昼食を米子空港でたべて、午後三時半には大塚の自宅につきました。
実に、不思議ですが、飛行機はやっぱり早い。
境港から帰る前、人口密度が何倍違うのか、実に私を滅入らせるあの東京の雑踏をかきわけて自宅へ至るまでの緊張と疲労を想像して暗くなっていました。
しかし、羽田についても、浜松町でも、ホーム大塚でも。
今日は人が少ない!

おかげさまで軟着陸できました。
あしたは自宅でこじんまりと飲み会です。BUNさんと店長の居酒屋料理楽しみっ

まだまだ境港にいたりする。
今日は、姉が午後お休みだったので鬼太郎ロード(うゎ、パソコンできたろうって打つと変換されるのは境港バージョンだろうか^^;)へちょっと行ってみました。
ここにきたらアレを買うしかないでしょう。
というわけで、ゲットしました、
千代むすび強力純米吟醸袋取り(生)!
千代むすび酒造は鬼太郎ロードに自社小売店を二つ構えておられます。
たまたま支店に寄って、美味しかったのでおみやげに買いに来ましたと言ったら
「これは東京向けに出すほど数量を生産しなかったので、もうここにあるだけです。本店ではもう売り切れました」という。冷蔵庫をのぞくと、ほんとに8本しか残っていませんでした。げげっ、週末帰る前だったら間に合わなかったのかも。
地元の愛好者に失礼と思い、控えめに(はい?)3本だけ購入しました。
重たい四合瓶三本も提げて東京に帰るのもアホだなぁと思いつつ・・・・
お蔵のほうのお店は昨年改装して、また、新たにバーのようなコーナーを設けられたそうです。15年古酒などレアモノありとのことで、また時間ができたらそっちも覗いてみたいですな。
このお酒、30日月曜日の飲み会でなくなるのか、それとも「もん家」「井こし」「おでん屋」に配られるのか。おみやげ、楽しみにしていてくださいね。
大根島(だいこんじま)。
この島をご存知の方は少ないと思う。
鳥取と島根には海岸近くに二つの大きな汽水湖があり、境港からそのままつながっているほうを中海(なかうみ)、中海と水路でつながっているが直接海にひらいていないほうを宍道湖という。
宍道湖はシジミや、ヤマタノオロチに喩えられたとされる斐伊川の源流←なわけないだろ!河口だよ、逆だ!!(瀬戸内人:山が北、海は南と日本海人:山が南、海が北はしばしばこういう真逆な勘違いをします、すみません)として有名だが、意外と中海は知られていない。
その中海が、海につながっている入り口がこの境港だ。
実質、湖は両方とも島根領になっていて、海水の入り口だけが鳥取県という複雑な地理なのだが、生活感覚として中海は境港周辺住民の行動圏内、それだけである。
大根島は、この中海の真ん中にある島で、牡丹で有名だ。今日は姉が午前中お休みだったので、ちょいっと愛犬ミッキー(イングリッシュコッカースパニエル、アメリカンコッカーと違って確かにちょっと珍しい)とともに牡丹園に行ってみた。
(つづく)
高校時代、すごい山中の田舎から通っていた女の子がいた。
私たちは自然を愛でるという点でとても仲良くなり、その繊細な感性と
彼女自身の純真無垢さに憧れすら抱いた。
彼女がこの季節をさしてこういった。「山がまだらになる季節だねぇ」
当時、こういって直ぐ伝わるひとはお互い皆無だったし、私はいまだに出会っていない。
つまり、こういうことなんです。(境港駅付近より写す)
ある日、一通のメールが入った。
「ヘーーーールプ!もう仕事が忙しくてデータ入力とか書類整理とか銀行とか手が回らないの秘書求む! あっ、掃除してごはんつくってくれたら日給あげるーーーー!」
そりゃ秘書って言う名前の家政婦でしょうよぅ。
姉は先月引越したばかりであるが、フルタイムで働いている上に仕事量が瞬間的に激増し、娘(私の姪)は小学校に進学して学校とのやりとりやお弁当などでパンパンらしい。店長に相談すると「まあ、お姉さんのピンチだから・・・」と優しくこころよく承諾してくれたが、「日給くれるって!」と慰めのつもりでいったとたん
「何、キミ、それはすぐ行きなさい。
できるだけ長く、しっかりお手伝いしてくるんだよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
だけどあまり働いていない。
午前中金融機関めぐりをしたが午後は散歩ばかりして、ネットで遊んで、まったりしている。
人口密度の低さ、朝夜の静寂がうれしい。選挙カーの密集地南大塚駅前となんという違いか。空はツバメの声が満ちている。お隣で巣づくり中のペアは、庭の物干し竿がソング・ポストなのか奥さんがそばで草むしりしていても動じない。
弓ヶ浜半島に近く見える山地は主に広葉樹に覆われているらしく、さまざまな展葉の色をまとって山がまだらにみえる。アラカシやコナラなどのどんぐり系の樹々の、柔らかい銀毛をまとったオリーブ色の新葉がひるがえっている。楠の新芽はみずみずしい光沢をもって目にまぶしい。
田に巨大なタガラシが、畑にヒメオドリコソウやカラスノエンドウが咲いている。
いまは花風と初夏の風の中間。鳥取でも、やはり緯度の低い西は日差しが強い。
んぶはーーーーーーっっっ!
