豊川高校探Q部

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日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 - ④

2015-08-28 17:56:59 | 旅行
 日本のロケット開発の父について、説明しておく。

糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。
専門は航空工学、宇宙工学。
ペンシルロケットの開発者であり、
「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。
【Wikipediaより】

 先号でペンシルロケットは横に飛ばしたことを書いたが、
紙を並べておき、横に飛ばして、貫通した枚数を勘定する。
この方法で推進力や機体のねじれなどを測定したそうだ。
資源はなくても国土が狭くても知恵がある「日本」の力を思い知った。

博士は、どんなに失敗しても「失敗ではない。この方法ではできないということが分かった成果だ」と
言っていたらしい。
その精神が困難を極めた宇宙開発を進める原動力になった。
その偉業をたたえ、初代「はやぶさ」が向かった星の名を「イトカワ」と名付けられた。
 

 つづいて、日本初の人工衛星「おおすみ」の説明を受けた。

打ち上げは1970.2.11。筆者は1970.8.3生まれだ。筆者から見ても、先輩である。

 何しろ日本初の人工衛星。何の目的で打ち上げられたのだろう。
 その目的は・・・地球の周回軌道を回る。

 そもそも人工衛星の定義は「地球軌道上で、ある目的をもって存在する人工天体」である。
 おおすみ先輩は、一応感知できるように電波を発信していた人工天体だ。
 その機体は、2003年まで飛び続けていたそうだ。日本の技術力の高さを思い知った。


さて、これは展示ケースを持ち上げている様子である。

右から2番目の子が資料で鼻を押さえている。
これは、クサイからである。

 おおすみが飛んだ1970年。それ以前に米国はアポロ計画を成功させている。
米国などの大国は、液化燃料を使用している。資源のない日本は・・・。

写真右側の固形燃料を使用していたのだ。
これは世界に例を見ない取り組みだった。
また、軍事目的ではなく、大学が中心となり開発したという点でも世界で類を見ない偉業であった。
この固形燃料には、アンモニアが含まれており、
45年以上経った今でも猛烈な臭いを発しているのだ。
私たちは何年経っても軍事目的ではなく技術開発をしてきた精神を忘れないでいたいものだ。

 見るだけじゃなく、聞いて、そして嗅いで、五感で感じる宇宙開発の歴史だ。

こんなことができるのも、先輩がいるから・・・、探Q部ならではだ。

                                     つづく



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