日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井 孝著『裏から見た支那人』 支那を測る尺度

2024-02-17 22:36:37 | 中国・中国人

      笠井 孝著『裏から見た支那人』 
    
     
 
 

   支那を測る尺度 

 研究の手段・・・・横顔・・・・・道徳・・・・・歴史の裏・・・・・尺度 

研究の手段 
 支那を研究するには、その國民性を理解し、之を討究して、有らる方面から、観察する必要がある。斯くてこそ、謎の國支那も、自然に氷解せられ、それぞれの場合に応じて、支那人を如何に扱ふべきかが、自然に釈然たり得ることと思ふ。

 支那國民性の解剖に方り唯単に、我々自己の不完なる過去の常識から、これを類推することは、頗る危険である。例へば女は、マゲを有するものなりとの過去の経験から類推して、芝居の役者は、女なりと速断するのは、笑ひものであると、同一である。

 日本人の支那観には、この種の類推を招き易きものが多々ある。支那人の心理は、日本人の常識では、到底理解し得られざるものがある。
 故に吾々は、先づ彼等の國民性の囚って来
るところの根本原因を、研究して掛らねばならぬ。

 然してこれがために研究すべきことは
(一)支那民族の歴史的、地理的、民族的地位
(二)支那國民性の根本である道徳観念
(三)支那人の民情と、大をな関係を特つ其の家族制度、統治者と被統治者、國家及び社會組織の得意なる點
(四)支那の文化の特別なる状態
等であらねばならぬ。
    
 これを更に約説すれば、日本人と支那人との間には、これ等の諸現象の間に、著しき根本的の観點の差異があり、
またその原因となるべを生活状態、風俗、習慣の間にも、甚だしきを過程のあることを考へねばならぬ。

 以下これ等に関する二、三の注意を概説して本文に入らう。

支那人の横顔 
 支那の研究な必要であらうが、さて然らば如何に研究するかと云ムことは、必らすしも簡単なる問題ではない。
研究方法と云っても色々ある筈であるが、私は先づ初學者に、支那人及び支那が、如何に日本と異るかといふ點だけを、研究することを切望する。
これが釈然たり、會心の了悟を得られない限り、支那の研究は、未だ門に入らずと云はれても致方がないと思ふ。

 従って本書には、その研究の便宜上、支那人なるものを知るべき極めて初歩のアウトラインを記述して見たいと考へる。
率直に言へば、日本人の支那研究は、頗る浮調子であると云び得らるる。日本人は國際聯盟や、欧米諸國の支那に對する認識不足を攻撃するけれども、日本人もまた支那に對する認識不足に於いては、敢えて聯盟や、は欧米諸国に劣らない方である。

 近頃一部識者の間には『支那通支那を誤る』」と称し、欧米仕込みのハイカラ道徳を以て、直ちに對支態度を決せとする人々があるし、さらに『支那通は、支那だけしか知らない。彼等は我々の如く欧米を知らない。
 欧米を知らずして支那が分るものか』と云ふ欧米通もある。

 かと思ふとまた2、30年来の謂はゆる支那浪人を以って、一括してこれを支那通と考へる人もあるが、これ等のもの總て適富な態度ではない。
余談ではあるが、謂はゆる支那通にも色々ある。一は、支那
通りである。

 謂はゆる支那に對する旅行で、上海から漢口、北平、天津と、汽車で一巡して、早速支那通を振り回す、つまり支那を素通りする連中である。
 その二は支那問題で、一年に一度か二度、支那の政情視察のため支那に通うて、支那最近智識の保有者と、自惚れる連中である。

 それから三は、支那に多年在住して、支那を知れりと自ら任するが、然りとて支那語語すらも、十分には話せず、支那の奥地すら旅行したことすらなく、只自惚れと、大言壮語以外には何も研究もしない謂ゆる自称支那通である。

