goo blog サービス終了のお知らせ 

ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

”神の子” VS ”ハイテク絶対王者” - リナレス VS ロマチェンコ 直前プレビュー II -

2018年05月13日 | Preview

■似ていないようで実は似ている? - 130~135ポンドを代表するスピードスター対決 <1>



スタイリッシュな美しい構えも含めて、どこまでも正攻法のボクサーファイトを貫くリナレスに対して、自から認めている通り、マイク・タイソンの影響を受けた独特のムーヴに、セオリーから外れたトリッキーな変化もまぶすロマチェンコ。

まったく異なるスタイルに見える両雄だが、彼らの優れたボクシングは共通するストロング・ポイントによって支えられている。それは、類稀な手足&身体全体の速さ。

ワールドクラスの中でも頭1つ抜けた秀逸なスピードと、高い精度を誇るコンビネーション・ブロー。ジャブ,ワンツーの素晴らしさは、詳しく語るまでもない。そしてもう1つ、2人は優れたボディ・パンチャーでもある。

最近のリナレスしか見てない方々には、ボディ・パンチャーのイメージは薄いかもしれないが、若い頃のニュー・ゴールデン・ボーイは脇腹を抉る左ボディが得意で、修行時代はこのパンチでよく倒していた。




ロマチェンコもボディが上手く、中間距離で右(ショートストレート,フック)を差し込んだり、踏み込むと同時に右フックを囮に使い、密着して左ボディから上にアッパーやフックで返すダブルを打ち込んだり、右をダブル・トリプルで下から上に返し、崩しの発端として使う等々芸が細かい。

常にバランスを重視するアマのP4Pキングは、フルパワーを全開にして1発でねじ伏せるような打ち方をしない為、こちらも余り強い印象は無いかもしれないけれど、パンチが良く振り抜かれている上にスナップも効いて、手数の豊富なコンビネーションに混ぜて来る。

多彩な角度と思わぬタイミングで繰り出すロマチェンコのボディは、軽く散らしているだけに見えて、その実効果は大。




さらに、2人の王者が名声を確立したのは、126ポンドのフェザー級。短期間に階級アップを繰り返し、3つ目のライト級で、キャリアを左右する大勝負に打って出た。いや、S・ライト~ウェルター級への進出を見据えるロマチェンコと彼の陣営にとっては、あくまでただの通過点か。

専門誌のP4Pランキングに常連として定着し、ニコラス・ウォルタース,ジェイソン・ソーサに続いてギジェルモ・リゴンドウも完封。4試合続けて相手に試合を放棄させ、”ノー・マス・チェンコ(No Mas chenko)”の呼び名にもまったく違和感が無い。

130ポンドのS・フェザーで大きな躓きを経験し、135ポンドに上げてからも「階級の壁」に散々苦しんだリナレスと、ここまで(126→130ポンド)はいささかの綻びも見られないロマチェンコ。

階級とストロング・ポイントの共通項を除けば、両者の現在地にはかなりの開きがあると見るべきかもしれない。


<1>ファイト・スタイル
リスクを恐れず積極果敢に攻め込むリナレスと、よりディフェンシブで慎重に組み立てて行くロマチェンコ。ライアン・ガルシアが語っている通り、2人の戦い方は好対照。階級を上げて打たれ脆さを露呈したリナレスの危うさは、「はっきりシロクロを着けに行く」メンタリティに起因する。

いいパンチを貰うと、ムキになって打ち返そうとして力む。そこに追撃を食らってレフェリー・ストップ。一度効かされたリナレスには、例えば内山高志のような回復力は望むべくもなく、クリンチ&ホールドもままならずにダウンを重ねてフィニッシュされてしまう。

余りにもショッキングだった初黒星は勿論、すべてKO(TKO)で敗れた3度の敗北(相手は全員メキシカン)は、強気のボクシングと致命的な打たれ脆さが招いた落とし穴だと言ってもいい。


※写真左:ファン・C・サルガド戦 初回TKO負け(2009年10月10日/国立代々木第二体育館/WBA S・フェザー級王座転落)
※写真右:アントニオ・デマルコ戦 11回逆転TKO負け(2011年10月15日/ステープルズ・センター,L.A./WBCライト級王座決定戦)


