ネットオヤジのぼやき録

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小國が殊勲のS・バンタム級制覇 -強打のグスマンから事実上のKO奪取-

2017年01月03日 | Boxing Scene
■12月31日/島津アリーナ,京都市/IBF世界J・フェザー級タイトルマッチ12回戦
IBF5位 小國以載(角海老宝石) 判定12R(3-0) 王者 ジョナサン・グスマン(ドミニカ)



小國以載(おぐに・ゆきのり)が、見事としか言いようのない最高のボクシングを貫徹。圧倒的不利の予想を引っくり返し、大番狂わせの載冠を果たした。

勝因は左ジャブとフットワーク。そして勝負を決したと表しても過言ではない、抜群の威力を発揮した左ボディ。

とにかくジャブと脚がキレていた。グスマンより先にジャブを突き、前後左右に素早くステップを踏んでポジションを変え、生命線とも言うべき右ストレート(ワンツー)につなぐ。

機先を制した小國は、自ずとサイズのアドバンテージを活かす流れも作り、望み得る最高の立ち上がりとなった。左ジャブとステップだけで、小國はペースを握ったと表しても間違いではない。以前はもっぱらヘッドハント専門だったワンツーの2発目を、ガードの空いたボディへ抜け目なく突き刺す。

小國にボディの有効性を確信させたのは、初回2分過ぎにヒットした右ストレートではないだろうか(ワンツー)。ラウンド終了後のスロー再生でも使われていたが、グスマンは苦悶の表情を浮かべ、痛みに耐えながら体を捻っている。

攻撃の核となる右ストレートは、極力モーションを抑えて、腰の回転(スムーズな上体の捻り)で最短距離を打ち抜く工夫が徹底されている。


「様子が違うな・・・。」

挑戦者(完全なるアンダードッグ)の状態と出方次第では、即決KOを思い描いていたに違いないグスマンは、スタートの2ラウンズを出遅れた。その失点を挽回してペースを手繰り寄せようと、第3ラウンド一気に攻勢に出る。

強引な左右フックを振るって距離を詰めるが、小國はステップを休まず、ロープを背負ってもボディワークで頭の位置を動かし、左右のショートを必ず返しながらサイドへ回り込む。

近代ボクシングの基本中の基本。ベーシックな攻防の最たるもので、目新しいものは何もないが、スピードに体のキレが伴い、落ち着いて距離を見極めできるボクサーに徹底されると、どんなに強いタフ・オポーネントでも崩し切るのは大変。

1分20秒付近、最初の衝撃が訪れる。荒々しいグスマンの左右フックをステップバックとサークリング、ヘッドムーヴで外しながら、左フックの打ち終わりにやや前にのめり気味となった王者のレバー目がけ、左ボディがきれいな弧を描いて炸裂。



両膝と両拳をキャンバスに着き、苦痛に耐える王者グスマン。カウント8で立ち上がったが、かなり効いている。自ら後退して時間を稼ぎ、適度にパンチも返しながらけっして無理はせず、予期せぬ序盤の大ピンチをしのぐ。


第4~第8ラウンドまでは、文字通りの一進一退。左フックを起点に、懸命に反撃を試みるグスマン。前に出る勢いとパンチ力は、22勝全KOのレコードが伊達ではないことを、改めて実感させる。

したたかに打たれた小國は、右眼の周囲が腫れ出したが、こちらも足を止めずにジャブとワンツー、左ボディの3本柱で対抗。互いにいいパンチをヒットし、どちらに振ってもおかしくない、拮抗した展開が続く。



しかし第8ラウンド、開始間もなく長い右ストレートでボディを叩くと、グスマンの手が止まる。小國は圧力をかけながら追い詰めつつ、窮鼠猫をかむ格好のグスマンを逆に引き出し、右の打ち終わりを待って左ボディをヒット。効いた。

グスマンはガードを保持してステップを踏み、平静を装ってはいるが、完全に手を止めるしかなくなり回復を待つ構え。明らかなKOのチャンスだが、王者のパワーショットを警戒する小國も、そう簡単には距離を詰め切れない。

とにかくボディを打たれたくないグスマンは、ノーガードのまま足を使い、後退しながら適時ワンツーやショートのコンビネーションを軽く出し、小國がワンツーから飛び込むと、ワンツーと左フックを合わせ返してまた動き、渾身の力を振り絞って時間稼ぎに徹する。

しかし1分を過ぎたところで、意を決した小國が接近し、左右の連打をボディ2集めると、体を丸めて耐える王者は、ステップバックで離れ際に両手を広げ、「効いてないぞ」とブラフをかます。


するとニューヨークから派遣されたエディ・クラウディオ主審が、小國にローブローの注意。流れは止めず、距離が出来たグスマンとの間に体を入れ、右の掌を上に向けて上下させるだけだが、嫌なムードが漂う。