 併しながら今や支那は、是等の欧米通や、支那通によって、料理せらるべき時代ではない。
日本は、自己の死活問題といふ點から、率直、且つ赤裸々に隣人の内容を解剖して掛らぬばならぬ。

 支那人は、世界稀に見る複雑なる心理状態の持主であ。多面體心理の保持者である。
由来研究には、先入主となることは、禁物であるけれども、彼等の著しき特異點は、大要だけは、必ずこれを心得て掛らねばなられのである。

複雑なる支那人心理 
 日本人は途上で友人に出逢ふと、『ヤア』『イヨウ』と、まるで物の掛聲のやうな挨拶をするが、そこに、日本人の竹を割ったやうな心理が表現されて居る。
 併し支第人は、この場合、『ワアイ」とか『ウェイ』と呼ぶ。呼ばれた本人は、何事だらうかと、先づ一思案した後、後ろに身體を捻ち向けて、『ウワイ』とか、『ウウウエイ』とか返事をする。

 この事が、また頗る曖昧模糊として居って、イエスであるか、それともノーであるか、またその中間であるのか、ハッキりして居ない。これは支那人の習慣として、黒白をハッキリしない方が、通例であり、かつ保身の術にもう叶うて居るからである。

 支那では、黒白を明言せず、黒から白に至るまでには、鼠、灰色・淡泊など幾百の色別け、使び分けがあるので、日本人のやうにイエスか、ノーの二色だけでは、行けないのである。

 従ってコンな妙な返事が、持ち出される譯であるが、曾て張作霖が、北京入城の途中、天津に滞在したことがある。
 『何日まで御滞在ですか』と問ふたところが、『佳一天』と答へた。
 翌日また尋ねたところが、また『住一天』と答へた。
 『住一天』とは『一晩泊まる』と言ふことである。
 斯て新彼は十日餘りも、天津に滞在した。

 支那人は、彼等の愛蔵の骨董品を褒めて、幾何位しますかと尋ねると、彼等は『一百多塊錢』を答へる。
百圓餘りと言うことである。百圓餘りとは、百一圓から百九十九圓迄のことの積りである。ここ等にも、彼等國民性の曖昧模糊たる特殊な閃きがある。

支那人の道徳観  
 凡そ一国の國民性は、その民族の歴史、文化、政治組織、社會状態、環境等によりて、左右せられるるものであつて、我々日本人の道徳観を以って直ちにこれを支那人に適用せんとしたり、我々日本人の普通の尺度、我々の心理状態その儘を、直ちに支那人に適用とするのは、間違いである。

 日本人の中には、我も人なり、彼も人なり、苟も至誠を以ってこれを導けば、支那人と雖も、必ず反省するだろうと考へたり、自己の環境と、自己の習慣から、その儘これを支那人に適用し、支那人を批判しようとする者があるが、これ等は何れも至當でない。

 二、三の例を擧ぐれば、支那人は、好んで人の品物を盗むが、これが發見せられても、別に悪いと思はせないみならず、その品物を取戻すと、折角取ったものだから、幾分か手間賃を呉れろと言ふ。斯んなのが日本人では、一寸理解し兼ねる心理状態である。

 また支那には『男女七歳にして席を同じくせず』とか、または『途に遣を拾はず』などと云ふことがあるが、これは七歳で同席したり、遺失物を横領したりするからこそ、是正の必要があり、その爲めに發生した道徳律であり、警戒の言案であるに過ぎない。
 これを、エライなどなど、誤って考へるは、親子を取り違えたような事件である。

 支那人は忘恩的であって、御礼を言はないと、八釜しく憤慨する人があるが、支那人に言はせれば、一度御礼を言へば、それで沢山であると考へて居り、日本人のやうに、出逢ふ度毎に、何回も御礼は云はない。またそれが彼等の習俗である。