※写真左右:セルヒオ・トンプソン戦 2回TKO負け(2012年3月31日/オアシス・ホテル,カンクン/WBCライト級挑戦者決定戦)

※リナレスの名誉の為に一応断っておくが、セルヒオ・トンプソン戦のレフェリー・ストップは、伝統的なメキシカン・トラップである。
間違いなくリナレスは効かされていたし、カットして出血もしていたが、緊急的なストップが必要なほどの傷ではなかった。加えてカットの原因は、開始直後からトンプソンが仕掛けたラフ・ファイト(バッティング)によるもので、「被弾ではない」とリナレスは最後まで主張していた。
加えてストップを宣告したドクターのチェックは杜撰極まりないもので、一目見ただけで傷をチェックすることもなく、瞬時にレッドカードを差し出した。酷いものだ。

ストップの後コーナーに戻ったリナレスは、別のドクターと思しき人物から傷のチェックを受けていたが、カットマンとしてコーナーに入ったルディ・エルナンデスの手当てを受け、あっという間に止血は完了。



この試合はWBCのエリミネーター(セミ・ファイナル)だった為、レフェリーは米本土ニューヨーク州から派遣されたベテラン,ビル・クランシーが努めていたが、ムチャクチャなドクターと同様、メキシコ側のプロモーター,ホセ・ゴメス(興行の主催者)に取り込まれていたと見るべき。

当時のトンプソンは、カンクンを地盤にするホセ・ゴメスが抱える唯一のランカークラスと言って良く、サルガド戦はもとより、バッティングも時差ないラフ・ファイトでリードされた展開を挽回し、リナレスを夥しい流血に追い込んだデマルコの戦い方から、打倒リナレスに最も効果的な戦術(反則上等の乱戦)を学び、確実に勝利をモノにする為、形振り構わぬ謀略を弄した。


アマ時代のロマチェンコは、中腰のまま上体を左右に素早く大きく振るタイソン・ライクな動作をフェイント代わりに使い、鋭く踏み込むのと同時にジャブやショートストレートを着弾させて先手を取り、命の次に大事なポイントメイクに傾注。

このベーシックなアクションは、プロ転向後も変わらない。ただ、プロの第一線としのぎを削る中で、直線的に真っ直ぐ入るやり方から、左右両サイドの死角へ素早く出る動きが目立つようになり、さらにステップを1つ加えてタイミングをずらす等々、入り方にも変化が増えた。



アイアン・マイクの場合、恐るべき突破力&破壊力を爆発させ、瞬時に勝負を決着せんが為のそれであるのに対し、ロマチェンコはあくまで相手に隙を生じさせ、正確なヒット(タッチ)を主眼にセーフティリードのキープが目的。

リゴンドウ戦でも明らかだが、一方的に展開を支配しながら、アマのP4Pキングはけっして危険を冒さない。瀕死の獲物をオモチャにして、出来る限り長い時間を楽しもうとする猫のように、無理をして決めに行くことはせず、眼前の敵が戦意を喪失して両手を挙げ、コーナーが白旗を振るのを待つ。

”ノー・マス・チェンコ(No Mas Chenko)”の本領とも言えるし、先行逃げ切り+タッチゲーム全盛(2分×4R制)のアマで、自らのスタイルを完成させたロマチェンコならではとも言える。


積極果敢にリスクを冒し、倒す為のチャンスメイクを容易に諦めないリナレスとは好対照であり、2012年ロンドン大会に合わせて大きなルール改正を行い、先行逃げ切り+タッチスタイル撲滅(?)に取り組んだアマ以上に、露骨なホールディング込みの当て逃げ安全策が横行する現在のプロでは、堅実に試合を運ぶロマチェンコを良しとする声が主流とを占めるのは、致し方のないことだとは思う。

在米識者とマニアたちによって、大ヒット映画「マトリックス(The Matrix)」になぞらえられた独特のムーヴィング・センス、とりわけ、瞬間移動のようにダッキングしながら相手のサイド(あるいは背後)にスルリと回り込むスムーズな動きは、今やロマチェンコの代名詞と表していい。

ミドル~ロング・ディスタンスにおいては、主に脚(自在なステップワーク)を使って距離で外す。そしてよりハイリスクなクロスレンジでは、ガードを保持しつつ、細かく素早いヘッドスリップ、前後斜め左右に上体を動かすボディワークでいなして行く。


