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=HITORIGOTO=旅するココロ

 金沢→能登→東京…暮らしでのこと

バリ舞踊練習日誌060708

2006-07-09 | バリ舞踊
 あれよあれよと7月。朝、掃除して布団を干してみて、いい天気と思ったけれど、いざ出かけてみると、南に向かうにつれて、もわーっとした湿気の重い、それでいて、熱い空気。こんな日にレッスンなんて…。大汗注意報…笑。レッスンの数日前から、少し身体が重くて、症状からして、膵臓が衰弱しているもよう。レッスンまでにはなんとか体調をプラスマイナスゼロの状態に…。
 身体をほぐしながら、…ふむふむ、今日は人数が少ない…ってことは…?!レゴンみっちりといきました。。。
 一回曲をつけてみんなで踊ってみて、それから、パーツパーツでおかしいところを。
 その後からが、鬼の特訓でした。参加メンバーは8人だったのですが、一人1回、先生(=幸恵さん)の左隣で、通しでみっちり踊ることになりました。(人数分、踊るのーーー驚)
 ひとりひとり、適切なアドバイスとともに、それぞれが弱い部分を補う体操なんかも、みんなでやったりなんかして。身体の癖というのか、ひとりひとりそれぞれ違ったもので、それはそれは、なるほどなーと思いました。
 で、なんとなく後ろ向きな私、最後に踊りました…(もっと早く踊っておけばよかったかなーという体力、燃料切れ寸前)
 とにかく必死で踊りました。見えてなかったです。いちばんはじめのレットーン(目の動き)で、右目のコンタクトが目玉の中、どこかへいきそうだったこともあるのですが、それが戻ってからも、真似しなきゃって思いがいっぱいで、自分ではめいっぱい同じつもりで踊っているつもりではいたのですが…。
 終わってから聞かれました。「何が違ったと思う?」
 (は、、見えてなかった)「…分かりません」…「背中抜けてるところとか…かな。」
「いつも言ってるところ、今日も言ってたと思うけど、『肚』が…×××」
(あーーー、永遠の課題、肚が全然ダメなんだ。動かないんだー)
 いつもになく、レッスンの場がシンとした。
「どうしたらいいんでしょうねー」
 まるこ、あまりのふがいなさに、泣きそうになる。
 その時は、振りも覚えて、なんとなく皆で楽しく踊れればそれでいいじゃん…なんて決して思えなかった。片意地なんですかねー。
「身体の問題っていうよりも、心(考え方、精神???このいずれかの言葉だった)のほうかもね?」
「枠にはめて、きちんと整頓して…×××、枠の外側から見るというか…」
「そもそも、踊りは、むかーしむかーしからあったものです…」
(縄文時代に、踊っている人たちの姿がなぜかイメージできた)
(だんだん哲学的に…。あぁぁぁあぁ。)
 でも、言わんとすることは分かる。肚が動かないのは、私の本能が、身体が、なぜ踊るのかということを分かっていないからだ。そして、分かるというか、自分の中から踊ろうとしていないからだ。そんな気持ちになったことがないからだ。
 そう考えると、人生の中で、ただの一度でも、本当にわき上がるような本能のままに、身体を動かしたり、何かを表現したことって、私には無いのかもしれない…と思えてきて…。
 踊りでは無理でも(…もう開き直ってどうする?)、これでいいのか、我が人生?!
 おっと、舞台をレッスンに戻すと、
「(踊りは)深いですー」と言いつつも、糸口も何も見つからないままの私。
 そして、今日、背中やらお腹まわりの筋肉痛だけが、あのレッスンのみっちり具合を痛みで教えてくれる。で、本能の筋肉痛はない。肚の存在も分からないままだ。
 身体も思うように動かせないのに…というのが正直な気持ち。
 なんか、踊りが苦行に思えてきた…笑。2006年夏間近。(20060709)