習慣風俗の差異
 一々この種の心理状態の相違を、捨び擧げて居たのでは、際限がないが、日常の風裕習慣の上からも、支那人と、日本人とは、甚だしく相違して居る。
 日本人のマツチの擦り方や、鉛筆の削り方と
支那人のすることは、全然アベコベであり、日本人は、鉋や、鋸を、自分の方に引くが、支那人は、先方に推して行く。
   
 食事の時に、我々は橋を横に置くが、支那人は必らず縦に置く。
洗面するにも、日本人は、両手に水を持って、手でプルプルとやるけれども、支那人は、手の中に顔をつけてをクルリクルリと廻す。一事が萬事、所變はれば、品變はる。日本人と、支那人とは、色々に違ふものである。

 支那は、婦人の室を窺くことを極度に嫌ふ。
また足首を出すことを、非常に淫猥なことと考えるなど、習慣上からも、種々違って居る。また同じ支那人でも、北方人は、気が長くて、ユックリして居るが、南方人は、気短かで、多少日本人に似た點がある。
  
 この外日本人の皇室に對する観念の如きは、支那人には、到底理解し得られない事件であって、日本人の皇室観と、支那人の君臣観念との間には、全然合流し得ない根本的相違がある。

 國境観念や、國家観念も、また全然途方もなく異なったととろがある(これは別に後でべる)。
宗教的な考へに於いても、支那人の考へ方は、何處までも現實主義、その場主義であることは、これまた後にはべる通りである。

美化された歴史の裏 
 支那研究に方って、心得なければならぬことは、支那の文献は、美文を以って、悪を美化し、不仁不義を覆ふて居ると云ふことである。このことに就いては、支那人の『宗教観』なる部分に於いて述べるが、支那歴代の史實の記録を以って、その儘支那の實状と解することは、大なる危険である。

 支那人の議論、乃至文章を見るに、如何にも大義名分に透徹し、愛國心に、燃えて居るかに見えるが、
その裏面には、彼等個々の個人的利害とか、売名観とか、打算的の原因やら、動機が多分に働いて居るものであって、
表面の美化を以って、直ちにこれをその儘受入れるのは、支那では、夥しく考へものである。

認識と尺度 
 つぎに間違ひ易いことは、儒教に對する日本人の違算である。
 由来日本人は、支那人を見るに『支那は孔礼の國なり』『彼も人なり我もひとなり』などと、支那人を日本人扱する癖がある。通例的に云へば、世界の道徳は、多くは共通的であるから、日本の道徳習慣を以って、これを欧米人、インド人に適用することは、必ずしも誤りではない、併し我等の道徳観を以って、直ちにこれを支那人に適用することだけは、偉大なる誤りである。
 私にに云はせれ『支那人は人に遠く、寧ろ豚に近い』。 

 彼等は仁義もなく、忠孝なく、義務心なく、犠牲心なし。
況や人倫の道、五常の徳の如きは、四百余州を探しても、薬にしたくもあるものではない。 

 日本人が支那を研究するに方りては、先づこの道徳観念の根本から、その尺度寸法を改造して掛からねはならぬ。
 また支那人は、増長限りなき民族である。

 『隴を得て蜀を望む』といふ諺があるが、支那人は、如何にしても、遠慮を知らぬ増長民族で、相手弱しと見れば、何処までも附け上るか分らない民族である。
 欧米人からは『チャイナチャイナ』とばれ『メード・イン・チャイナ』で、別に異議なくやりながら、日本人に對しては『支那』と呼ばれることを忌避し『中華民國』と書かなければ、公文書を受取らないなど云ふのは、そもそも日本の温和政策を、馬鹿にして居るからである。

 従って支那の研究に遠慮は無用である。
赤裸々に忌憚なく、その内幕をサラけ出して見ることによってのみ、支那研究は可能
である。

 以上の諸點は、民族の研究上、必らず考へねはならぬ豫備智識を掲記したまでで、これだけで勿論足れりとする次第ではなく、またこれで主なるものを、晝して居るでもない。
只単に支那研究上の手ほどきを、述べたものにぎない。



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