特徴的なのは、すべての動作が小さく速いこと。ウィービングやスウェイバックも使うが、それらは必要最小限殿の動きに止める。守りながら瞬時に反撃に移る為に、バランスを維持する意味合いも大きいけれど、「可能な限り小さな動きで外す」ロマチェンコを見ていると、往年の名王者ホセ・ナポレスを思い出す。



60年代後半~70年代半ばにかけて、今現在のP4Pキング的存在としてウェルター級に君臨したマンテキーやは、常にガードを低く楽に構えて、小さく外すと同時に強烈なカウンターを見舞う。

革命直後のキューバから出国し、メキシコへ渡って一時代を築いたナポレスが十八番にしていた技術とセンスは、まさしく一代限りの名人芸だった。

「打つパンチ全部がカウンターになっている・・・」

ナポレスの映像を見た大場政夫(ベルトを持ったまま23歳で夭折した天才フライ級王者)が、感嘆しながら言ったという逸話は余りにも有名。ただ、顔面の守りが無い為、危険な距離に留まり続けるが故に、背負わされた代償も大きい。小さく外そうとし過ぎて細かい被弾を回避し切れず、瞼のカットが古傷化してしまい、出血(とりわけ反応のスピードが鈍化した晩年)に苦しんだ。




ロマチェンコの場合、とにかく「触らせない」ことに主眼を置く。小さく外して、なおかつ貰わない。傑出したテクニシャンであり、しかも類稀なスラッガーでもあったナポレスは、「小さくよけて直ちに強く打ち返す」カウンターパンチは強力で、ノックアウトやストップに直結する場合も多かったが、ロマチェンコに倒す意識は薄い。

ナポレスの時代、「リスクを取って打ち合い決着を着けるのがプロ」だった。現在のように、駆け引きの応酬のみで試合を終えるなどということは、トップ・レベルのプロである以上けっして許されない。

こうしたプロに求められるスタンダードの違いも大きな比重を占めるけれど、「露骨な先行逃げ切り+タッチゲーム」のアマでスタイルを完成した、絶対王者ならではの志向,信念とも言える。


「極力小さくかわす」,「常にカウンターを準備する」という2点において、ロマチェンコとナポレスは共通しており、ディフェンスに関する限り史上最高との呼び声が高いウィリー・ペップ,ニコリノ・ローチェ,パーネル・ウィテカーら、空前絶後のディフェンス・マスターと称される史上に輝く名選手たちのように、「曲芸的なディフェンス」には手を出さないという点も同じだ。

ただ、クロスレンジで披露するロマチェンコのディフェンス・テクニックを見る度び、「ウィテカーのウルトラ・アクロバットは別にして、その気(専守防衛)になれば、ペップのフットワークとローチェのボディワークに近いことはできそうだ・・・」なんて、おかしな妄想を抱く一瞬がある。

※史上に名を残すディフェンス・マスターたち
上左から:ウィリー・ペップ,ニコリノ・ローチェ,パーネル・ウィテカー
下左から:ウィルフレド・ベニテス,ロベルト・デュラン,ジェームズ・トニー



堅く俊敏な守りをベースに、変幻自在な動きから細かい手数を間断無く繰り出し、相手をギブアップへと追い込むのが絶対王者流ということになるが、ジャブ(軽打)とペースポイントを金科玉条のごとく奉るスコアリングも、ウクライナ最高のボクシング・ヒーローを強力にバックアップする。

もっともサイドへ抜け出る得意の動きは、19世紀末から今日に至るまで、スピードと柔軟性に優れた数多の名選手が体得・披露してきたものでもあり、ロマチェンコの専売特許でないことは、あらかじめ断っておく必要があるけれども・・・。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●

■ウェイト考

ロマチェンコがアマ時代にライト級を経験している点は、絶対王者の優位を裏付ける根拠として、小さからぬ意味を持つ。2012年ロンドン大会に合わせて女子の正式競技化が決まり、参加人数の拡大(16日の開催期間に固執)を頑なに認めないIOCの方針に従い、AIBAは男子の階級からフェザー級を廃止。

合計36名(フライ,ライト,ミドルの3階級のみ)の女子選手参加枠を確保する為の、まさしく苦肉の策だったのだが、本来の階級を失ったロマチェンコは、ライト級で五輪連覇を目指さざるを得なくなった。

