を記した。今年はアサギマダラの数が少ない、と。

 その後アサギマダラの来訪数は増えたようで、数日後に妻は、10頭ほどの数を確認したという。今日も1週間ぶりに農作業に訪れると、確かに先週よりは多そう。しかし、「10頭はどうだろう」、と様子をうかがっていると、フジバカマの群生の一角に、数頭のアサギマダラの姿を確認。どうもその一角がお気に入りのようで、今日はそこにアサギマダラが中している。近寄ってみると、確かにそこには数頭の姿を見、よく見ると近くにも群舞する。その数、正確に数えることはできなかったが、10頭以上。今年のピークを迎えている感じ。

 わが家にはマーキングされた個体は例年もあまり訪れないが、1頭にマーキングが見えた。その情報は「9/29 SUZAKA」とある。「SUZAKA」とは須坂のことなのか?5日前の記録となる。やはりフジバカマが満開を迎えている場所に集中している。

 今回は、ちょっと良い感じの写真が撮れた。

 

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ようやくアサギマダラ

2020-09-26 23:06:10 | 自然から学ぶ

 

 昨年アサギマダラについて触れたのは9月30日、一昨年は9月23日10月7日だった。そう思うと、けして遅い、というわけだはないが、妻に言わせると、昨年最初にやってきたのは9月15日だったという。ところが、今年はお彼岸を過ぎてもその姿が見られない。すでにフジバカマの花のピークは過ぎ、お辞儀する始末で、今年は見られないのか、と思っていたら、数日前からその姿が見られるようになったが、その数は昨年比ではない。世間でフジバカマを増やしているせいもあるのだろうが、さまざまな環境差によるものなのだろうか。

 昨年も「今年はやってくるのが少し遅かったようだ」と記しているから、傾向としてはしだいに遅くなっているのかもしれない。比較的ひとには慣れているアサギマダラだが、今年初飛来した個体は、当初はひとの気配を察知するとすぐに飛び立っていた。今までの印象と少し違ったのだが、しばらく近くで様子をうかがっているうちに、少し慣れたようで、近寄ることはできたが、それでもこの地で初めてアサギマダラを確認したころに比べると、ひとに対して敏感になっているようにも思う。以前はカメラを構えたまま近寄ればかなりせっきんしても飛び立つことはなかった。まだ数個体しかやってきていないが、この後もう少し増えるのかどうか、例年になくさびしい状況である。

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意外なところにワレモコウ

2020-09-10 23:35:22 | 自然から学ぶ

 

 今年、調査でお世話になった方の水田を訪れ、設置していた機材を今日すべて撤去した。そのうちのひとつの水田と道路との間、道路の法面にワレモコウが咲いている姿を捉えた。

 この地域は全域ほ場整備をし、かつての姿が一変した地域。すでにそれから40年以上経過している。かつてこの近くにわが家の田んぼもあって、稲刈りのころ、近くの土手にはセンブリがたくさん生えていたことを思い出す。母はそのセンブリを取ってきては、干して保存していた。「お腹が痛い」と言うと、センブリを煎じて飲ましてくれたもので、その効果は確実だった。そのセンブリの自生地は、今はもうない。大規模なほ場整備で植生は大きく変化したと考えていたが、まさか道端の、明らかに造成されたと思われる場所にワレモコウが咲いていて、意外だった。同じ日、やはり機材撤去に訪れた水田を耕作されている方の家を訪れると、訪ねた方は家の近くで農作業をされていて、その水田の畦にもワレモコウが咲いていた。先ほどのこともあったので、「このあたりにはワレモコウはよく残っているのですか」と聞くと、多くはないが「ちょくちょく見るに」と言われる。この地域は畦草をきれいに刈り取る傾向があって、植生は単一化している傾向があるが、知っている人たちは、希少なものはちゃんと残してくれているのだと気づく。

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月見草2020

2020-06-27 23:55:57 | 自然から学ぶ

 

 一昨年、「月見草2018」を記し、その前年も「月見草」を記した。畦草を刈る際に、注意しているのは、今は月見草のみ。以前はノアザミも残していたが、株が多いので今は無視している。すると妻は「ノアザミのある土手も、今は少ない」と言って、少し気を使えと言わんばかり。自分でも「確かに…」とは思うが、草刈が面倒くさくなって仕方ない。

 今年は転作して稲を植えていない畦に、たくさんの月見草が咲いている。とはいえ、咲き始めるのは、今日も午後7時半くらいから。早いものは7時くらいに咲き始めるが、賑やかになるには、やはり暗くならないと花を咲かせない。もちろん暗いから、手持ちではうまい具合に写真を撮れないが、今年は賑やかさを表現したいと思ったのだが、なかなかそうはいかなかった。

 月見草、とはいってもマツヨイグサのことを言っていて、本物の月見草ではない。しかし、暗くなってからこれでもかと花を広げる姿は、なかなかのものだと思うし、何といっても夜の静けさの中に、その賑わいは星を見るようなものだと、わたしは思う。

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雑草は不思議だ

2020-06-21 23:42:19 | 自然から学ぶ

 4年前に「ヤブガラシ」を綴った。そのときにも閲覧したページを意図があったわけではないが、また開いて読んだ。同じページとは思わなかったが、「ヤブカラシ」に紹介した文と同じフレーズが掲載されているから、きっと当時閲覧したページと同じだ。

 我が家が「草屋敷」化していることはたびたび触れてきた。久方ぶりに我が家の庭も、妻の実家の草刈の合間をみて手を掛けようとしているが、容易ではない世界に、挫けることしきり。とはいえ、手を掛けなかったせいで、生垣が大変なことになっている。ようは剪定をろくにしなかったため、枝が伸びて伸びて…。そのせいか庭に日陰が多くなって、かつてに比較すると草が少なくなった、ように思う。ようは日陰になったせいで草の生長が遅れているということだ。よく手入れをしていたころの厄介な草は、何と言ってもスギナだった。地下茎が長いから、丁寧に抜いても根は残る。したがって取っても、取っても…、ご存知の通りだ。前述の閲覧ページでもヤブガラシと同等の草としてスギナが紹介されている。簡単には絶やすことのできない草だ。焦土と化した広島において、翌年、たくましく芽を出した草の中にスギナもあったという。除草剤程度ではなかなか絶えない草と言えそうだ。その理由は「大地を再生するため」だからだという。ヤブガラシにも相応の理由があるという。その目的を解いてやれば枯れるというのだが。「ヤブガラシ」にも記したように、絡みついたヤブガラシを解いて、地面にくるくるとおいてみたが、当時枯れなかった記憶がある。ようはこの方法ではうまくいかない、そう思っている。があらためてやってみようとは思っている。

 草と言うものは前述したように環境が変わると、様子が違ってくる。スギナが減少した理由は、日陰になったばかりではないように思う。ヤブカラシが増えて地下を席巻しているせいもあるのでは…。そのヤブカラシも、これまで密集していたところに同じように芽を出してくるというふうでもない。厄介だからなるべく広がらないようにとしているのだが、それでも広がって違うところで芽を出す。こうなると地下の茎はどこまでも…。いっぽうで以前盛んに芽を出していた場所では減少する。やはり役目を終えると絶えて行くのか。考えてみれば、これほど強い雑草なのに、アレチウリほど広がっていかない。そり理由は何か。「ヤブガラシ」にも文末に「この雑草の生体を研究している人はいるのだろうか」と記したが、今回も同じ感想で締める。ヤブガラシに限らず、雑草は不思議である。

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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****