現地時間の20日モスクワにおいて、WBSS(World Boxing Super Series)第2シーズンの幕開けとなる、「Draft Gala 2018」が開催された。
同じく21日、同地のオリンピスキ・スタジアムで行われる(既に結果は出ているが)クルーザー級の決勝、オレクサンドル・ウシク(ウクライナ) VS ムラト・ガシエフ(ロシア)戦に合わせて、3団体統一戦(WBA・WBC・WBO)の前日にセットされたのだが、いささか気になることも・・・(後述)。
S・ライト級とバンタム級の2階級に出場する全18選手が勢揃いし、我らが井上尚弥も凛々しい姿を披露した。それぞれの階級で、今秋行われる予選(準々決勝)8試合の組み合わせが公表されている。
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■S・ライト級
<1>WBA王者 キリル・レリク(ベラルーシ) VS 元IBF王者 エドゥアルド・トロヤノフスキー(ロシア)
<2>IBF3位 アントニー・イギ(スウェーデン) VS IBF2位 イヴァン・バランチェク(ロシア)
<3>WBC暫定王者 レジス・プログレイス(米) VS 元WBOライト級王者 テリー・フラナガン(英/イングランド)
<4>WBCシルバー王者 ジョシュ・テーラー(英/スコットランド) VS WBC6位 ライアン・マーティン(米)
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■バンタム級
<1>WBAスーパー王者 ライアン・バーネット(英/アイルランド) VS 元5階級制覇王者 ノニト・ドネア(比)
<2>WBA正規王者 井上尚弥(日本/大橋) VS 元WBAスーパー王者 ファン・カルロス・パジャーノ(ドミニカ)
<3>WBO王者 ゾラニ・テテ(南ア) VS ロンドン五輪フライ級銀メダル ミーシャ・アローヤン(ロシア)
<4>IBF王者 エマニュエル・ロドリゲス(プエルトリコ) VS IBF3位(指名挑戦者) ジェイソン・マロニー(豪)
※IBF指名試合/事前に決定済み
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■参考映像
<1>WBSS Season II Draft Gala
2018年7月20日/モスクワ
https://www.youtube.com/watch?v=aSXXT_XGS14
<2>ガラ終了後の囲み取材
Naoya Inoue EXCLUSIVE Interview post WBSS Draft Gala
https://www.youtube.com/watch?v=w98Ql6idQkw
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日本のファンが注視するバンタム級は、バーネット,井上,テテ,ロドリゲスの4王者が上位シードの扱いとなり、マロニーとの指名戦が既に決定済みのロドリゲスを除く3王者が、それぞれ対戦相手を選択した。
井上が狙っていたドネアは、第1シードのバーネットが指名。第2シードの井上は残るパジャーノとアローヤンを比較し、「WBAの元スーパー王者で、(プロとしての)実績も充分。」との理由でドミニカのラフ・ファイターを選ぶ。
この時点で、第3シードとなったテテの相手はアローヤンしか残っていない。英国を拠点に戦う南アフリカの雄は、プロ4戦の五輪銀メダリストと拳を交えることになった。
「ウシク VS ガシエフ戦に合わせて」と冒頭に書いたけれど、WBSSクルーザー級の決勝戦は、本来サウジアラビア第二の都市ジッダ(ジェッダ)で、5月に行われる予定だった。しかし、開催地を巡ってロシア側から強力な要請(チャチャ?)が入る。
「ロシアとウクライナのチャンピオンが、200ポンドの真のNo.1を決める為に、4つのベルトすべてを懸けて戦う。全世界が熱視線を送るトーナメントの決勝戦に、モスクワほど相応しい場所はない。ロシア国内で行われるプロボクシングの大きなイベントを、我々(ロシア国内の有力プロモーターと協会)は何度も運営管理している。経験も充分なものがあると、そう自負している。」
そうこうしているうちに、主役のウシクが左腕の怪我(1月の準決勝=WBC王者M・ブリエディスに2-0判定勝ち=で傷めたと発表)を理由に延期を申し出て、サウジ行きはいつの間にか消えてなくなり、モスクワへの誘致が決まった。
