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ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

小國以載(おぐに・ゆきのり) -遂に栄冠を掴んだ赤穂の星-

2017年01月03日 | Boxing Scene
■小國以載(おぐに・ゆきのり)



IBF世界J・フェザー級チャンピオン
兵庫県赤穂市出身
戦績:21戦19勝(7KO)1敗1分け
アマ通算:72戦58勝(28KO・RSC)14敗
神戸第一高→芦屋大
2007~08年度前日本選手権バンタム級ベスト4(3位)
正攻法の右ボクサーファイター

ボクシングを始めたのは中学3年。漫画の「はじめの一歩」を読み、感化されたかららしい。部活ではバスケットボールをやっていた。地元のアマチュア専門のジム(プロ非加盟)に通い出すと、すぐに素質を認められたという。

神戸一校では、1年生から3年連続でインターハイに出場するなど、優れた適性を発揮したが、残念ながらタイトルには無縁だった。

興国高の井岡一翔(現WBAフライ級正規王者),宮崎亮(元WBAミニマム級王者)とは同期に当たり、階級の合う宮崎とは3戦して2勝1敗。習志野高に在籍していた岩佐亮祐(現IBF J・フェザー級2位/指名挑戦者)とは、インターハイで一度ぶつかり敗れている。


高校卒業後、関西の強豪,芦屋大に進学。1年生の冬、腕試しのつもりで全日本選手権に出場。日大軽量級のエースで、前年度優勝の上林巨人(うえばやし・なおと/当時3年生)を破り、一躍注目を浴びる。

2年連続で全日本3位となり、関西圏のプロ・アマ関係者にホープとして認知されるようになったが、高校時代から師事していた高嶋譲コーチ(千里馬神戸,高砂の両ジムでトレーナーを経験)が、独立して自分のジムを開くことになり、芦屋大を中退してプロ転向を決断。

2009年11月、高嶋が神戸市内に開いたVADYジムの所属となり、6回戦(B級ライセンス)デビュー。無傷の7連勝(2KO)をマークして、OPBF S・バンタム級王座を獲得(2011年11月)。

王者のロリ・ガスカ(比)は、同年8月、中京のホープ大橋弘政(HEIWA)を番狂わせの2-0判定に下し、王座を獲得したばかり。18戦17勝(3KO)1敗のレコードを持ち、安定した試合運びが光るテクニシャン・タイプ。

OPBFランクに入ったばかりの小國(一番下の15位)には、時期尚早の声も聞かれたものの、今やサンデーパンチとして定着した右ストレートを決め、第5ラウンドに2度のダウンを奪う完勝だった。


翌2012年3月の初防衛戦は、ガスカに敗れた名古屋の雄,大橋を指名。通常なら地元の赤穂か、ジムが所在する神戸での開催になるところを、高嶋は敢えてアウェイに出向く。

「負ける可能性も高いが、大橋選手が力を残している今戦うことに意味がある。例え負けたとしても、コイツ(小國)の将来に取って必ずプラスになる。」

大橋はスパーリングで小國に胸を貸してくれたことがあり、高嶋は大橋の実力を高く評価していた。OPBF王座への挑戦も、本来大橋との対戦を想定していたらしく、「初防衛戦の相手は大橋以外にはあり得ない」と高嶋は考えていた。大橋のホームに遠征したのは、高嶋なりの仁義だったようだ。

本番のリング上では、2人の勢いの差が明確となり、初回にいきなり右でダウンを奪った小國が毎回のようにワンツーとフックでポイントを奪い、ワンサイドと言っていい展開となる。

大橋も懸命に距離を潰し、ボディ攻撃などで踏ん張ったが、頭をくっつけた打ち合いが続き、第7ラウンドに発生したバッティングで小國が左瞼をカット。傷が悪化した為、第9ラウンドの途中でレフェリー(ドクター)・ストップとなった。

残念な終わり方ではあったが、全力を尽くした両雄は3-0の負傷判定(88-83×2,88-84)を素直に受け入れ、気持ちのいいノーサイドを交換。
※試合映像:小國 9回負傷判定 大橋戦
2012年3月18日/あいおいホール(愛知県刈谷市)
https://www.youtube.com/watch?v=iGZGKOYZXbs
※関連記事:【フロントライン この人に聞く】 プロボクシング 小国以載さん
2012年4月4日/朝日新聞兵庫版
http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW20120404290140001.html