これで夜はまた美味しいお酒飲めるしひょひょひょひょ(食費は姉夫婦にたかっている) ←侵略的外来生物として認定間近か
・・・・・・結局自分が息抜きに来ただけぢゃんっ!
はい、そうですがそれがなにか?
お義兄さま、お姉さま、おじょうちゃま、よろしくね~
「息子ーも妻もー 投げー捨ててー♪ 食に全てを 賭けた男ー♪
見上げる様なアングルで 派手な登場効果音
周りをビビらす怒鳴り声 狂気じみてる高笑い
美味いものしか食わないぞ 偏食中年海原~雄○~」(○ビルマンのテーマ)
なんじゃ、そりぁ!?(爆)
深夜4時。明かりを落とした寝室で、眠る前のひと時。
夫婦は睡眠を削って笑いを取ることに血道をあげる。最初は懐メロの連想ゲーム(もちろんアカペラ)にはじまり、各々が「持ちネタ」を披露するのだが私はいつもかなわない。
先日のお題は替え歌、でした。
ガッチャマン、ドラゴンボール、のりダーからサカイの宣伝まで、いつの間にかありとあらゆる替え歌でないものなんでもアリで面白歌合戦が続く。
早よ寝れっっっ!!!! ←理性の声
別の日は、店長お得意の「唱歌つなげ」。
「おー手手~つーないでんでんむしむしか~ら~す~ なぜ鳴くの からすは山に・・・んにく食べて、おならがぽっぽっぽー、ハトぽっぽ 豆が欲しいかそれやるぞ~うさんぞ~うさんお鼻が長いのねーんねーんころーりよ・・・・・(いろいろ続く)」
つぎ、語尾遊び。
「ある貧血 森のな缶詰 熊さんにんにく 出会ったん塩・・・・」
だれもが小学校の頃にはやることば遊び。
一般的には小児の発達段階で生じると「青年期発達理論」などでは述べられている。
私たちは、よほど酔ってでもいない限り言い合いや議論はしない。
それは生い立ちや生き方が全く違う同士としてのマナーであり、また今現在が、お互いの日常を紡ぐ過程にあるからかもしれない。できうるかぎり、お互いに笑顔を。それが共通点のない私たちの最大の会話だ。
そして笑顔を失いがちな私への、店長の思いやりでありかつ、彼自身の自己韜晦の一部でもあるのだろうと思っている。←買いかぶりだったらどうしよう(汗)
しかし日常会話の半分以上がこれだと、30を過ぎた大人同士として何かが違うのではないかと・・・・・・・思うのだが・・・・・・
私の数少ない持ちネタとして、私の父がどこかの宴会で聞き覚えた「おなら数え歌」を店長に伝授したら・・・・・
お店でEちゃんさんに歌ってあげたという!!
ちょっと待って、やめてください、我が実家の教育者45年の父の品格を外で下げるようなことは。でも、それに加担したのは自分であり、この店長が面白ネタを使わないわけはなかった。
近頃私のキャラが変わったと思われている方。
店長のエンターテイナー精神は伝染るんです。
4月8日、日曜日。
某巣鴨周辺サイトの管理人おなじみつー様がご自身のブログで宣伝されていた
KUSHIKOMA井こしの奥様およびご母堂様が中心になって開催された、
「一日だけの作品展」
に、さっそく行ってみました。店長は仕込み前、ちょっと早起きして巣鴨まで。
4月初めにしては暑いくらいの陽気で、ゆったりと、宮下橋周辺のなごりの桜などを楽しみながら歩く日曜の巣鴨はやっぱりいいです。
風に払われた花びらが、たかく散り舞い、山手線を越えて向かい側の道路にまで届いてきたとき、「ひさかたの光のどけき春のひに」ふと古歌が口に上ります。
お店に入ると、おなじみの小さな座敷が焼き物、織り物、グリーン達で様変わり!