この時最も熱心に活動したのが、アローヤンをハンドリングするプロモーター,ウマル・クレムレフ(パトリオット・プロモーションズ)だったとされる。ガシエフを保有するエフゲニー・ヴァインシュタイン(ウラル・ボクシング・プロモーションズ)も当然共闘したが、このクレムレフというプロモーター、なんとロシアボクシング連盟(Russian Professional Boxing Federation/Boxing Federation of Russia)の事務局長(General Secretary)というから驚く。
興行師がコミッションの現場も押さえてしまったら、いったいどういう事態に発展し得るのか。懸念と不安はこれから先で詳しく述べるけれど、開催地は十中八九ロシア国内になるのではないか。テテと彼の陣営がイングランド領内に銀メダリストを呼び付けるのは、極めて難易度が高そうだ。中立国でまとめられれば上出来だが、その場合でも英連邦領内は難しいかもしれない。試合の展開とポイントの両面で、テテが圧倒的な差を付けてリードしないと、ベルトがロシアに渡る可能性が一気に跳ね上がりそう。
「Draft Gala 2018」の会場は、モスクワ市内にある「ロシヤ・シアター(The Rossiya Theatre)」と呼ばれる屋内施設で、有名な映画館だったという。国際規模の映画祭を定期的に開催するなど、ヨーロッパの映画ファンと関係者には良く知られた場所らしい。建物の老朽化に伴い2012年に改修されたが、その際現在の名称に変更されたとのこと。
HBO,Showtime,ESPNのみならず、3大ネットやFOX Sportsなどの専門メディアを舞台に、ボクシング,MMAの実況を担当し、NBAブルックリン・ネッツの専属アナウンサー(official voice)も努めたデヴィッド・ディアマンテ(WBSSのオフィシャル・アナウンサーを仰せつかった)がホストとして壇上に上り、ロシア国内で活躍する著名なジャーナリストであり、かつTVを中心としたメディアでキャリアを積んできたベテラン・プロデューサーでもあるティナ・カンデラキ(一時は医師を目指したというグルジア出身の才女)が華を添える。
運営母体の「コモサ(Comosa AG)」からは、昨年に続いてプロモーターのカール・ザウアーラント、マネージメントを担当するマッシミリアノ・ユリアーノという人物が参上。「Draft Gala 2017」に顔を出したロベルト・ダルミーリョと同様、「MP & シルバ(世界有数のメディア・エージェンシー)」から派遣されているらしい。リチャード・シェーファーは、今回はお休みのようだ。
そして、”第三の男”として登場したのが、ウマル・クレムレフ。ミーシャ・アローヤンを擁するプロモーターであり、ロシアのボクシング連盟を切り盛りする事務局長・・・と思いきや、なんとティナ・カンデラキによって紹介された肩書きは「プレジデント(President)」。日本風に表現するなら「会長」である。
ちなみに、これまでボクシング関連の記事に記されてきた綴りは、「Umar Kremlev」だった。しかし今回の映像では、「Umar Kremlyov」となっている。本来の表記は「クレムレフ」ではなく、「クレムリョフ」になるのだろうか。
ロシアボクシング連盟なる組織は、もともとアマチュアの統括機関だったとのことだが、AIBA(Association Internationale de Boxe/International Boxing Association:国際ボクシング協会)が推進する独自のプロ化に伴い、我が国の日連(日本ボクシング連盟/旧称:日本アマチュアボクシング連盟)と同様、名称を変更したということのようだ。
例えば英国のBBBofC(British Boxing Board of Control:英国ボクシング管理委員会)や、JBC(Japan Boxing Commission:日本ボクシング・コミッション)のような、1国1コミッションに相当するロシアのボクシング界全体を統括する機関なのか、対抗する別の組織があるのか無いのか、その辺りは今1つよくわからない(時間が無くて調べ切れていない)。