半ば敗北も覚悟していた大橋戦をいい形で乗り切った高嶋は、ここぞとばかりに突き進む。安定政権を築いていた日本同級王者、芹江匡晋との122ポンド国内最強決定戦を合意。

当時の芹江は、日本タイトルを6度防衛。セオリーに囚われない自在な戦い方がファンの間で大きな話題となり、所属ジムの名前を冠した”伴流スタイル”と呼ばれ、人気を博していた。首都東京を中心とした関東圏のコアなファンから、次期世界王者候補の筆頭に挙げられるほど、芹江への期待と支持は高い。

日本人離れした変則技巧派の芹江か、絵に描いたような正統派のボクサーファイター小國か。「外連(けれん) VS 正統」のみならず、大坂の陣以来連綿と続く、「東京 VS 関西」の永い因縁(?)も含めた注目の一戦は、2012年7月,小國の地元赤穂で行われた。


戦前の予想は、プロ25戦(21勝7KO4敗)の安定日本チャンプが、プロ8戦(全勝2KO)の在阪プロスペクトを圧倒。世界タイトルへの挑戦を見据えた芹江陣営は、日本タイトルを返上して敵陣へ。気持ちよくアウェイを選択したのは、先輩王者の余裕と満々の自信の現れだが、それ以上に「実力と実績は文句無しにこちらが格上」との意地も伺える。

難なく小國をかわして東洋太平洋のベルトを獲り、そのまま世界挑戦への名乗りを上げる段取りだったに違いない。ところがその目論見は、第2ラウンドに早くも崩れる。小國自慢の右ストレートが、芹江の顔面を貫いた。

細かいポジションチェンジに、一種独特のトリッキーな動きを混ぜ、容易に的を絞らせないのが芹江の持ち味だが、真っ直ぐ打ち込む小國の右は、国内トップのS・バンタム級ランカーをことごとく翻弄した、”伴流スタイル”の壁を一気呵成に突き破る。



第2ラウンドのダウンが、総てだった。深刻なダメージを負った芹江は、渾身の力を振り絞って立ち上がり、苦しい筈の第3~第4ラウンドに反撃。先輩王者のプライドを見せる。被弾を許した小國も、必死に食らいついて手数を返す。
※試合映像;小國 判定12R(3-0) 芹江戦(第2・第5Rのみ)
2012年7月14日/ハーモニー・ホール(兵庫県赤穂市)
https://www.youtube.com/watch?v=X5M4YZa2fKQ


だが第5ラウンド、小國の左フックが火を噴く。痛恨のダウンを追加された芹江に、後半~終盤にかけてガス欠した小國を捕まえ、逆襲する力は残されていなかった。
※小國に敗れた 芹江は、再浮上を信じてその後も戦い続けたが、失った輝きを取り戻すことなく、昨年7月に引退。
※参考映像:小國 VS 芹江戦を追ったショート・ドキュメント
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=jpchan06&prgid=46009744

大橋に続いて芹江を下し、小國の前途は洋々。 芹江戦から4ヶ月後の11月には、前王者ガスカとの再戦を2-1の判定で切り抜け、”赤穂の天才”と称賛するファンまで現れる。夢の世界タイトル挑戦が、手の届くところに見えてきた。

しかし、好事魔多しとは良く言ったもので、小國は思わぬ伏兵に足元をすくわれ、遠回りを余儀なくされる。

2013年3月10日、長身痩躯のサウスポー,和氣慎吾(古口)を挑戦者に迎えたV4戦で、小國は為す術なく和氣の軍門に下り、まさかの王座転落。
※試合映像:和氣 TKO10回終了 小國戦
2013年3月10日/神戸サンボーホール
https://www.youtube.com/watch?v=eIp7KGDbNK4


得意の右ストレートをリードに使い、左フックを返していく、古典的なサウスポー対策に固執する王者陣営は、適時下がりながら距離を維持し、小國の入り際を左ストレートで叩く和氣の術中にはまったまま、それまでの快進撃がウソのように精彩を欠き、第10ラウンドを終了したところでギブアップ。



小國のダメージは深く、ワンサイドの完封負けだった。小國のボクシングを組み立てる上で、生命線とも言うべき左ジャブを捨ててしまったかのごとき戦い方に、多くのファンが疑問を呈した。