ニューヨークを中心とした東海岸は、周知の通りプエルトリコとドミニカから流入する移民の大きなコミュニティがあり、殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンのボクシング興行にとって、欠かすことのできない集客基盤になっている。

名前からわかる通り、この日の主審は東部を拠点に活動するヒスパニック系。想定外の苦境に立たされたドミニカ人王者への加勢は、半ば当然と見て何ら不思議はない。

さらに3名の副審中、2名がニューヨーク州。なんと審判団4名中、3名が東海岸の中心地から選抜されている。最後の1名だけは、中北部のイリノイ州から選ばれているが、笑えるほど分かり易い。接近したラウンドのすべてを、グスマンに持って行かれかねない陣容。


後退一辺倒のグスマンを追い、ワンツーから左右のボディで攻勢を取る小國。圧力をかけ続けては、王者にジャブ,ワンツーを打ち返させ、空いた腹にまた左ボディ。どちらが王者なのかわからない、見事な組み立て。王者の右の打ち終わりを、必ず左ボディで叩く。

ただ単純に前に出るのではなく、丁寧にジャブを突き、小さなステップでポジション・チェンジを繰り返しながら追い詰める。得意の右ストレートをかわされても、上体が流れるほどの強振は慎み、瞬時にステップバックが可能なバランスを堅持。逆襲への準備も抜かりがない。

第8ラウンドも残り30秒、ずっと手を休めていた王者が反撃に出る。だがパンチはすべて軽めで、ポイントを取られない為の見せかけだが、小國もヒットの後に連打が続かない恨みが残る。


そして第9ラウンド。主審の挙動が不審さを増す。開始を待つ王者が、何やら自軍コーナーに顔を向け、リング下からの指示を聞く。ゴングが鳴るのと同時に、クラウディオ主審が試合を止め、グスマンにドクターチェックを要請。

確かに右眼の上をカットはしているが、傷はまだ浅く血も流れていない。あからさまな時間稼ぎにしか見えないけれど、右眼の腫れが悪化してきた小國がチェックを受けたら、それこそ一大事だ。

ドクターがどういう判断を伝えようが、試合を止める権限はレフェリーだけが持つ。小國の右眼周辺の腫れは、バッティング等の偶発的なアクシデントではなく、王者のヒッティングによるものであり、レフェリーストップはそのままTKO負けを意味する。小國にチェックが命じられなかったことを、不幸中の幸いと考えるしかない。


合法的な休憩を許されたグスマンは、ラウンドが始まると軽快な動きを取り戻す。軽い左右を飛ばしてリズムの回復を図る。小國は務めて冷静に、王者のワンツーを待って打ち終わりを左ボディ。王者の手が止まると左ジャブで前進。この日奏功し続けている、基本的な戦術をしっかりキープ。

グスマンも攻めの姿勢だけは見せ続けてはいるものの、左ボディを恐れて(勿論ダメージもある)、前半戦の勢いとパワーは既に無い。


1分過ぎ、ロープを背負う王者に左ボディを連射する小國。たまらずサイドから逃げて大きく離れるグスマン。慌てずに追う小國を待ち、王者は一旦クリンチに逃げる。そしてまたフットワーク&ジャブの時間稼ぎ。

おそらくボディが効いて、立っているだけでも精一杯に近い筈だが、懸命に動いてジャブを出す。グスマンも必死だ。

今度は右ストレートを腹に刺し込む小國。後退するグスマンを追って左ボディ。ジャブとワンツーから左ボディ、ボディから上。小國はけっして攻め急がず、大振りにならないよう、ディフェンスとバランスにも注意を払い、的確なコンビネーションで王者を削って行く。




第10ラウンドも、基本的に同じ流れ。ボディを嫌って遠目にポジショニングする王者は、ジャブを放って小國の出足を遅らせ、願わくば印象点をもぎ取る狙い。また打ち終わりに腹を叩かれたグスマンは、抱きついてホールド。

小さな動きで目立たないようにやっているが、ホールドに対して右のパンチで警告する小國。クリンチとホールディングを明確に切り分け、腕を絡めてくる場合に限り、パンチを出す場面が他にもあったが、”マリーシア対策”にも隙のない対応がしっかり採られていた。

試合前日のルール・ミーティングで、角海老陣営が王者のグローブに「規定(8オンス)より軽いんじゃないか」と注文を付け、前代未聞の「グローブの計量」を要求。「好きなようにしろ!」と、王者陣営が怒りを露わにする一幕が報じられていたが、リング外の戦術においても、角海老(チーム小國)の周到さは日本人離れしている。


ワンツーと左フックで何とか反転攻勢を仕掛けたい王者だが、右を打った後に左ボディを返されることが分かり切っている為、それ以上どうすることもできない。あと1発か2発まともに腹を打たれたら、十中八九持たないからだ。