断定的にモノを言うことはできないけれど、もしも当該ナショナル連盟が正真正銘ロシアのボクシング界を統括するコミッションで、そのトップが興行を差配するプロモーターだとしたら、これは相当にマズい状況である。
JBC(日本ボクシング・コミッション)の発足は、1952(昭和27)年4月21日。そして白井義男が、後楽園球場に特設されたリングでダド・マリノを15回判定に下し、我が国初の世界王者となるのがおよそ1ヵ月後の5月19日。独立したコミッションの創設は、白井の挑戦を承認する為、絶対に外すことのできない必須条件として、当時唯一の世界王座認定機関だったNBA(現在のWBA)から通告を受け、大急ぎの突貫工事で何とか間に合わせたというのが実情。
ではなぜ、タイトルマッチの承認と開催にコミッションが必要なのか?。答えは実に簡単明瞭で、興行を行うプロモーターが試合の管理運営に関わる全権まで握り、審判もその支配下に置かれてしまったら、それこそ”何でもあり”になってしまう。その気になれば、八百長だってし放題である。そこまで行かなくとも、特定のジムや特定の選手に対する露骨な身贔屓、恣意的なレフェリング&スコアリングの横行は、ごく当たり前に起こり得る。
形としては、日本国内のプロレス及び格闘技団体が分かり易い。団体ごとに世界チャンピオンが存在するプロレスの場合、客を呼べる看板選手が社長を努め、選手は同じ道場で練習する。審判も団体に雇われており、海外から招聘する外国人選手たちと一緒に移動・宿泊しながら、日本全国を巡業して回る。開祖力道山以来連綿と続く、伝統的な運営形態だ。
JBCが創設されるまでの日本のボクシング界は、ジムの会長さんたちで構成される「拳闘協会(名称は様々に変遷)」が全権を握り、コミッション機能を兼務してきた。何かと都合がいいからそうしてきたと言うより、戦前の黎明期はそうするしかなかったと表するべきだろう。先駆者渡辺勇次郎がアメリカに渡った頃、彼の地には現在のようなコミッションは機能していなかった。
ジムの会長がプロモーターとマネージャーを兼ね、選手の生殺与奪の権利をすべて掌握する。今もなお続く、日本独自のシステムを作り上げた先達たちは、NBAから厳しく指摘されてはじめて、メディカル・チェックも含めたプロライセンスの認可や発効・管理という、正当性と公正性を担保する為に最も重要な仕事をしっかり分業化して、プロモーターの手から引き離すことの必要性に気が付いたのである。
プロモーターの集合体である拳闘協会は、力のある有力幹部同士の衝突が絶えず、派閥抗争の激化による分裂と統合を繰り返してきた。終戦の翌年に活動を再開した協会は、1948年に早速分裂。日本拳闘協会と全日本ボクシング連盟に分かれたかと思いきや、1949年に和解・再統合。
「全日本ボクシング協会」と名称を変えて再始動(いったい何度目?)したが、JBCの設立に伴い、役割を終えたとして解散した。現在のJPBA(日本プロボクシング協会)は、1962年に再び発足した「日本ボクシング協会」で、2000年に名称変更している。
発祥国の英国も、カリスマ的な人気と実力を誇った創始者ジェームズ・フィグが亡くなった後、高弟たちの跡目争いや派閥同士の反目があり、英国から世界一の座を奪い取った新大陸アメリカも、コミッションの仕組みが出来上がるまでは、マフィアやギャングたちが興行の表舞台を悠然と闊歩していた。
大変な時間と労力(人的・経済的コスト)をかけて、アメリカは裏社会に対決を挑む。”ローリング・トゥエンティ”と表された1920年代、激闘の火蓋は切って落とされた。マフィアの活動を弱体化する為には、有力な資金源となっている興行(主にスポーツと芸能)から排除するしかない。政治家は法体系の整備に奔走し、FBIによる地道かつ懸命な捜査が継続的に行われ、逮捕収監された大物幹部たちを司法が裁く。スポーツの分野においては、州を軸にしたコミッション制度の確立が急務となった。
デビュー前(1952年2月~53年1月)に渡米し、ハワイと西海岸を主に修行した力道山は、主要な州にプロスポーツを所管する部局(コミッション)があり、州政府の役人(+法曹関係者)とプロレス団体(業界関係者)が、それぞれ独立して役割分担する運営システムを垣間見た。
日本プロレス協会を立ち上げた力道山は、初代会長に元貴族院議員で横綱審議委員長も勤める酒井忠正を就任させると、興行を担う会社(日本プロレス興行)を別に設立。言うまでもなく、酒井は権威付けの為のお飾りに過ぎず、力道山は実質的に双方のオーナーを兼務しつつ、その上部機関として「日本プロレスリング・コミッション」を置く。