ディスプレイにもよほど神経を使われたのでしょう、センスがよくて、
「ここ、このまま陶芸喫茶店にならないかな」
と一瞬考えました・・・・
出展者はみんな、女性で、お茶を出していただいたり、作品の製作苦労話、思いいれなどなど、ゆったりと流れる心地の良い時間に長居し過ぎました。
私が特に心惹かれたのは井越尚子様のお母様による、蛤の香盒二点!!(余計な薀蓄ですが、「蛤」=「殻がぴったり合う」→夫婦円満の縁起物で、おひな祭りに蛤料理があしらわれる所以になってます。 )
写真が無くて申し訳ないのですが、蛤そっくりに形作られた、中に小さなものが入るようにつくられた焼き物です。片方は、真珠色で殻を開くと内側に小さな蟹が描かれてありました。もうひとつはやや小ぶりの赤土色で、外側の縞模様も丁寧に、本物のハマグリそのもの!
なんでも、一度だけ写真で見た有名な作家さんの作品をお手本に、ああか、こうかと工夫を重ねてつくられたのだとか。春らしいですね~、すごいですね~、と触りまくってしまいました、、。
さんざ触りまくって、結局、手の届きそうな実用的なものを頂くことに。
それが写真の二点。
尚子さん作萩焼(?)のとり皿×2と
お母様作三島のぐい飲み!
月末30日、拙宅にてまた飲み会やりますので、そのとき是非、お使いくださいませ。
最近、ほとんどおでん屋にいくことがありません。
居酒屋はお料理やお酒もさることながら、本人が居心地がよいと感じることが身上と思うのですが、お店の方からすっかり身内と認識されてしまった私にはくつろげる場所ではあまり、ないようなのです。
店長のお通しを食べたいのに・・・・あの澄んだおでん食べたいのに・・・・・(T_T)
「常連さん」から「店長のツマ」へ変化したとき。お店の人も、対応が難しいところなのかもしれません。
私にはまだ、他所で「この前おでん屋に行きましたよー」とか言われて
「まあ、それはありがとうございます」とか、「オットがお世話になっております」とか言えません。確かに経済的に独立ではないし、店長の稼ぎが私の生活基盤となっていることから、オットの勤め先(オーナー=上司?)とそこのお客様には気を使うのが当然という見方もあるでしょうが、、、、、店長の努力を日々家から見送っている私としては、おでん屋さんが繁盛してきたこの冬、「おかげさまで」と言うのが精一杯です。(大体、店長が私の会社の業績について「おかげさまで」なんて言わんだろ)
全く別の機会で話もずれますが、先日、道で行き会ったおじさん(北大塚で飲んだ帰りだったらしい)と少し話をして、「はい、夫のほうも仕事が忙しいようです」と言ったら
「忙しいようですじゃなく『忙しいんです』だろう!」と訂正されました。
はぁ?
この、オットの仕事ぶりを一人称で語ることを強要するのがこの世代のジョーシキなんでしょうかね。ちなみに私はその方に、夫がどういう仕事をしているか一言も言っていません。
ついでに、結婚してから、巣鴨周辺のお店にひとりでいくと挨拶としてなかば慣習的に彼のお店のことを言われたり聞かれたりするのもなんだかなぁ、、、。
「わかりません。」
って本音をいうのもぶしつけな気がして適当に答えていますが。わかるのは本人の健康状態くらいなもんです。←それも本当にわかってるかといわれると(汗)
最近言ったダジャレとかよく口ずさんでる小学校唱歌とかのほうがわかるかも
あぁ、全然別の話題にするつもりが。この数週間の鬱積が混合ガスとなって爆発してしまいました。
で、表題の箸置きです。
多分、本来箸置きじゃないと思います。 「さや豆兄弟」だったかな・・・
大塚空蝉橋たもとの益子焼のお店で、あまりにあまりな顔つきに引きつけられて購入。
私「おでん屋にマイ箸置きでキープしていい?」
店「ダメです。」
即座に断られた・・・・・・
しかたないので家で箸置きにしています。←いらないと言ったのにつきあわされるトシ房
それにしてもこの顔、少年ジャンプの「ムヒョとロージー」に出てくる霊キャラに似ていませんか?