ロープを背負い、小國が手を止める僅かなタイミングを狙い、上手くワンツーを決めてもすぐにサイドへ逃げる。徹底的に離れて時間を稼ぎ、射程に入って来る小國をタッチし、また離れる。グスマンには、もうそれしかできない。

圧力をかけて追い続ける小國にも、隠し切れない疲労が顕在化。最終盤に備えて休んでいるのも確かだが、手が止まる時間が増え、グスマンの軽いワンツーへの反応が遅れ出した。しかし、セコンドの指示を受けてガードを立て直し、逃げる王者を懸命に追う。

右ストレートを打ち下ろし、左ボディ。グスマンもワンパターンだが、小國にもバリエーションに変化をつける余裕が無くなってきた。それでも、パンチが活きているのは小國。ワンツー→左フック(上下)、さらにまたワンツーの繰り返しだけで、グスマンは下がるしかなくなる。

このまま判定になれば、いくらニューヨークからやって来たジャッジでも、グスマンを勝ちにはできないだろう。気がかりなのは、腫れが酷くなった小國の右眼。まだ完全に潰されてはおらず、視界が確保されているから、どうにも怪しげなこの主審もドクターに見させていない。残りはあと2ラウンズ。


いよいよ、チャンピオンシップ・ラウンド。11回の開始ゴングが鳴る。コーナーで檄が飛んだのか、小國が前に出る圧力を強め、左ボディにもパワーを増す。スタミナに心配はなさそうだ。

ずっと上を打っていた右を、いきなり下へ。ワンツーと左右フックが続く。下がるグスマンに、さらに上下の左フックで追い打ち。王者も最後の力を振り絞り、左フックの連射で抵抗を試みるが、小國の左ボディが怖くて右を出せない。

強いワンツーから、そのまま力を落とさずボディ。そこからまた上に返す。腹だけで、小國はフィニッシュが可能な状況。雰囲気を察して沸き上がる歓声に、島津アリーナが揺れ出す。


2分30秒付近、事件は起きた。

ワンツーで追い立て、左ボディ(2連打)がグスマンのベルトラインを抉ると、たまらず膝を着く。

「よし、決まった!!」

思わず声が出てしまったが、レフェリーは両手を交差させ、ノックダウンではないとのゼスチャー。時計を止めずに、グスマンに休む時間を与えている。ローブローとの判断だが、余りにも見え透いた手口。紛れもないクリーンヒット、クリーンノックダウンである。

絶句した。

おそらく、続いて小國に減点の宣告。

ニュートラルコーナーで待機する小國に、角海老のセコンドから声が飛ぶ。「わかっている」と言いたげに、軽く一瞥してうなづくと、すぐに視線を対角線上の反対コーナーへ戻す。小國と角海老のコーナーは、どこまでも冷静だった。




たっぷり、2分以上は休んだだろう。再開を命じる主審。小國に減点は無かった。挑戦者のホームで、流石にそこまではやれないと思ったのか。国内開催で本当に良かったと、ホっと胸を撫で下ろした。もしも米本土での開催だったなら、王者のコーナーは「そのまま寝てろ!」と指示を出していたかもしれない。ローブローを取られた上にグスマンが立ってこなければ、一発減点どころの騒ぎでは済まず、反則負けにされていた公算が大。

再開後の残り時間は、およそ20秒。JBCのタイムキーパーは、しっかり仕事をした。そして、最終12ラウンドがスタート。11回終了後のインターバル中から始まった"オグニ・コール"が、大きな拍手と共に島津アリーナに木霊する。

熱い声援に後押しされ、前に出て力強いパンチを繰り出す挑戦者。グスマンに反撃する余力はなく、残り少ないスタミナを総動員して、脚を動かし格好だけの手を出すのみ。最後まで攻めの姿勢を貫き、小國は試合終了のゴングを迎えた。


どれほど金に汚く情実に塗れた審判でも、この内容で王者の防衛は有り得ない。グスマンが勝ったら、もはやスキャンダルの域だ。ポイントの開き方(差)はともかく、小國の勝利は揺るがない。そう確信していたから、オフィシャルのスコア(三者一致の115-112)にはひとまず納得。

勝利者インタビューで、小國は言った。

「5ポイントは取っている自信があった。3ポイント差(3-0のユナニマウス・ディシジョン)とわかって、勝ったと思った。」


レフェリーに己の職責をまっとうする気概と勇気があったなら、小國が奪った2度目のクリーン・ノックダウンで、この試合は決着していた。

非常に残念なことではあるが、ボクシングを始めとする多くの競技が、審判の不正、恣意的な行為を撲滅できないでいる。様々な事由により、不正の糾弾を受けても反論が難しいレフェリングとスコアリングが後を絶たず、それはおそらく、未来永劫無くなりはしないと思う。