「昭和の巌流島」と呼ばれた木村政彦との大一番は、1954(昭和29)年12月22日、落成直後の蔵前国技館で行われたが、大試合の前日に慌しくコミッションの設立が宣言されている。木村との一戦には、「日本選手権」の冠が付けられた。中立かつ公正なコミッションによって、チャンピオンシップは管理運営される。そうした大義名分がこの大試合には必要なのだと、力道山は理解していたに違いない。
当初は前述した酒井忠正が、事実上のコミッショナー役だったと思われる。そして力道山はありとあらゆるコネを総動員して、大野伴睦(自民党副総裁/衆議院議長),川島正次郎(自民党/総裁経験者),椎名悦三郎(自民党/外相・総裁経験者)という、政界の大物を3代続けて引っ張り出す。名ばかりのコミッショナーだと、誰もが承知はしていても、とにもかくにも力道山のやることに抜け目は無かった。
日本の戦後史を語る上で欠かすことのできないカリスマの死後、プロレス界は離合集散を繰り返しながら縮小均衡して行く。ならずも日本プロレスを引き継ぐことになったジャイアント馬場が、自らの手で力道山の遺産に幕を引いて自分の会社(全日本プロレス)を興すと、溢れる事業欲と旺盛な野心(DNA?)を同じ師から受け継いだアントニオ猪木と反目。野心家の猪木は、コミッションの再設立にも積極的に動いたが、「外国人選手を勝手に引き抜いておいて、何を言っているんだか。自分は好き放題やって、コミッションもへったくれもないだろう。」と、馬場は完全無視を決め込み、そのまま今に至っている。
閑話休題。
日本やアメリカ,英国等に限らず、ボクシングの盛んな国であればある程、プロとアマの関係は険悪と概ね相場は決まっている。なんとなれば、アマを束ねるAIBAの幹部たち自身が、憎悪に近いプロへの反感を隠そうとしない。プロの積極果敢なスカウト活動によって、五輪や世界選手権でメダルを狙える有望株をさらわれ続ける歴史に、もはやアマは怒る気力すら費えたかのよう。
「プロのプロモーターたちは、アマに還元するという意識、共存共栄の発想がまるで無い。優れた才能がいるとわかるや否や、札束で引っぱたくようにしてかっさらうだけだ。」
一方のプロにも、言いたいことはヤマほどある。「共存共栄の発想が無いだと?。どの面下げて言ってるんだ?!。」という訳だ。
「ジュニアで頭角を現す未来のメダル候補は、いったいどこでボクシングを覚えるんだ?。最初に手解きをするコーチは、いったいどこの誰なんだ?。チャンピオンを夢見る幼い子らは、そのほとんどが近隣のパブリック・ジムに通うんじゃないのか?。」
「そこで教えているのは、紛れもないプロのトレーナーであり、その多くはプロを経験した元選手だ。毎日熱心にトレーニングに励むプロの背中を見て、子供たちは一緒に成長する。そうしたパブリック・ジムを、AIBAや各国のアマチュア協会が積極的に支援したことがあったか?。アマの環境で純粋培養されたかのごとき妄言は、いい加減止めて貰いたい。トップレベルのアマを育てているのは、我々プロじゃないか。」
勿論、例外はある。旧共産圏のボクシング強国(ソ連・東欧・キューバ)に象徴される、「ステートアマ」である。1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、共産主義を体現していた筈のソ連邦も瓦解した。90年代に入ると、国から面倒を見て貰えなくなったトップアマと指導者たちが、かつては全否定していた既存のプロに流入し出す。
「ステートアマ体制」から出て来たトップクラスは、そもそも既存のプロとの接点がほとんど無い。というより、迂闊に接点を持つことがないよう厳しい監視下に置かれるのが常だ。国家が家族も含めた生活の一切を保障し、五輪でメダルを獲れば指導者としての将来が約束され、広い邸宅や高級車だけでなく年金まで約束される。その一方で裏切る(亡命)ことがないよう、家族はいつでも人質に立場が変わるけれど・・・。
これをアマチュアと表して良いのであれば、まさしく彼らは「アマで純粋培養された」選手と言っていいのかもしれない。しかし、後ろ盾となってくれる体制は消滅した。ユーリ・アルバチャコフ,オルズベック・ナザロフらの「ペレストロイカ軍団」も、ボクシングで身を立て生きる為に、遥々日本にやって来た。背に腹はかえられない。カネは無くとも、毎日必ず腹は減る。
