おじさんのいちご観察日記

小さないちご栽培農家の日々を記録していきたいと思います

オシロイバナ

2024-07-29 08:48:00 | 日記
今年も畑の片隅にオシロイバナが咲きました。


子供の頃すぐ下の妹がよくこの花を顔にくっつけておどけ
ていたのを思い出します。3兄妹の中で1番活発で社交的でした。
今日はその妹の命日です。もうあの夏から20年経ちました。次男の少年野球の応援のスタンドでクモ膜下出血で倒れ病院に運ばれたのですがその時はすでに脳死状態でしたが11日間頑張りました。
病室で看護師さんから声は届いていると思いますから声をかけて下さいね。と言われ毎日病室を訪れ声をかけ手足をさっていました。一晩病室で朝まで下の妹と3人でいろいろな話をしながら声をかけていました。
こんなに早く妹と別れる時が来る日が迫っていたとは思いもしませんでした。
その時次男は小6、翌年地元のシニアチームで野球を黙々と3年間続けました。このチームは当時練習が厳しく親が見てられないようなシーンもあったようです。
シニアの監督と関東一高の監督が繋がりがあって高校は関東一高へ進学しました。ここでも野球漬の毎日だったようです。
3年の時、選手権大会東東京大会決勝で修徳高校との決勝戦で9回の裏修徳5-3のリード、ランナー1.2塁の場面で幸輝の打席まさかの同点三塁打、ここからのサヨナラの場面で4番打者がそれに答えるサヨナラヒット、こうして甲子園出場を決めました。
甲子園ではベスト8まで進みましたが千葉、成田高校に敗れ熱い夏が終わりました。
甲子園でも好調を維持し本塁打2本、打率0.52でした。
甲子園も佐野日大、早稲田実業戦応援に行きました。
当時勝つたび誘いの大学がレベルアップしていくと義弟が言っていました。
大学は東都リーグの國學院大に進みました。東東京決勝で対戦した修徳の監督さんが翌年國學院の野球部監督に就任され幸輝を推してくれたそうです。
人気は六大学、実力は東都とその頃は言われ戦国東都とも言われてました。
まさかプロ志望届を出すとは思いませんでしたがドラフト5位で横浜ベイスターズに指名してもらい8年間のプロ生活を過ごさせてもらいました。
プロの思い出は楽天松井投手からの延長サヨナラヒットと日ハム時代のファーム鎌ヶ谷での一軍調整登板の大谷投手からの二塁打、両投手とも今はメジャーこれは忘れられません。



小1から始めた野球今は今年からプロ新規参入のくふうハヤテベンチャーズ静岡でコーチをしてます。
長男も野球をやっていて夏の決勝で木更津総合に敗れ妹は悔しがりその時幸輝はプロだよと言っていたのが頭に残っています。



いつも妹が元気でいたらと思ってしまいます。

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