「小國のサウスポー対策って、右から入る逆ワンツーだけか・・・?。」


ファンが何よりも驚いたのは、誰の目にも失敗が明らかな上、まったく奏功する目のない戦い方に閉じこもり続けた、小國コーナーの無策ぶり。

小國の才能に目を付け、高嶋が立ちあげたとVADYジムは、新興故にプロ選手の数は少ないながらも勝率の高さを評価され、同時に高嶋の手腕にも注目が集まったが、小國の完敗で大きく潮目が変わる。

かつての海老原博幸と金平正紀(協栄ジム初代会長)、赤井英和と津田博明(グリーンツダジムの創設者)、あるいは長谷川穂積と山下正人、はたまた歴史的大ヒットを飛ばした漫画の主人公,矢吹丈と丹下段平・・・・日本のボクシング史に1頁を刻む、数多の名コンビに続くものと思われた小國と高嶋の師弟関係にも、予期せぬ事態が勃発したらしい。


敗戦の直後、小國は自らのブログで突然の引退宣言。

「(一度でも)負けたら引退すると決めていた」との心情を吐露。90年代をけん引したカリスマ,辰吉丈一郎そのものの主張だが、実際にプロ転向を表明した時から、小國が公の場でそうした言葉を発したことは一度もなかった筈で、唐突な印象は否めない。引退が本心だとは思えなかった。
※関連記事:小国TKO陥落…初黒星で引退表明
2013年3月11日/デイリー・スポーツ
http://www.daily.co.jp/ring/2013/03/11/1p_0005804395.shtml

これは後になってから分かった事だが、一方的な引退宣言の後、小國は4月に入ってすぐ、練習を再開していたという。所属していたVADYジムではなく、中学から高校にかけて通った地元赤穂のボクシングジム。

ボクサーとしての道を歩み出した古巣のジムで、恩師と仰ぐ西川良一トレーナーにミットを持って貰う。月並みな表現だが、自身の原点を見つめ直した小國は、「こんなことで挫けてどうする!世界を獲れ!」と叱咤鼓舞する西川トレーナーに背中を押され、再起への決意を固める。

ところが、更なる悲劇が小國を襲う。西川トレーナーが、4月11日に急逝。小國の身辺は、一気に慌ただしさを増す。


そして5月27日、小國の姿は、東京水道橋の後楽園ホールにあった。新調したスーツに身を固めた前OPBF王者は、角海老宝石ジムへの移籍を発表すると同時に、聖地後楽園のリング上で再起への抱負を語る。
※関連記事
<1>「必ず世界獲る」小國が再起決意
2013年05月30日/赤穂民報
http://www.ako-minpo.jp/news/7609.html
<2>小國がリング上から移籍あいさつ 角海老ジムへ
2013年5月28日/Boxing Newa
http://boxingnews.jp/news/566/

関西圏のローカル番組で一度ならず採り上げられ、TV受けするキャラクターで一部マニアを中心に話題を提供していた高嶋。小國との名(迷)コンビぶりも評判を取っていただけに、角海老への移籍は様々な憶測を呼ぶ。

小國の大成に自らの夢を重ねていたに違いない高嶋が、どんな思いで小國との別れを受け入れたのか。それは今知る由もない。少なくとも小國が現役でいる間は、移籍の内幕がつまびらかに語られることはないだろうし、高嶋が墓場まで持って行く場合もあり得る。
※関連記事:マック田口の《VADYジム高嶋穣会長&小國以載》取材記
2011年10月25日/あしボク編集Blog
http://a-boxing.at.webry.info/201110/article_7.html


キャリアを左右しかねない大事な一戦を落としたボクサーが、環境を変える事そのものは良くある話だが、恩師の死が大きく影響したのは確かだろう。



檜舞台のリングで宿願の勝利を告げられ、IBFのベルトを腰に巻いた小國は、どなたかの遺影と共に勝ちどきを上げている。確証はないが、お亡くなりになられた西川トレーナーではないだろうか。
※関連記事:無敗王者破り世界チャンピオン
2016年12月31日/赤穂民報
http://www.ako-minpo.jp/news/11696.html


リング禍で危うく命を落としかけた赤井英和は、津田博明が鬼籍に入って10年が経った今もなお、巷間取り沙汰された津田との確執について、固く閉ざした口を開こうとはしない。津田との相克・離反に話しが及ぶと、サービス精神の塊と言っても過言ではないあの赤井が、表情をこわばらせて視線をそらし、「いや、まあその話は・・・」と口ごもり、それ以上の追及を許さない雰囲気を瞬時に醸し出す。

