日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

勝海舟『氷川清話』(6) おれは今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。

2019-12-29 22:43:26 | 勝海舟

勝海舟 『氷川清話』 (6)   


おれは今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。
 それは、横井小楠と西郷南洲とだ。
  
 横井は、西洋の事も別に沢山は知らず、おれが教えてやった位だが、
その思想の高調子は事は、おれなどとは、
とても梯子を掛けても、及ばぬと思ったことが屢々あつたヨ。

 横井は自分で仕事をする人でないけれども、
もし横井の言を用ゆる人が世も中にあったら、
それこそ由々しき大事だと思ったのサ。

 

その後西郷と面会したら
 その意見や議論は、寧ろおれのほうが優る程だツたけれども、
所謂天下の大事は負憺するものは、
果たして西郷ではあるまいかと、また窃に恐れたよ。

 そこで、おれは幕府の閣老に向かって、天下にこの二人がおるから、
その行く末に注意なされると進言して置いた所が、
その後、閣老はおれに、その方の眼鏡も大分間違った、
横井は何かの申分で蟄居を申付けられ、
また、西郷は暫く御用人の職であって、家老などといふ重き身分でないから、
兎ても何事も出来まいといった。

 けれどもおれはなほ、横井の思想を西郷の手で行われたら、
最早それ迄だと心配して居たし、果たして出てきたサイ。

 おれが初めて西郷に会ったのは、
兵庫開航延期の談判委員を仰附けられた為め、
おれが召されて京都に入る途中に、大阪の旅館であった。

 その時、西郷は御留守居格だったが、
轡の紋の附いた黒縮緬の羽織を着て、中々立派な風采だったヨ。

 

 西郷は兵庫開港延期のことを、
豫程重大な事と思って、随分心配して居た様であったが、
頻りにおれに其処置法を聞かせよといふワイ。

 そこで、おれがいふには、まだ確かには知れぬが、
この度の御召しは、多分談判委員を御付けられる為めだらう。

 併し、小生は、別段この談判を難件とは思はない。
小生がもし談判委員になったら、
まづ外国の全権に、君等は山城なる天皇を知って居るかと尋ねる、
すると彼等は、必ず知って居ると答へるだらう。

 そこで然らば、その天皇の叡慮を安んじ奉る為めに、
暫らく延期してくれと頼むサ。

 そして一方に於ては、加州、備州、薩摩、肥後らの他の大名を集め、
その意見を採って、陛下に奏聞し、更に国論を決するばかりサ。
と、斯ういった。

 それから彼等の問うに任せて、おれは幕府今日の事情を一切談じて聞かせた。
 彼がいふには、兎角幕府は薩摩を悪んで、
漫りに猜疑の眼を以て、禍心を包蔵するやうに思ふには困るといふから、
おれは、それは幕府のつまらない小役人どもの事だ。

 幕府にも人物があるから、そんな事は打ちゃって措きたまへ。
かようの事に掛念したり、憤激したりするのは、
貴藩のために決してよくないといッたら、彼も承知したといッたッケ。

 

坂本竜馬が、曾ておれに、
 先生屢々西郷の人物を賞せられるから、
拙者も会ってくるにより添をくてと言ッたから、
早速書いてやったが、
その後、坂本が薩摩から帰って来て云ふには、
成る
程西郷といふ奴はわからぬ奴だ。

 少し叩けば小さく響き、大きく叩け名大きく響く。
 もし馬鹿なら馬鹿で、利口なら大きな利口だらうといったが、
坂本も中々鑑識のある奴だヨ。

 西郷に及ぶことの出来ないのは、その大膽識と大誠意とに在るのだ。
おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗込む。

 おれだって事に処して、多少の權謀を用ひないこともないが、
ただこの西郷の至誠は、おれをして相欺くに忍びざらしめた。

 この時に際して、小●(判読できず)殘畧を事とするのは却ってこの人の為めに、
膓をすがされるばかりだと思って、
おれも至誠を以て之に応じたから、
江戸城受渡しも、あの通り立談の間に済んだのサ。 
  
 西郷は今云ふ通り実に漠然たる男だが、
大久保は、之に反して実に載然として居たヨ。
 
 官軍が江戸城にはいってから、市中の取締りが甚だ面倒になって来た。
これは幕府が倒れたが、新政が未だ布かれないから、
恰度無政府の姿になったのサ。

 然るに大量(註:タイリョウ、度量が大きい事)なる西郷は、
意外にも、実に意外にも、
この難局をおれの肩に投げ掛けておいて、
行ってしまつたどころか、宜しくお頼み申します、
後の処置は、勝さんが何とかなさるだらうといって、行ってしまった。
 この漠然たる 『だらう』 にはおれも閉口した。
実に閉口したヨ。

 これが若し大久保なら、これはかくも、あれはかく、
とそれぞれ談判して置くだらうに、
さりとは餘り漠然ではないか。

 併し考えて見ると、西郷と大久保の優劣は、ここにあるのだヨ。
西郷の天分が極めて高い所以は、実にここにあるのだヨ。 

  西郷はどうも人にはわからない所があったヨ。
 大きな人間ほどそんなもので・・・・・・・
小さい奴なら、何んなにしたって直ぐ腹の其処まで見ゑてしまうが、
大きい奴になるとさうでないノー。
例の豚姫の話があるだらう。

 豚姫といふのは京都の祇園で名高い・・・・・尤も始めから名高かったではない。
 西郷と関係が出来てから 名高くなったのだが
・・・・・・・豚の如く肥ゑて居たから、豚姫と称せられた茶屋の仲居だ。
 この仲居が、酷く西郷にほれて、西郷も亦この仲居を愛して居たのヨ。
 併し今の奴等が、茶屋女と、くっ付くのとは訳が違って居るヨ。
とうふのもいふにいはれぬ善い所があったんだ。

