これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

元慰安婦の韓国人の婆さん、橋下市長との面会「しんどい」からやめた、では「私は売春婦」

2013-05-26 | 安全保障

元従軍慰安婦、橋下氏と面会中止 発言に態度硬化
                
信濃毎日WEB版5月24日(金)09:51  

 24日に予定されていた、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長と韓国人元従軍慰安婦の金福童さん(87)、吉元玉さん(84)との面会が、元慰安婦側の意向で中止となった。大阪市が同日、明らかにした。 市の広報担当者によると、24日朝、元慰安婦の支援団体が面会中止の意向を伝えた。

 支援団体によると、2人は23日夜、「(面会は)無理」との考えを示した。2人は橋下氏の態度に反発、面会は「しんどい状況になった」と話したという。 

 面会は報道陣に公開する予定で、橋下氏は「強制連行の有無にかかわらず、元慰安婦に謝らないといけない」と述べ、2人に謝罪する意向を示していた。 

橋下氏との面会、中止する意向 「しんどい」と元慰安婦 
          
東京新聞 2013年5月24日 08時14分 

 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長と24日に面会する予定だった韓国人元従軍慰安婦の金福童さん(87)、吉元玉さん(84)が、面会を中止する意向を示したことが同日、支援団体への取材で分かった。

 元慰安婦2人が23日夜、支援団体に「(面会は)無理」と伝えたという。支援団体幹部は「まだ中止と決まったわけではない」と話している。
 支援団体によると、慰安婦をめぐる発言を撤回しない橋下氏の態度や、自身の健康状態から「しんどい状況になった」と話しているという。大阪市の広報担当者は24日朝「中止の連絡は入っていない」と話した。 (共同)  

社説[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」 
            沖縄タイムス 2013年5月20日 09時24分 (37時間27分前に更新) 

 尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。 
 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が5月18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。 

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。 

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。
私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのかと批判した。 


 日本政府は1993年の河野洋平官房長官談話で「お詫(わ)びと反省」を表明。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと旧日本軍の関与と強制性を認めている。 

 だが、第1次安倍内閣は2007年、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。橋下氏の強制連行はなかったとの発言はこれに基づくものだ。 

 そもそも強制かどうかに関係なく、公党の代表が現在の時点に立って「当時は必要だった」と公言すること自体許されないことだ。 
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       支援者の代表が記者会見
       婆さんに面会しないように入知恵しなかったか?
 
      支援者というが、胡散臭い  
   

     婆さんは今朝、急に 会うのが怖くなった   
       公開の場での面会に怖気づいたか      
   

     橋下市長に会いたいと言ったのは昨年だった  
   

     出鱈目さを曝け出す前に敵前逃亡 
       日本敗戦後3年間、慰安婦だった  
   
         2013年5月24日 午後6時~ テレビ6ch TBS Nスタ   


金福童という婆さん、「自分は売春婦であった」と白状したようなもの  

 
この婆さんは慰安婦か“売春婦”か分らないが、現在87歳である。
 この
婆さんは「アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。」といったが、どこを転々としたのか。  
 
  この
婆さんが22歳のときは1948年、日本が敗戦したのは1945年である。 この婆さんは日本軍消滅後3年間も“存在しない”日本兵相手に“慰安”をしていたことになる。
金儲けの売春を “慰安” と言い換えて嘘を言いふらしていることになる。
恥知らずか馬鹿なのか、度し難い。  


 婆さんが14歳のときは1940年である。当時、日本は米英に宣戦布告をしていない。したがって日本軍が展開していた地域は日本列島、朝鮮半島、台湾及び中国大陸に限られる。朝鮮半島及び台湾は、現在の用語で言えば“平時”である。平時の台湾や朝鮮半島に駐留していた日本軍が“慰安”のために朝鮮人を強制連行することはない。  

   金婆さんは「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と言っていた。ならば、当時の鮮の学籍簿などを調べれば事の概要が分る。証拠として提示すべきである。 

 中国の広東に連れて行かれたときは14歳だったのか15歳のときだったのか。言うことが一貫していない。如何わしい女の一人として売春、金儲けのため軍の後を追ったのであろう。それは、恰も日本各地の米軍基地周辺に売春婦がたむろしているのと全く同じ状況である。  

 また、中国大陸における日中の戦いは、広大な大陸を逃げ回る共産ゲリラや蒋介石軍相手の戦いで、日中戦争も終末期に近づくにつれ日本軍の支配した地域は中国大陸の「点と線」と表現されるような限られた地域であり「面」を構成するような状況ではなかった。