ロシア国内でプロボクシングの興行が本格的かつ定期的に行われるようになってから、まだ10年ちょっとしか経っていない。けれども、キューバとアマの覇権を競った最強国としてのベース、ステートアマ体制の基盤はソ連邦崩壊後も維持されている。もともと教育水準が高く、ノウハウさえ吸収してしまえば後は早い。国策としてスポーツの強化振興を図っている点にも大きな変化はなく、共産党時代に先祖帰りしたかのごとき「国家ぐるみのドーピング騒動」も、起こるべくして起きたと言うべきか。
ペレストロイカ軍団やコンスタンティン・ジューが活躍した90年代には、望んでも無理だったプロの環境が急速に整いつつある。牽引役となったのは、亡命キューバ人ボクサーを筆頭に、旧共産圏ステートアマ出身者の受け入れ先となっていたドイツでプロデビューし、プロの最重量級に長らく君臨したクリチコ兄弟(ウクライナ/兄ヴィタリはキルギスタン出身)であり、同じ道を歩んだアレクサンダー・ポベトキン(アテネ五輪金メダリスト)、”ロシアン・ジャイアント”の異名を取ったニコライ・ワルーエフのヘビー級4王者。
志半ばで引退を余儀なくされたドミトリー・ピログ(オーバーワークで腰を故障)、短期間ながら140~147ポンドで人気を博したルスラン・プロボドニコフ、マイキー・ガルシアにベルトを譲ったセルゲイ・リピネッツ、クルーザー級の王座に就いたデニス・レベデフ、渡米して大いに名前を売ったセルゲイ・コヴァレフ、コヴァレフと同じL・ヘビー級で猛威を振るうアルトゥール・ベテルビエフ、ドミトリー・ビヴォル(ビボル/キルギス出身)、エゴー・メコンチェフ、ムラト・ガシエフらのエリート・アマ出身者が後に続く。
中~重量級中心に優れた才能を輩出しているが、軽量級にもタレントはいる。日本を主戦場に活躍したバンタム級のサーシャ・バクティン、来日して徳山昌守に挑戦したディミトリー・キリロフ(IBF J・バンタム級王者)、フェザー級でIBF王者となり、トップランク傘下に入ったエフゲニー・グラドビッチらが登場した。
今やアマチュアボクシングにとって無くてはならないアゼルバイジャンとウズベキスタン、クリチコ兄弟に始まり、ロマチェンコに代表される異能・異才を次々と送り出すウクライナ、ゴロフキンの祖国カザフスタン、ナザロフの母国キルギスタン、ヴィック・ダルチニアンのアルメニアなど、旧ソ連邦を構成した国々も含めて、強いボクサーの供給源としての存在価値は極めて高い。
移民先のドイツで成功したヴィタリ・タイバート(アテネ五輪銅メダル/WBC S・フェザー級王者/日本で粟生隆寛に敗北)、ザナト・ザキヤノフの2王者はカザフの出身だし、アルトゥール・グレゴリアンとルスラン・チャガエフを生んだウズベクのシャホビディン・ゾイロフ(リオ五輪フライ級金メダル)も、正式にプロ入りを宣言。
リオの決勝でゾイロフに敗れ、宿願の金メダルをまたもや逃したアローヤンは、ドーピングテストで失格してしまい、2大会連続となる筈だった銀メダルをはく奪された。あくまで無実を主張し、CAS(Court of Arbitration for Sport:スポーツ仲裁裁判所)に異議を申し立てたものの、昨年2月に訴えが却下されるとプロ転向を表明。いきなり10回戦デビューとなったプロでは、それなりにキャリアのある中堅どころを相手に苦闘続きだが、アマでの実績は申し分が無い。
”ロシア軽量級の切り札”と呼んで差支えがない、エリート中のエリートをハンドルするプロモーターは、ロシアのボクシング連盟を牛耳るボス(?)でもあり、総力をあげてクルーザー級決勝のサウジ開催を阻止した上、プロでの経験不足を百も承知で、銀メダリストを8番目の男として押し込んだ。
原油価格が持ち直したことにより、西側の制裁をものともせずに回復基調に乗ったとされるロシア経済。トランプ政権が科した追加制裁の影響は不可避と言われ、先行きに不安の声も聞かれる中、相当なスポンサーの獲得に成功したらしい(?)。
予選(クォーターファイナル)落ちを想定して、クレムレフ(クレムリョフ)がここまで頑張る筈がない。レフェリング&スコアリングは言うに及ばず、計量とドーピング・テストも含めて、テテは荒っぽい歓待を覚悟しておいた方が賢明だと思う。
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■ヌアヤ・イヌイ?
