今年に入ってから、バリ舞踊のレッスンは、月に2回。うち1回は、小松で全体練習、もう1回は、午前金沢、午後小松の1日レッスン。で、27日は1日レッスンの日。
1週間くらい前から、心に迷いがありました。七尾からだと遠いし、これから週末時間もほとんどないし、今回のレッスンは金沢だけの半日でやめとこうかなぁ…と。でも、土曜が近付いてくると、身体や心にもやもやしたものがたまってきて、「これを払拭できるのは、バリ舞踊しかないっ」と思えてきて、よーし、何が何でも1日行くぞーといき込んできたところに、予定をみてみたら、なんと仕事の当番があたっていて、荒れ模様の天気だとレッスンには行けないことに気づいて、がーーん。どうか晴れますように…と願いが通じて、朝起きると、穏やかそうな1日が始まっていました!
金沢レッスンでは、陽気につられて、外でルジャンを踊りました。建物の床の上で踊るのと、足の裏に伝わってくるエネルギーがぜんぜん違います。前回のレッスンで教わったように、「踵の重心で立つこと」を意識していると、少しは受け止められるような気がしました。
でも、その後で、「手が抜けちゃってます。手の先からエネルギーが逃げちゃってます…」と言われ、あらららら。たしかに、手を回すところとか、しなやかに動かせなくって、途中で、ぺろんと楽しちゃってるんですね。無意識のうちに…。バリの踊り手さんの指といえば、もうそれだけでみとれてしまうほど、しなやかで、バリ舞踊の華なのです。でも、私ときたら、幹(身体)はぐらぐらの割にしなやかさがないし、華は、力なく…。
その後、前回に引き続き、ひとりひとりのアガムをチェック。
アガムとはいえ、基本はまっすぐ立つことなのです。踊りを始めて気づいたことですが、ほんとうに美しくまっすぐ立つことのできる人って、どれだけいるんだろう?自分ではまっすぐだと思っていても、骨盤が傾いていたり、あるいは背骨が湾曲していたり。
かくいう私も、骨盤が前傾していて、その左右の開き具合も違うもようです。そのせいで、肩の高さが違ったり、いろいろと歪んでいる訳で…はい。それでも、そういうことを意識して、まっすぐにしたいと日常生活に気をつけているだけで、いくぶん修正は可能なのだと思いました。
で、アガムでは、肘を直すと、腰が×になり、腰を直すと、肘が…×。とほほ。
踊りを始めて、もう4年になりますが、真剣に練習するようになって1年半。「食」の好みも変わったし、身体の質がずいぶん変わったかもしれません。
でも、まだ、ここの部分(内臓というか、『肚』というか)が、全然ダメなのです。動かないがゆえに、無理矢理、手を動かして、身体がばらんばらんになっています。
午後レッスンで、ルジャンの左右の移動のところの「肚」の動かし方を見て、「あー、私のと全然逆だなぁ」と思いました。いえ、意識のなかでは、「肚」から動かすことっていうことは、随分前から意識しているのです。でも、身体がついてこない…何をどう動かすように身体にサインを送ったらいいか分からないのです。
そういえば、こんなことも。「胸の中央の骨の部分」あたりをさして、ここから、こう(エネルギーが開いていくような感じで」…。そういえば、ここしばらく、気持ちが、その逆向きに、籠ってました。誰にも何も言っていないのに、踊る身体はとても素直なのかもしれません。
金沢→小松への移動中、幸恵さん(バリ舞踊の先生)と、「やっぱり自分の感覚で確かめないとねー」というような話をしていました。噂や、情報や、誰かの言ったことより、自分自身がどう感じたかということに尽きるということです。
よく「自分の身体のことは、自分にしか分からない」のですが、その自分ですら分からない…人も多いような気がします。(私もかくいう一人)。
あるいは、分かっていても、どうしたらいいのか、分からないとか。
ひとりひとりが、自分の身体をちゃんと感じ、慈しむことができるようになったら、きっと悲しい事故や、痛々しい事件なんてなくなるんじゃないかと心の底から思ったりします。
そ、そうだ、ここは、バリ舞踊練習日誌でした。
小松レッスンの最後に、その場の空気がちゃんとおりてきている…というような話題になりましたが、踊り尽きた私の目には、空気がとてもきめ細かい粒子になっているような気がしました。
踊っている時は、踊りのこと(振り…笑)以外何も考えません。でも、そうやって身体を絞って、心も踊り一色だった後は、身体や空気もさることながら、気持ちがとても清々しいのです。
で、そんな晩は眠る直前まで「インナーマッスル熱いなぁー」と。夢の中までインナーマッスル熱いーなんて言ってたような…笑
たぶん、私が、七尾で、清々しく生きていられるのは、バリ舞踊と、お掃除と、温泉のおかげです。逆に、それ以外は、もう何にも要らないやーって。(もちろんご飯は別!)(20060528)
1週間くらい前から、心に迷いがありました。七尾からだと遠いし、これから週末時間もほとんどないし、今回のレッスンは金沢だけの半日でやめとこうかなぁ…と。でも、土曜が近付いてくると、身体や心にもやもやしたものがたまってきて、「これを払拭できるのは、バリ舞踊しかないっ」と思えてきて、よーし、何が何でも1日行くぞーといき込んできたところに、予定をみてみたら、なんと仕事の当番があたっていて、荒れ模様の天気だとレッスンには行けないことに気づいて、がーーん。どうか晴れますように…と願いが通じて、朝起きると、穏やかそうな1日が始まっていました!