1974年4月、ガッツ石松が東洋のボクサーとして、史上初めてライト級の王座に就いた時、カリフォルニアから派遣されたヒスパニック系のレフェリーは、石松の左フックを浴びて千鳥足となり、滅多打ちにされて完全にノビてしまったメキシコ人チャンプの両腕を引っ張り、無理やり立たせて試合を続けさせる暴挙に及んだ。

会場の日大講堂(旧両国国技館)は騒然となり、血相を変えた米倉会長とエディ・タウンゼント(トレーナー)が、リングに飛び込んで抗議する気配を見せると、ニュートラルコーナーに下がっていた石松が、大きな声を自ら会長にかけていた。

「大丈夫!必ず倒すから!」


その言葉通り、石松がノックアウトで勝ったからよかったものの、万が一にも王者が回復していようものなら、暴動に発展していた可能性も否定できない。

監視の目が少しでも緩く甘くなれば、亀田一家の乱痴気騒ぎでさえ、いつでもぶり返すだろう。

だからこそ、スポーツ・メディアと元OBの解説者,評論家が果たす役割は重要で、おかしいものはおかしいと声を上げ続けなくてはならない。メディアと業界関係者ががそれを果たそうとしないなら、インターネットという武器を得た善意のファンがなり代わるしかない。


日本国内のトップレベルが、そのまま世界ランキングのアベレージを形勢するバンタム級以下とは違い、S・バンタム級から上の階級は日本人に敷居が高い。

小國を待つ防衛ロードは過酷だ。負けを認めていないグスマンも、リベンジの機会をすぐにでも欲するだろうし、アル・ヘイモンの影響力を思う存分行使可能な渡米を、小國に迫るだろう。

これもまた不幸中の幸いだが、IBFの指名挑戦権を持つのは、相手のドタキャンで挑戦者決定戦が白紙に戻った岩佐亮祐(セレス)。IBFの救済措置で、ロジカル・コンテンダーの地位を得た。順当なら、初防衛戦の挑戦者は岩佐になる。
※当該記事:岩佐亮佑が指名挑戦者に、グスマンvs小國の勝者と
2016年12月3日/Boxing News
http://boxingnews.jp/news/43033/

減量に散々苦しんだ岩佐は、S・バンタムへの転級でコンディションを回復。小國が不得手にする痩躯のサウスポーで、本調子のパフォーマンスは侮れない。


アマチュア(高校)時代に2人は一度対戦しており、岩佐が勝っている。プレスルームでの会見で「岩佐とはやりたくない。」と語り、報道陣を笑わせた。本音は別だとは思うが、リング上で行われた勝利者インタビューでも、今後の抱負を聞かれて「もうやりたくない・・・ねえ、会長!」とぶっちゃけトークをかましていた。
※当該記事:新王者の小國以載が会見、岩佐とはやりたくない!?
1月1日/Boxing News
http://boxingnews.jp/news/44003/


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■11ラウンドのボディは完全なクリーン・ノックダウン

終盤グスマンを捉えた左ボディは、2発ともベルトラインに打ち込まれたもので、ローブローではない。完全なるノックダウンで、なおかつノックアウトだった。

主審の恣意的なレフェリング(恥ずべき行為)に、小國はKO勝ちを盗まれたに等しく、呆れてものが言えない。

□検証画像1


□検証画像2



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■前日計量と予備検診

<1>王者グスマン(27歳)/前日計量:121ポンド3/4(55.2キロ)
24戦22勝(22KO)1敗1NC
身長:167センチ
リーチ:174センチ
首周:85.4センチ
胸囲:84.2センチ
視力:左右とも1.5

<2>挑戦者小國(28歳)/前日計量:122ポンド(55.3キロ)
21戦19勝(7KO)1敗1分け
身長:172センチ
リーチ:174.8センチ
首周:35.4センチ
視力:左右とも1.5


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■オフィシャル

主審:エディ・クラウディオ(米/ニューヨーク州)

副審:
ロビン・テーラー(米/ニューヨーク州):115-112
カーロス・オーティズ・Jr.(米/ニューヨーク州):115-112
ビル・ラーチ(米/イリノイ州):115-112

立会人(スーパーバイザー):アニバル・ミラモンテス(亜/WBOランキング委員長)


ジャッジのオーティズ・Jr.は、60年代にライト級で一家を成し、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンの看板選手でもあったカルロス・オルティスの息子さんだ。

オルティスは小坂照男(帝拳)の挑戦を受ける為、1963年12月に来日。圧倒的な実力差を見せつけ、日本の第一人者,小坂を5回KOに屠っている。

当時も今も、日本国内では「カルロス・オルチス」と表記されるが、チャンピオン本人は「カーロス・オーティズ」の英語表記と発音を望んだらしい。


※管理人KEIのスコア:116-112で小國を支持




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