小國は自分の命を直接危機に晒した訳ではないが、世界を狙えるレベルに達した日本のプロボクサーのジム移籍は、1歩間違えればそのキャリアを閉ざしかねない、センシティブな危険を孕む。

中でも移籍金の問題は、トップボクサーの去就を決定的に左右する。現役世界王者の長谷川穂積は、生涯の戦友と心に決めた山下トレーナー(現真正ジム会長)と運命を共にし、千里馬神戸ジムからの離脱を実行に移す際、千万単位の移籍金を支払った。

表向きには「移籍金無し」と公表されたが、会見で長谷川自身が金銭の発生を認めている。「移籍金」ではなく、「自由交渉金」だと訳のわからない説明を加えてはいたが、要するにトレードマネーには違いない。


長谷川の騒動を遡る事5~6年、90年代末~2000年代初頭にかけて、オサムジムに所属していた日本ランカー,パワフル本望(信人)の移籍トラブルが起きている。

オサムジムは本望に対して、1千万円の移籍金を要求。常識的に考えて、1試合のファイトマネーが良くて数十万円の日本ランカーに払える額ではない。払えない額を言い出し、あくまで移籍を拒む。それでも言う事を聞かなければ、試合を組まずに飼い殺しにして、強制的な引退に追い込むか・・・。

ジムの会長がプロモーターを兼ね、なおかつ実質的にマネージャー(チーフ格のトレーナーが担当)も兼務する日本独自のクラブ(ジム)制度では、選手のプロライセンスもジムを通じて申請し認可を受ける。

所属しているジムの会長がOKしなければ、選手の移籍は絶対に成立しない仕組みになっており、実際に飼い殺しにされたボクサーも存在するのだ。ジムの看板を背負うプロ選手の移籍は、それほどデリケートで扱いが難しい。


会長との軋轢が表面化し、ぎりぎりまで追い詰められた矢尾板貞雄は、決まっていた世界タイトル挑戦を固辞。引退を決断するに至った。

山下トレーナーがクビになった千里馬ジムに、「もう自分の居場所はない。」と心に決めた長谷川は、「考えたくない事ですが、移籍が認められないなら、引退もしようがないと覚悟していた。」と語る。

本望信人は、JBCに仲裁を申し立てた。JBCの顧問弁護士は移籍金200万円の妥協案を提示し、本望は了承したが、オサムジム側が「安過ぎる」と猛反発。裁判沙汰も辞さない構えを見せ、結局この一件は解決までに1年を要した。

幸いなことに、本望は引退という最悪の事態は免れたが、アスリートにとって最も貴重な1年もの時間(24~25歳)を棒に振る。本望を受け入れしたジムは、奇しくも角海老宝石ジムだったが、オサムジムを納得させる為に、角海老が「なにがしかの追加策」を講じた筈だと、この手の事情に詳しいマニアたちは確信している。明確な根拠はないけれども。


高嶋会長がVADYジムを立ち上げるに至った動機は、あくまで会長自身が一国一城の主を目指したからだが、小國という才能との出会いが、資金繰りを始めとしたあらゆる苦難に立ち向かい克服する、大きな原動力となった事は疑う余地がない。

そういう選手の移籍が、僅か2ヶ月程度の短時日でまとまった事自体、我が国のボクシング界では奇跡に等しい。なおかつ小國の場合、交渉の舞台裏は一切表に出ることなく、再起と移籍の発表をいきなり行っている。

水際立った手際の良さ。角海老がどれほどの好条件を持って交渉に当たったところで、高嶋会長の積極的な妥協がなければ、小國の移籍は叶わない。


とにもかくにも、小國は活動の拠点を東京に移し、和氣戦から7ヶ月後の2013年10月5日、後楽園ホールで再起すると、3連勝(2KO)を記録。
※試合映像:小國 8回TKO 藤本悠起(三津山)
2014年1月11日/後楽園ホール(再起第2戦)
https://www.youtube.com/watch?v=LcCQyVepuMw

2014年の暮れには、帝拳の石本康隆と白熱の好勝負を繰り広げ、空位の日本タイトルを獲得。

マカオの巨大カジノ付きホテルで、ウィルフレド・バスケス・Jr.を相手に大番狂わせを起こし(2013年4月6日)、一躍スポットを浴びた石本は、2014年5月31日、再びマカオに赴き、当時王座を保持していたキコ・マルティネスへの挑戦権を懸け、クリス・アバロスに対峙するも無念の8回TKO負け。