バリ舞踊練習日誌060624

2006-06-25 | バリ舞踊
 梅雨入り後の初レッスン。今日は、午前午後と分かれたけれど、ひさしぶりにみんなのたくさんの顔をみられて、ちと嬉しかった。
 そう、今回のレッスンの2日前、幸恵さんから石川メンバーあてに、読んだだけで、目が覚めるようなメールが届いた。それを読んだ私なぞは、ジャブどころか、考え込んでしまった。「私は、何のために踊っているのだろう」。そもそも三十路を迎えて、運動不足解消のために、かるーい気持ちで始めたバリ舞踊。でも、実際は、本当に奥深く、知れば知るほど、身体はメタメタだし、踊りの才能もない。続けているからといって、踊れるようになるなんて保証は何ひとつない。いや、踊れないと思ったほうがいいのだろうということくらい、私にだって分かる。「バリの神様、ごめんなさい。踊れないのに、続けていていいのでしょうか?」と思ったことは、数知れず。それでも、振りをなんとか覚えて、みんなの顔を見るたびに、ここまで続けてこられた。
 でも、バリ舞踊は、いまや、私の一部となっていて、レッスンのない週末なんて、本当に寂しくって、週末じゃない気がする。
 で、今日のレッスン。身体が梅雨だなー、身体に水分こもってるなーと不安な気持ちもあったのですが、空は晴れてるし、気持ちのいい朝。
 足指マッサージをして、操体法をして、歩きを…。鏡をみて、あれ? 胸から下が動いてません。いえ、今日にかぎらず、動かないのです。いったい何が悪いのでしょう? そう思えば思うほど、ぎこちない。自分の身体なのに、自分のものではないよう。
 続いて、基本のアガムを、腰をまっすぐおろせず、足の位置が変です。さらに、上半身は、無理矢理かたちをつくろうとしている。思うに、もっと、素直でいいのだ。なのに、指令系統が…。
 要は、基本がなってないってことだ。心の中で、すごくへこむ。今までいったい何してたんだろうって。なんだか今日はとことんネガティブモードかつ、謙虚な気持ち。
 で、時間も短いので、キパス(扇)の使い方をば。前回、キパスを貰ってからのすぐのシーンのピロスのところとかを、ゆっくり詳しく教えていただいたので、今までよりも落ち着いて…。頭では分かる。あとは身体。前回「イメージでとらえるように…」と。道のりははるか。
 そういえば、午後のレッスンでは、「踊りに限らず、スポーツ全般にいえることですが、いかに無駄な動きをせずに、軸をずらさずに…」
 そうそう、そうなんです。そうなんです。そして、私の動きにはぶれや無駄が多いなぁとつくづく思います。美しいのは、もっとコンパクトなんだなーとも。
 でも、そうなるには、ある程度の体力、筋力、精神力みたいなものが必要…。基礎体力なくして、基本はありえません。ちゃんと歩けないのも、きっと原因はあります。見たものをそのまま表現しようと思っても、身体や心や意識に癖があったり、歪みがあっては、できないなぁと。
 もっともっと素直な身体や心や意識になりたいなーと心底思った。
 踊りの振りのなかでも、もっとシンプルなんだなぁーという発見もあった。要は難しく考えないこと。
 そして、自己練の前には、ちゃんとストレッチすることー(笑) 話のなかで、あんまり家でストレッチしてないんですーとついぽろり。一同「えー」。ひとりでもごまかしちゃだめよんってことで、猛省。
 あと、「一時間くらいノンストップで踊る」というお話は、心にずしんと来ました。ずいぶん前に、私が、すごーく高い目標?を打ち明けたことがあって、その時は若気のいたりでそう思ったのですが、続ければ続けるほど、それは無理と思えてきて、でも、もしかしたら、もしかしたら、という気持ちもあるものです。幸恵さんはそのことを覚えていらっしゃっていて、そうアドバイスくださったと思いました。でも、それは、ちゃんと振りも正しくごまかさず覚えて、基本のことができるようになってからのことと自負しています。でも、今、振りとか姿勢もさることながら、そういう助言をもいただけたということが、なんだかとても嬉しかったのです。
 1日のレッスンが終わって、もう、何のために踊るのか…とかは、とりあえず、棚においとくことにしました。私は今こうやってやっていることは、今の私に必要なことのひとつ。 余計なことは考えない。もっと素直に!ってことだもんね。(20060625)

身体のクオリティー

2006-06-22 | バリ舞踊
 バリ舞踊の師である幸恵さんから、とあるウォーキングシューズの存在を教えていただいて、この春から、ほぼ毎日、このシューズを履いています。一見、違いが分からないのですが、履いてみると「おやおや。不思議な感じ」
 なにやら、なかなか鍛えることのできないハムストリングス(という名前だったかな?)という、大腿筋の後ろ側の筋肉をストレッチしてくれる機能があるのです。
 このシューズを履いて、約3ヶ月、こころなしか、姿勢もまっすぐになって歩けるようになったような気がします。これにあやかり、バリ舞踊の基本の姿勢も、ちゃんとまっすぐに立てるといいなぁ…。
 で、直接の関係はないかもしれませんが、最近、発見…。腹筋が、ついてきてます。よーくみると割れているような気がする。気のせいかも。気のせいだ…と思ってはいますが。
 背筋がついてきたなぁということは、なんとなくそうかもなぁと思っていたのですが、(本人見えません…) 表と裏で腹筋もセット?
 いえ、特別なことは何もしてません。いやいやいやいや、バリ舞踊の練習くらいです。
 思うに、20代よりも、30代である今の身体のほうが、クオリティー高いと思われまする。
 身体は、ちゃんと鍛えて???大切にしてあげると、ちゃんとかえってくるものなのですね。
 年をとるって、だんだん衰えていくだけのことかと思われがちですが、ところがどっこい、そうでもない。これってちょっとすごいことだなぁと思いました。(20060622)