 日本軍は敵軍を追討することに追われ、兵站活動即ち人馬や弾薬、食料などの輸送に四苦八苦していた。軍隊が民間人、しかも売春婦を“連行”する余力はなく、商売女が軍の後を追ってついていったのである


 戦場の様相からいえば、進軍する兵団の後を追っかけてくる馴染みの朝鮮ピー(朝鮮人の商売女)に請われて兵隊がトラックの荷台に乗せて移動させたこともあったであろう。基本的には軍隊が民間人を輸送することはないのであって、戦況逼迫した状況であればなおさらそのようなことをする余力はない。

 「15歳で連れて行かれ中国の広東」で慰安婦だったようであるが、太平洋戦争開戦時、中国の広東に展開していたのは第38師団で開戦と同時に、香港を攻略、陥落させた後、翌1942年2月、インドネシアのスマトラ島のパレンパンを攻略、占領した。開戦の緒戦に連合軍を壊滅させた日本軍が薄汚い売春婦を香港から、スマトラ攻略に帯同させることは、絶対にない。しかもこの第38師団はその後、スマトラ島以外の地域に転戦している。

 婆さんが雇われたと言う第10陸軍病院が所属していた第25軍の師団は近衛師団、第5師団、第18師団及び第56師団であり、第38師団はその隷下にない部隊である。

 また金婆さんは1945年8月31日、当時19歳だった時、南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。終戦時、第10陸軍病院は南方軍、第7方面軍の第25軍隷下にあり、インドネシアのスマトラ島に所在していた。

 最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたのは、8月15日の終戦により
南方から帰還するためには、軍に雇用された軍属であれば帰還船に乗る上で都合がよいからである。 
 軍の「傭人」でなかった婆さんは、いつの時点でスマトラに渡ったのか。

  まして連合軍に降伏した本軍が連合軍の監視下で、この婆さんを慰安婦として使うことはできない。1948年までの3年間、慰安婦だったということは、現地人を相手に売春をしていたということになる。

 この金福童という婆さんが言うように、軍が広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールと転戦したとしても、日本軍が軍艦や軍用機に売春婦を乗せることは絶対にない。性の捌け口が必要であれば、それこそ現地の売春婦が相手をしたであろうから、薄汚い売春婦を帯同する必要はない。売春婦など作戦遂行上、邪魔である。

 この婆さんは広東からマレーシア、インドネシア、シンガポールと各国を移動したと言っているが、利用した交通手段は日本軍の軍艦か軍用機か、どのようにして各国を移動したのか。嘘、出鱈目を言っているので説明できないだろう。

 戦前の蒋介石軍や中国の軍閥ならむげに否定できないが、それ以外の軍隊で売春婦を連れて戦場を転戦する軍隊がこの地球上に存在するとでも言うのか。 売春婦であるこの婆さんが軍の後を追っかけって行ったなら話は別である。明らかに出鱈目、嘘八百を喧伝していることが分かる。

 
橋下市長にこのような矛盾点を問われた場合、答えられないから体調が悪くなったと言うのであれば、恥知らずの売春婦と見られてもやむを得ない。  


 橋下市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めるため来日し、各地の集会でそれを訴えていたではないか。面会は報道陣に公開する予定で、橋下市長は「強制連行の有無にかかわらず、元慰安婦に謝らないといけない」と述べ、2人に謝罪する意向を示していた。

 面会の直前なって、公開されることの重大さに怖気ついて「しんどい状況になった」とは笑止千万、噴飯物だ。「発言に態度硬化」とは単なる言い逃れに過ぎない。  

 官民あげて反日工作を展開している韓国は、金福童という売春婦をいいように利用しているが、本人が敵前逃亡とは、お粗末極まりない。自分は売春婦であった」と白状したようなものである。 
      政治家にとって言葉は武器である。
       「真意を伝えられなかった」 
         武器を上手く使えなかったのであれば 

            戦に負けたということだ
    
         2013年5月24日 午後6時~ テレビ6ch TBS Nスタ 
     
 また、橋下大阪市長は、軍事や国防についての考えが無いにもかかわらずも、言葉足らずのことを言い、韓国や中国の反発を受けるようでは国政を担う資格はない。戦争は武器を使う政治であり、外交は武器を使わない戦争である。これを理解できなければ、外に向って天下国家を論じるべきではない。市長の仕事に専念することが先である。 

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