 これは固より一の私事に過ぎないけれど、
大体が先づこんな風に常人と違って、餘程大きく出来て居たのサ。 

 
西郷の大度洪量に就いて
 維新当時の模様を、モ少し細かにいふと、
官軍が品川まで押し寄せて来て、
今にも江戸城へ攻め入らうといふ際、
西郷は、おれが出した僅か一本の手紙で、
芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判に遣ってくるとは、
なかなかの人では出来ない事だ。

 あの時の談判は、実に骨だったヨ。
官軍に西郷が居なかったら、談はとても纏まらなかっただらうヨ。
  
その時分の形勢といへば、品川から西郷などが来る。
板橋から伊知地などが来る。
また江戸の市中では、今にも官軍が乗込むといって大騒ぎサ。
併し、おれは外の官軍には頓着せず、
ただ西郷一人を眼においた。

 そこで、今談した通り、
極短い手紙を一通遣って、
双方何処にか出会ひたる上、談判致したいとの旨を申送り、
また、其の場所は、即ち田町の薩摩の別邸がよからうと、此方から選定してやった。

 すると官軍から早速承知したと返事をおこして、
いよいよ何日の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。

 

 当日おれは、羽織袴で馬に騎って、
従者うぃ一人つれたばかりで、薩摩屋敷へ出掛けた。
 まづ一室へ案内せられて、
暫らく待つていると、西郷は庭の方から、
古洋服に薩摩風の引っ切り下駄をはいて、
例の熊次郎といふ忠僕を従へ、
平気な顔で出て来て、これは実に遅刻しまして失礼と挨拶しながら座敷に通った。
 その様子は少しも一大事を前に控えたものとは思われなかった。
 

 さて、愈々談判になると、
西郷はおれのいふ事を一々信用してくれ、其間一点の疑念も挟まなかった。
『色々六かしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします。』

 西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、
その生命と財産とを保っことが出来、
また徳川氏もその消滅を免れたのだ。

 若し、これが他人であったら、
いや貴様のいふ事は、自家撞着だとか、言行不一致だとか、
沢山の兇徒があの通り處々に、恭順の実は何処にあるとか、
いろいろ喧しく責めたてるに違ひない。

 万一そうなると、談判は忽ち破裂だ。
 併し西郷はそんな野暮はいはない。
その大局を大観して、而も果断に富んで居たには、おれも感心した。

 この時の談判がまだ始まらない前から、
桐野などいふ豪傑連中が大勢で次の間に来て、
窃かに様子を覗つて居る。
 薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけて居る。
其有様は実に殺気陰々として、物凄い程だった。

 然るに西郷は泰然として、あたりの光景も眼に入らないもののやうに、
談判を仕終へてから、おれを門の外まで見送った。

 おれが門を出ると近傍の街々に屯集していた兵隊は、
どつと一時に押し寄せて来たが、
おれが西郷に送られて立って居るのを見て、
一同恭しく棒銃の敬礼を行った。

 おれは時分の胸を指して兵隊に向かひ、
何れ今明日中には何とか決着致すべし、
決完次第にて、或は足下等の銃先にかかって死ぬるもあらうから、
よくよくこの胸を見憶ゑておかれよ、云ひ捨てて、西郷に暇乞ひをして帰った。

 

此時、おれが殊に感心したのは
 西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失はず、
談判の時にも、始終座を正して手を膝の上に載せ、
少しも戦勝の威光で以て、
敗軍の将を軽蔑するといふやうな風が見られなかった事だ。

 その膽量の大きいことは、所謂天空海濶で、
見識ぶるなどいふことは、固より少しもなかった。

 あの人見寧といふ男が若い時分に、
おれの処へやつてきて『西郷に会ひたいから紹介状を書いてくれ。』といったことがあつた。
 所が段々様子を聞いて見ると、どうも西郷を刺しに行くらしい。

 それでおれは、人見の望み通り紹介状を書いて遣つたが
中には『この男は足下を刺す筈だが、兎も角も会って遣って呉れ。』と認めて置いた。
 そおれから人見は、じきに薩州へ下って、まづ桐野と面会した。
 
 桐野も流石に眼がある。
その挙動が尋常でないから、
密かに彼の西郷への紹介状を開封してみたら果たして今の始末だ。
  
 流石に不敵の桐野も、之には少し驚いて、直ぐ様委細を西郷へ通知して遣った。
 所が西郷は一向平気なもので 『勝さまの紹介状なら会ってみやう。』 といふことだ。

 そこで人見は、
翌日西郷の屋敷を尋ねて行くと 『人見様がお談を承りにまいりました。』 といふと、
西郷はちやうど玄関へ横臥して居たが、
その聲を聞くと悠々と起き直て
『私が吉之助だが、
 私が天下の大勢なんといふ様な六ヶしいことは知らない、
 まお聞きなさい。
 先日私は大隅の方へ旅行をしたその道中で腹がたまらぬから十六文で芋を買って喰つたが、
 多寡が十六文で腹を肥やすやうな吉之助に天下の形勢などといふものが、
 分かる筈がないではないか』
  といつて大口を開けて笑った。

 所が血気の人見も、この出し抜けの談に気を呑まれて、
刺す所の段ではなく、
挨拶もろくろく得せずに帰って来て
『西郷さんは、実に殿様だ』と感服して話したことがあった。
  
 知識の点においては、外国の事情などは、却っておれが話して聞かせた位だが、
その気瞻の大きいことは、この通りに実に絶倫で、
議論も何もあったものではなかったよ。

 今の世に西郷が生きて居たら、談し相手もあるに、
   南州の後家と話す夢のあと 



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