井こしさんに持っていってマイ箸置きにしてもらえないでしょうか・・・・・ダメかな・・・・
東京は先週半ばの陽気で、一気に桜が満開し、一日のお花見では花びらがはらはらと舞う、まことに文学風光景が堪能できました。(急に飲んだのと体調不良で吐いてさらに数時間記憶をなくした馬鹿は私ですがその間の醜態をご存知の方はどうかこっそりお教え下さい)
時は一ヶ月前にさかのぼり、先月はじめの3月5日、一足早く春をと、「河津桜」を見物すべく一泊で伊豆へ出かけたのでした。
しかし駅に立った私どもは・・・・・・
びゅごうぅぅぅぅ、どざざざーっ
という春の嵐の熱烈な歓迎をうけ、他の全ての観光を放棄、風雨に散る桜を後目に宿の方に迎えに来てもらう。
宿は、山の中のイノシシ料理で有名なペンション。若主人みずから獲ってこられるのだとか。夕食は築100年をこえる、風格ある田舎の別棟を貸しきり状態で、イノシシ、鹿、その他鮎の白味噌ちゃんちゃん焼きなどを
死ぬほどつめこんだ。これ以上太ったら鍋にされるぞ、私達。
先にお風呂からあがった店長、「お風呂がアルミホイルかぶってるんだけど」
アルミホイルぅ?
←保温シートのことでした、、、
さすがに疲れて、わざわざ四号瓶に隠し持ってきた会津娘に手をつけることも無く、ベッドに倒れ込んだ。
私は、真っ暗な部屋のなか、雨と風の音をずっと眠らずに聞いていた。
ざぁぁ、ざっ、ざざぁっ、と雨は不規則な風とともに屋根を通り抜けて胸の地平を打ち続ける。泥の飛沫さえ身体で感じられそうなほど。
谷をとりまいてうなる山の木々の音が、島の山峡の集落で独り堪えていた夜を思い出させる。久しく聞いてなかった、山の声だ。
雨は夜明け前に止み、曙光がさした。
よし、河津七滝なら花はのこってるだろう!行っちゃろうじゃないけ!
と、6時ごろタクシー会社に電話しても誰も出ない、、、、。
いろんな営業所に電話すると、「朝7時にならないと誰も出勤しません」
そうかー。夜は営業しないんだなー。そういえば島でも夜中に出てくれるのは救急車くらいだったもんね。
じゃぁ、と、数キロの道のりを国道に向けて歩く。朝陽を浴びた桜や菜の花畑を愛でつつ歩く。
やっと国道沿いでタクシーをつかまえ、河津七滝まで行ってみると、、、、
花は全て散っていた。ニュォーン・・・・・
滝より南のペンションの周りではまだそこそこ咲いていたのに・・・どうやら暖冬で海浜部から七滝地区まで、一気に咲いてしまったらしい。
タクシーの運転手さんは、てっきり私達が「滝」を見に来たものと思い込み、七滝を案内してくれました。いや、どんな物好きでも春の早朝のこの寒いのに谷間にある滝見に行ったりしないと思うんですが。どんな物好きと思われたことか。
で、河津七滝。
はっきりいって、「踊り子」彫像銅像多くて、早朝に等身大の彼らに会うと相当不気味です。そして寒かったです。川沿いは廃屋が多く、スダジイや竹やぶに囲まれた陽の射さない滝なんて、どんな物好きでも行かないと思います。
そういいつつ立派なスダジイ、シラカシ、暖地性のイタビカズラやシダ類
を楽しみながら歩いていくと、
「ニャーサマーオレンジ」の看板が!!!!
もう、桜とか滝じゃなくてこの写真を使わずして如何せん。絵心は認めますが。
この旅はこの看板との邂逅が最も印章深いものとなりました。
朝食前に宿に着くと
「近くにも五連の滝があったのに、
朝に七滝まで行ったお客さんは初めてです」
だって・・・・・・・・
帰りの踊り子号から見えた桜が美しかったです。お互いその日の午後から仕事だったのでしんどかったけれど、ニャーサマーオレンジな旅でした。