さらにAIBAは、成年男子を2分×4ラウンド制(2000年シドニー大会~2008年北京大会まで)から3分×3ラウンド制に戻し、積極的に踏み込んで打つ強打への評価をアップするなど、採点基準も含めた大幅なルール改訂を実施。タッチスタイルからの脱却に取り組む。

さしもの絶対王者も、「体格差+新国際ルール」の克服は簡単ではなかった。無事に連覇は成し遂げたものの、170センチ台後半も珍しくないアマのライト級で、想像以上の苦闘を強いられる。



4年前の北京で、金メダルとともに獲得したヴァル・バーカー・トロフィー(大会MVP)も、L・ウェルター級からウェルター級に上げて遂に五輪の覇者となったセリク・サピエフ(カザフスタン)に奪われ、史上初の連続MVPは成らず。


階級の消滅や変遷,リミットの変更と転級は、それだけで数多のドラマを生む。同じライト級と言っても、プロとアマではリミット上限(アマ:60キロ/プロ:61.2キロ)が異なり、計量の方式(アマ:当日/プロ:前日)も違う。単純な比較はできないけれど、WSBも含めて、60キロでの調整を経験している点は、階級アップにおけるプラス要素と考えていいが、たかが1.2キロ、されど1.2キロ。

130ポンド契約をリゴンドウに呑ませ、体格差の不利+左拳の負傷込みとは言え圧勝したロマチェンコ自身、8ポンド(約3.6キロ)に及ぶ体重差の恩恵を骨身に染みてわかっている筈。

前日計量制のプロでは、リバウンドによる増量も当然計算に入れなくてはならない。極めて短期間ではあったが、ユリオルキス・ガンボアを指導したエマニュエル・スチュワートが、生前ガンボアのライト級進出について聞かれ、次のように答えている。

「(3階級制覇は)難しいかもしれないね。勿論可能性までは否定しないが、ライト級のトップクラスの多くは、135ポンドで計量した後、一晩で150ポンドオーバーまで増やす。ユリオルキスもリバウンドの幅は大きい方(当日ウェイト:140ポンド台半ば~後半)だが、事はそう簡単じゃないんだ。」

「ナチュラルなライト級のボクサーは、オフの時期ちょっとでも油断すると、たちまちミドル~L・ヘビーに増える。クルーザーまで行く者も皆無ではないだろう。」

「コンディションを考慮した場合、ユリオルキスはどれだけ増やしてもウェルター~S・ウェルターが精一杯だと思う。彼はこの体格差に、想像を遥かに超えて苦しむ。」

「S・フェザーまでは大きな障害にならなかった(相対的な)パワーダウンが、高く分厚い壁となって立ちはだかる。(ライト級参戦は)良い選択とは思えない。」




五輪(2004年アテネ)の金メダルをフライ級で獲ったガンボアは、連覇を目指して階級アップを決断。リゴンドウが君臨するバンタム級を飛び越え(両雄による潰し合いを回避したのは代表チームによる政治的決定の色合いも帯びる)、一気にフェザー級まで増やす。

公称166センチ(リーチ:165センチ)のガンボアだが、イスマエル・サラスとともに来日した時の印象では、165センチの井岡一翔よりも小さく見えた(161.5センチのリゴンドウよりは高そう)。

「フェザー級で猛威を振るったユリオルキスの強打は、ライト級のトップクラスにはさほどの脅威とならず、逆にナチュラルなライト級が放つ普通のパンチが、ユリオルキスには絶え難い衝撃になり得る。秤で計った当日の体重が仮に接近していたとしても、下から上げて来た者とナチュラルウェイト(70キロ超から絞ってくる)の違いは大きい。」

はたしてマニー・スチュワートの不吉な予言は的中し、ガンボアはテレンス・クロフォードに容赦なく破壊され、格下のロビンソン・カステリャノスにもアップセットを献上。長く続いたチーフ・トレーナー不在によるボクシングの型崩れに加齢の影響も加わり、フェザー級時代の輝きを失った。