トップランクが手掛ける、完全ラスベガス・スタイルのマカオ興行を2度経験し、元王者&上位ランカーと拳を交えた石本との決定戦は、まさしく「絶対に落とすことのできない一戦」であり、キャリアの成否を賭けた大一番となる。

小國は得意のワンツーをブラッシュアップし、最短の距離で打ち抜く技術をさらにもうひと工夫。崩しのコンビネーションにも、上下を打ち分けるパンチのバリエーションを追加。手数と動きを止めることなく、ベテラン石本の自由にさせない。

特に目立ったのは、インサイドから鋭く打ち込むワンツーと、左ボディ(ダブルで上に返す左右のアッパーとの組み合わせも効果的)。


石本も生き残りを懸けて必死。クロス気味の右を積極的に飛ばし、左右フックもいつもより強目に振っていたが、中盤以降打ち合いに意識がシフトしてしまい、前半の組み立てに寄与していたジャブが減った事が惜しまれる。



強打が増えた石本に対して、落ち着いてワンツー中心の攻勢を維持した小國が、僅差の判定(96-94×2,96-95)を引き寄せた。
※試合映像:小國 VS 石本
2014年12月6日/後楽園ホール
(1)第6~第8R
https://www.youtube.com/watch?v=9lRMy3LD0JM
(2)第9~第10R
https://www.youtube.com/watch?v=oPaqrf0cCkk


昨年は、2度の防衛戦とノンタイトルの計2戦を行い、2勝(1KO)1分け。9月にV2に成功した後、11月初旬に王座は返上。今年4月、タイの元ランカー,マイク・タワッチャイを5回TKOに下し、8月には無名のフィリピン人アンダードッグを初回KO。

順調なカムバック・ロードと呼んで差支えはないものの、デビュー直後の切れ味と思い切りの良さには及ばず、物足らないとの評価が大勢を占め、グスマンへの挑戦を聞いたファンの反応は一様に否定的で、どちらかと言えば冷淡なものだった。

王者グスマンは、22勝全KO(1NC)のレコード以上に、小國が惨敗を喫した和氣を、文字通りボコボコにしてIBF王座に就いた、昨年7月20日の決定戦(大阪府立)のイメージが、鮮烈な記憶としてファンの脳裏に刻まれている。

TBSが本番前にBSで放送した特番でも、主役の井岡一翔に次ぐ2番手は小國ではなく、王者リー・ハスキンスの怪我によるドタキャンで、念願の世界タイトルマッチが吹っ飛んだ大森将平(WOZジム)。元フライ級コンテンダー,ロッキー・フェンテスとの10回戦とは言え、実質チューンナップに等しい。

30分番組の半分近くを、TBSは大森に割いている。はっきり言って、小國はほとんど添え物の扱いだった。


だからこそ、アル・ヘイモンの傘下に収まっているグスマンが、下位ランカーを自由にを選べる初防衛戦で、わざわざ来日に応じたとも言える。勿論、相応の見返りを提示されたからでもあるが、有体に言って、和氣と小國はなめられたのである。

「何処でやっても、(この程度の相手に)負けるわけがない。」

新チャンピオンの小國は、指名挑戦者の岩佐亮祐との対戦が義務付けられている。岩佐をクリアすれば、グスマンとの再戦交渉。一息つく間もなく、実力者たちが列をなして小國の動向に神経を尖らせ、食い入るように見つめている。




小國が傷めたという右拳の回復具合によっては、岩佐に急遽暫定王座決定戦が指示される可能性もあり、決定戦の相手が前王者となったグスマンで、なおかつ渡米(アル・ヘイモンの息がかかったプロモーターの主催)を強いられると、いささか話は厄介。

小國と岩佐のどちらがグスマンとやるにせよ、何としても渡米は避けたい。ニューヨークからやって来たレフェリーの所業を見ていて、そう実感した。

指名戦の交渉が、スムーズに進捗・妥結することを願うのみ。鈴木(角海老),小林(セレス)両会長の腕の見せどころ。IBFへの根回しも含め、隙のない慎重なネゴシエーションが求められる。

小國のサウスポー対策と右拳、岩佐の仕上がり等々、気がかりな事柄は様々あるが、ファン注目,見逃すことのできない日本人対決となること請け合い。