金沢レッスンでは、陽気につられて、外でルジャンを踊りました。建物の床の上で踊るのと、足の裏に伝わってくるエネルギーがぜんぜん違います。前回のレッスンで教わったように、「踵の重心で立つこと」を意識していると、少しは受け止められるような気がしました。
でも、その後で、「手が抜けちゃってます。手の先からエネルギーが逃げちゃってます…」と言われ、あらららら。たしかに、手を回すところとか、しなやかに動かせなくって、途中で、ぺろんと楽しちゃってるんですね。無意識のうちに…。バリの踊り手さんの指といえば、もうそれだけでみとれてしまうほど、しなやかで、バリ舞踊の華なのです。でも、私ときたら、幹(身体)はぐらぐらの割にしなやかさがないし、華は、力なく…。
その後、前回に引き続き、ひとりひとりのアガムをチェック。
アガムとはいえ、基本はまっすぐ立つことなのです。踊りを始めて気づいたことですが、ほんとうに美しくまっすぐ立つことのできる人って、どれだけいるんだろう?自分ではまっすぐだと思っていても、骨盤が傾いていたり、あるいは背骨が湾曲していたり。
かくいう私も、骨盤が前傾していて、その左右の開き具合も違うもようです。そのせいで、肩の高さが違ったり、いろいろと歪んでいる訳で…はい。それでも、そういうことを意識して、まっすぐにしたいと日常生活に気をつけているだけで、いくぶん修正は可能なのだと思いました。
で、アガムでは、肘を直すと、腰が×になり、腰を直すと、肘が…×。とほほ。
踊りを始めて、もう4年になりますが、真剣に練習するようになって1年半。「食」の好みも変わったし、身体の質がずいぶん変わったかもしれません。
でも、まだ、ここの部分(内臓というか、『肚』というか)が、全然ダメなのです。動かないがゆえに、無理矢理、手を動かして、身体がばらんばらんになっています。
午後レッスンで、ルジャンの左右の移動のところの「肚」の動かし方を見て、「あー、私のと全然逆だなぁ」と思いました。いえ、意識のなかでは、「肚」から動かすことっていうことは、随分前から意識しているのです。でも、身体がついてこない…何をどう動かすように身体にサインを送ったらいいか分からないのです。
そういえば、こんなことも。「胸の中央の骨の部分」あたりをさして、ここから、こう(エネルギーが開いていくような感じで」…。そういえば、ここしばらく、気持ちが、その逆向きに、籠ってました。誰にも何も言っていないのに、踊る身体はとても素直なのかもしれません。
金沢→小松への移動中、幸恵さん(バリ舞踊の先生)と、「やっぱり自分の感覚で確かめないとねー」というような話をしていました。噂や、情報や、誰かの言ったことより、自分自身がどう感じたかということに尽きるということです。
よく「自分の身体のことは、自分にしか分からない」のですが、その自分ですら分からない…人も多いような気がします。(私もかくいう一人)。
あるいは、分かっていても、どうしたらいいのか、分からないとか。
ひとりひとりが、自分の身体をちゃんと感じ、慈しむことができるようになったら、きっと悲しい事故や、痛々しい事件なんてなくなるんじゃないかと心の底から思ったりします。
そ、そうだ、ここは、バリ舞踊練習日誌でした。
小松レッスンの最後に、その場の空気がちゃんとおりてきている…というような話題になりましたが、踊り尽きた私の目には、空気がとてもきめ細かい粒子になっているような気がしました。
踊っている時は、踊りのこと(振り…笑)以外何も考えません。でも、そうやって身体を絞って、心も踊り一色だった後は、身体や空気もさることながら、気持ちがとても清々しいのです。
で、そんな晩は眠る直前まで「インナーマッスル熱いなぁー」と。夢の中までインナーマッスル熱いーなんて言ってたような…笑
たぶん、私が、七尾で、清々しく生きていられるのは、バリ舞踊と、お掃除と、温泉のおかげです。逆に、それ以外は、もう何にも要らないやーって。(もちろんご飯は別!)(20060528)