135~140ポンドに上げた絶対王者が、ガンボアやリゴンドウを襲った悲劇に見舞われるリスクも、一応想定の範囲内ではある。


■ロマチェンコとリナレスのリバウンド

□リナレス(32歳/1985年8月22日生まれ)
身長:172.6センチ,リーチ:175センチ
右ボクサーファイター

<1>オスカー・ラリオス戦/2007年7月21日,ラスベガス
前日126ポンド → 当日137ポンド
WBCフェザー級暫定王座決定戦,10回TKO勝ち

<2>ロッキー・ファレス戦/2010年7月31日,ラスベガス
前日132ポンド1/2 → 当日143ポンド
キャッチウェイト10回戦,3-0判定勝ち

<3>アントニオ・デマルコ戦/2011年10月15日,ロサンゼルス
前日134.6ポンド → 当日145ポンド
WBCライト級王座挑戦,10回TKO負け

<4>アイラ・テリー戦/2014年8月16日,カリフォルニア州カーソン
前日137ポンド → 当日150ポンド
キャッチウェイト10回戦,2回KO勝ち


□ロマチェンコ(30歳/1988年2月17日生まれ)
身長:168センチ,リーチ:166センチ
左ボクサーファイター

<1>ホセ・ラミレス戦/2013年10月12日,ラスベガス
前日125ポンド → 当日129ポンド
WBOインターナショナルフェザー級10回戦,4回KO勝ち
※プロデビュー戦

<2>ゲイリー・ラッセル・Jr.戦/2014年6月21日,カリフォルニア州カーソン
前日125ポンド1/2 → 当日138ポンド1/2
WBOフェザー級王座決定戦,12回2-0判定勝ち

<3>チョンラターン・ピリャピンヨー戦/2014年11月23日,マカオ
前日126ポンド → 当日132ポンド
WBOフェザー級王座V1戦,12回3-0判定勝ち

<4>ロッキー・マルティネス戦/2016年6月11日,N.Y.MSG
前日129ポンド1/2 → 当日137ポンド
WBO J・ライト級王座挑戦,5回KO勝ち

<4>ニコラス・ウォルタース戦/2016年11月26日,ラスベガス
前日130ポンド → 当日137ポンド
WBO J・ライト級王座V1戦,7回終了TKO勝ち

<4>ジェイソン・ソーサ戦/2017年4月8日,メリーランド州オクソン・ヒル
前日129ポンド1/2 → 当日139ポンド
WBO J・ライト級王座V2戦,9回終了TKO勝ち

<5>ギジェルモ・リゴンドウ戦/2017年12月9日,N.Y.MSG
前日129ポンド → 当日138ポンド
WBO J・ライト級王座V3戦,6回終了TKO勝ち


リナレスのリバウンドは、フェザー級時代から通じて概ね10ポンド程度だった。3度の渡英における当日ウェイトが不明な為(そもそも当日計量はやっていない?)、直近のデータが無いリナレスだが、140ポンド台後半~150ポンド台前半と見立てて間違いないだろう。

計量を終えた後、一晩でS・ウェルター級まで体重を戻してなお、あれだけのスピードと運動量,スタミナを維持しているのは流石の一言。「階級の壁」に苦しみながら、時間をかけて身体作りに取り組んできた努力の賜物。

焦点はロマチェンコの調整だ。本来の階級であるフェザー級でプロのスタートを切った絶対王者は、125~126ポンドで前日計量をクリアし、当日のウェイトを120ポンド台後半~130台前半で仕上げていた。リバウンドの幅は思いのほか小さい。

しかし、2戦目でオルランド・サリド(確信犯の体重オーバー)のタフ&ラフに苦しみ、まさかの判定負け。愚劣極まる勝利と引き換えにサリドが放棄したWBOのベルトを、3戦目でゲイリー・ラッセル・Jr.と争った時は、一気に138ポンド1/2まで増やしている。


130ポンド台半ば過ぎ~後半まで戻すゲイリー・ラッセルに合わせて、敢えて重めに仕上げたものと思われるが、ロマチェンコの動きに特段の影響は見られなかった。

S・フェザー級に上げてからも、ロマチェンコの当日体重は137~139ポンド付近を推移しており、この辺りが現時点でのベストと考えられる。さて、絶対王者は一晩でどのくらい体重を戻すつもりなのか。

150ポンド前後であれだけの速さと機動力を維持するリナレスに対して、140ポンド台前半で対抗するのか、それとも140ポンド台半ば~後半まで増やすのか。


※Part III へ