踊りと好きとまんなかと

2006-06-21 | バリ舞踊
 数日前から、よしもとばななさんの日記にはまりだした。フラのレッスンのところを、かいつまんで読む。踊りのレッスンに通うきもちなどなどは、フラであれ、バリ舞踊であれ、なんだか分かるなぁーと思いながら。
 よくよく読んでいて、あれ?っと思ったのですが、ばななさんがフラを始めたのが、2001年~2002年にかけてのこと。私が、バリ舞踊を始めたのも、2002年のこと。ばななさんは、途中出産育児なんぞをはさんでいますが、ほぼ同じくらいの間、踊りを続けているんだなーというのも、「あーそうなんだー」って気持ちになった。
 ごく最近の日記で、(といっても1年以内だったかな)、「共に踊りを踊りながら好きになった人たちは、ほんとうに好きになれる人たちだ。」とあった。その前後の文脈もあってかもしれないけれど、おもわず、コピペ(メモ)してしまった。
 踊りは、人の気持ちを裸にするなーと思っていました。
 ダンサーじゃなくっても、踊っているのをみると、その人がどんな人だか分かる。感じることができる。
 だから、「ごまかして踊っている」と言われたら、「あー、そういえば、私、ごまかして生きてるかもしれないなー」って思うし、「なんかこう、かたい…」と言われ、「あー、堅物…」って自覚し、「動きが気持ち悪い」って言われたときなんて、「えー、どうしよう」って思った(笑)
 で、人の美しさに対する定義みたいなものも、変わったというか、踊りを習っていなかったら、今頃そうは思っていないだろうなぁーと思えるものが、そのまんなかにある。
 美しいということは、すこやかということなんじゃないだろうかということ。すこやかに生き、その身体で感じたこと、交わっていくこと、生まれてくるもの…それが、美しいということなのだと思うのです。
 だから、ばななさんのいう好きとは違うかもしれないけれど、私は、健やかに美しく生きる人、いのちすべてが美しいと思うし、「好き」だなぁと思えるのです。
 そして、ちゃんと、ひとつひとつのいのちは、すこやかに美しく輝けるように存在しているような気がします。
 人を好きになるということは、そのいのちの輝きを美しいと感じ、交わったり、つながったりする、いのちのまんなかにある部分のことかもね。(20060621)
 

身体そして心…開くということ

2006-06-15 | バリ舞踊
 前々回のバリ舞踊レッスンの時、実は胃の調子が悪かったのです。季節柄、うまく消化できず、おもーい感じ。
 その後、自分でも面白いと感じられるほど、いろんなものが身体から排出されていくのを感じました。 
 で、前回のレッスンを受けたわけですが、そのときに、「前回は、ほら体調がよくないみたいだったから…」 あまりアドバイスをしなかったと言われました。
 師は、すべてお見通しです(笑)
 調子がよくないときは、身体も心も閉じているような気がします。
 でも、何かをきっかけとして、いえ、きっかけなんてないのかもしれないけれど、ぷわーっと開きはじめて、いらないものを出す。プラスでもマイナスでもない身体と心になる。
 こころとからだは、ひとつのものだなぁーと思う。
 よくレッスンで言われる「身体を開く」ってどういうことだろうと思っていました。最近思うのは、心を開くことで、身体も開かれるんじゃないかなーということ。いえ、身体を開くと、心が開くのかもしれません。
 例えば、みんなで先生の真似をして同じポーズ(姿勢)をとろうとします。でも、誰一人とて、同じポーズではないのです。ひとりひとりは違う身体をしているからというだけではありません。完全に真似できる素直な身体の人はいなくて、それぞれ何かしら自分のくせのある身体で表現します。くせとなって出てくるところは、骨格のゆがみであったり、日常の習癖でついてしまったものだったりします。
 どうして、ちゃんと踊れないんだろうって思っていたときに、気づいたことでした。そのゆがみや癖をとれば、もっと素直に楽に表現できるんじゃないかって。踊りの基本以前に、自然な身体として、素直であるかどうかってこと。
 で、ちと考えたら、踊りにかぎらず、なんでもそうなんですよね。
 心のありようも、そう。
 身体の開き方はいまだ分からず…ですが、もしかしたら、身体を開くための鍵は、もっと別のところに隠されているのかもしれません。
 そんなことを考えながら、人間観察すると、すごーく面白い。
 そして、思うのは、閉じてるより、開いているほうが、ぜーったい人生、楽しいと。
 難しいのは、自分はオープンマインドだーって人でも、身体や心が閉じていることもあるように思います。自分を過信しないこと、謙虚であることも、心や身体を開くには、欠かせないひとつであるからなのです。(20060615)