昨年9月の初渡米の時にも気になったことだが、欧米の人たちにとって「ナオヤ」という名前は、正確に発音するのが大変難しいらしい。アントニオ・ニエヴェスとの米本土デビュー戦でリングコールを担当したのは、HBOの重鎮マイケル・バッファーだが、これほどのベテランをしても、「ナオヤ」と綺麗に言えていなかった。「ナ」と「ニャ」の中間みたいな発音になってしまう。
モスクワ開催の「Draft Gala 2018」では、さらに酷いことになっていた。上位4名のシード選手が、それぞれの対戦相手を壇上から呼ぶ最も重要な場面。第1シードのライアン・バーネットがドネアを指名し、いよいよ第2シードの井上がステージへと招かれる。
「I(We) want to 2nd seed from Japan ・・・ ヌアヤ・イヌイ!」
ロシアのメディア業界で確固たるポジションを築いたティナ女史は、あくまでプロデューサーが本業であり、アナウンサーでもなければキャスターでもない。だとしても、「ヌアヤ・イヌイ」は・・・。
入念なリハーサルをやっていた筈だとは思うけれど、一番大事な選手の名前をどう発音するのか。その確認と練習は、まったくの手付かずだったのか?。いや、イベントのスタート時に選手の呼び込みを担当したディアマンテは、明瞭かつ正確なイントネーションで「ナオヤ・イノウエ」と発音していた。
スポーツ実況の世界でプロとして生き残り、一家を成しただけのことはある。もともと耳が良いのかもしれないが、ちゃんと事前に発音を確認して、練習もしていたのだろう。グルジア生まれのティナ女史は、当然のことながら流暢に英語も操る。少し時間を割いて練習していれば、「ニャオヤ・イノウェ」ぐらいに言えたのではないか。
「Draft Gala 2017」を切り盛りしたメラニー・ウィニガーに比べると、ティナ女史は少々安定感と落ち着きを欠き、急作りな印象が否めなかった。
もっとも、外国人の名前の発音と表記については、我が国メディアと私たち一般市民も、余り偉そうなことは言えない。夭折の天才,大場政夫の挑戦を受ける為、タイからやって来たWBA王者ベルクレック・チャルバンチャイは、「私の名前はベルクレックじゃない。バークレック・チャートワンチャイだ。」と繰り返し訴えていたが、訂正されることなく今に至っている。
ベルクレック(バークレック)を遡ること8年前。まだまだ貧しかった60年代初頭の日本にやって来た世界ライト級王者カルロス・オルティス(オルチス)は、135ポンドで東洋最強を誇った小坂照男と、フェザー級で2度世界に挑戦した高山一夫(2人とも帝拳)を一蹴。
桁外れの強さを見せつけた王者は、日本人の熱烈な歓迎と礼節を重んじる対応、時間に正確で丁寧かつ誠実な仕事ぶりに驚き、外交辞令ではなく心から感心した様子だったが、唯一注文を付けたのが名前の表記と発音だった。
「私は確かにプエルトリコの出身でラテンの血を受け継いでいるが、アメリカに移住して長く、既に市民権も得ている。カルロス・オルチスは完全な間違いだ。カーロス・オーティズと呼んで欲しい。」
外国人の名前を正確に発音・表記するのは、かくも難しい・・・?。
そして蛇足ついでにもう1つ。メラニー,ティナの両氏とも、対戦が決まった2人のボクサーが至近距離で相対する「Face Off」,すなわちイベントのクライマックスにおいて、しつこいぐらい「ジェントルマン(Thank you Gentleman)」を繰り返していた。
2~3ヵ月後にはリングに上がり、実際に殴り合わなくてはならないボクサー同士が、目と鼻の先で視線を交わす。一触即発のピリピリとした緊張感が走るのは当たり前で、どちらか一方が少しでも挑発的な行動に出れば、トラッシュトークから取っ組み合いの乱闘騒ぎへと直結しかねない。
ボクシングの計量や会見で半ば恒例行事と化した騒乱状態は、「WBSS」ではノー・サンキュー。ご法度ということか。18名の猛者たちに、事前のレクチャーが行われていたのどうかまでは不明だが、「WBSS」に参戦する有資格者は、とりわけフェアネスとスポーツマンシップを重要視されると、どうやらそういうことのようである。