坂本龍馬関係文書
『海援隊商事秘記』(2)
丁卯九月十四日蘭商ハットマンと條約ライフル一千三百挺買入之事を談す
尤も四千兩入置余分は當日後九十日に拂渡す筈
同月十五日左之條約書及ひ金子四千兩持參陸奥陽之助及び請人鋏屋與一郎
廣世屋丈吉(某外商人三四人)通事未永猶太郎同道にて出島ハットマン商會に至り
昨日約束通りライフルを請取る
談し直に引替たり其節ハットマン商會より
ライフル目録書付 品位請合書を出せり末永氏飜譯書も相添へり
此間種々に混じたる事あり
ハットマンニ出せる證文左に記す
證文之事
一 ライフル 千三百丁
但し九十日延拂之事
代價壹万八千八百七拾五兩
内金四千兩入
又金三百六拾兩 (九十日分歩引)
差引殘り
金壹万四千四百九十兩
右ハ今般入用に付其許より買請候處實正也九十日限り皆納可申候以上
―――三年 松平土佐守内
九月十四日 才谷梅太郎印
ハットマン商社
前書之通り相違無御座候若萬一延引及ひ候節は我等より相辨可申候爲
其請印仕候以上
廣 瀬 や 丈 吉印
鋏 屋 與 一 郎印
一 卯九月中旬長崎商人八幡屋兵右衞門を以て隆州藤安喜石衛門へ大坂爲
替金四千兩を相談す則ち才谷梅太郎借主にして佐々木三四郎奠印す其
始末左に記す
一 金四千兩
右はハットマンにライフル代價之内へ拂入
一 金一千兩
内五百兩 田邊藩松本檢吾に相渡す證書別に有之候
又金貮百兩 南長崎に於て隊長才谷梅太郎に相渡す
又金百五拾兩 長ニ於て口人料として菅谷吉田右八轎や兵右衛門へ
遣す云々
又金百五拾兩 菅谷陸奥兩人上坂之人用持參細記者別に有之但し末
永井商人謝義等相遣置且積舟入用も相籠居り候
一 才谷梅太郎取入候ライフル千三丁之内百挺丈け長崎商人鋏屋與一郎
廣瀬屋丈吉兩人相預り置候始未
覺
一 先日才谷梅太郎買主を以て蘭人ハットマン商社を取入候一千三丁之
ライフル銃之内百挺丈け其許御兩人に御任せ申候間惣金拂入之期限迄
に可然御取揃被下度候爲念證書 如件
陸奧源二郎 印
菅野覺永 無印
似し此節不居合
故に印影無之候
右之通り相渡し又鋏屋廣瀬屋兩人 預り一札を取る
同十月二日 無事にて大坂に着す
同廿七日夜 陸奥菅谷 與 僕三人上京 阿菊伏水迄來る
同廿八日 着京次チ室町譯治
同三十日 與松本定約發京期明朝此夜誘松本離杯於祗園花街白峯亦會
焉前後陸奥翁之周旋也
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