goo

建長寺専門僧堂

横浜市仏教連合会の仏跡参拝が、鎌倉の諸寺院を訪ねて行われました。写真は、建長寺僧堂前に掛けられた木版です。
何でも、この版を叩き続けるうちに真ん中がえぐられていき、しまいには穴があくそうで、空いたら一日坐禅が免除になるのだそうで、それを楽しみに思い切り叩くのだそうです。

僧堂や開山堂(昭堂)があるエリアは、修行道場として聖域となっているため、一般の公開はされていません。今回は特別、会長さんがこの道場での修行経験がおありで、現在も重責を担っていらっしゃるということで、特別に拝観させていただくことができました。私もかねてからの念願でした。

ここが、専門道場の入り口の門です、「崇山」と書いてあります。
しばらくゆるい坂を登ると更に僧堂入り口の門があります。坂の両側にはボタンの花が植えられていて、開花時には、ここまでは入れるそうです。
            
ここが、いよいよ僧堂エリアへの関門です。「西来庵」と書いてあります。中では中食(昼食)のお唱えの声が聞こえました。

門をくぐると、中央に国の重要文化財の昭堂があります。開山の蘭渓道隆禅師が祀られています。かつては、裏山の墓所にご遺骨が安置されていましたが、後にこの堂内に移されたとのことです。
 
建長寺で最古のこの建物は、屋根が茅で葺かれています。建物前の「びゃくしん」は、700年余の樹齢と言われます。
 
向かって右側に坐禅堂(大徹堂)があります。
一年中、昼間は窓は開け放たれているそうです。もちろん坐禅中もです。冬は寒そうです。夏は蚊の襲撃があるそうです。
 
坐禅堂の内部です。現在16名の雲水さんたちが、ここで寝起きし、修行の中心エリアです。
この度、快く拝観させていただき、写真取材も許可いただきました。こうして、臨済宗で最も厳しい道場の一つにあげられている建長寺本山道場を訪ね、いくつかの感銘を受けました。

修行ということが、中国の禅林時代の原点をかなり維持し、頑なに徹底されていることです。

 先ずは、指導体制。ここの最高指導者は管長様で、寝起きを共にして指導に直接あたられるということです。「老師」と呼ばれるこの師家職は、他の宗門に見られるように一般的な僧侶には多用されずに、限定された職名なのです。この老師様を中心に少人数制(最大でも30名)の隔離性の強い修行が行われるようです。現在は16名で、リーダー的な3名は10年を越えるそうです。

そして、ここでの生活は、いわゆる建長寺本堂などには月に数回、限られた法要にのみ参加するだけで、日常は、このエリアのみで坐禅、読経、裏の畑での農作業の作務。そして、頻繁に街に出掛ける托鉢。住職としての資格を得るには、この修行を三年以上の経歴が必要だそうで、途中で出る(他出)場合も二泊三日までとされ、それ以上は、出ていた分だけ日数を引かれていくのだそうです。一日の予定が夜9時に終わった後、それぞれが外に出て坐禅をするのだそうで、先輩が引き上げる11時ごろまで続くのだそうです。

 こうした臨済の宗風は、曹洞の宗風とは明らかに違いがあります。永平寺では、参詣者の接待も拝観案内も機関誌の編集も同じ修行と考えます。総持寺では、地域の方々と盆踊りの企画運営を一緒にしたりします。人数も大勢の集団です。
                                            
                                                僧堂前の小石に刻まれた六地蔵
  きめ細かな、徹底修行ということを考えると、カルチャーショックのような衝撃もありますし、見習うべき点を感じます。私はここで何日耐えられるだろうかと・・・・・。
 そんな身の引き締まる思いの建長寺参詣でした。





 

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 6月・7月の予定 建長寺境内 »
 
コメント
 
 
 
失礼いたします。 (tenjin95)
2008-06-03 21:16:26
> 管理人様

16名ですか。意外に少ないような気もしますが、ウチとあちらとの宗門の大きさを考えますと、そうなのかもしれません。

ご指摘のように、非常に厳しい修行ですね。頭が下がります。
 
 
 
いつもおせ (りんしょう)
2008-06-03 21:23:44
非常に興味深く読ませていただきました。臨済宗の堂内のことなど、写真で初めて拝見しました。よく聞くのですが、やはり窓は開けっ放しなのですね。外で坐禅しているのと同じ条件にするのは、わかる気がします。
今度お会いした時にでも、どんな様子なのかいろいろとおしえてください。楽しみにしております。
 
 
 
→tenjin95さん (tera)
2008-06-04 08:45:21
はい、確かにそう思いました。規模の違いもあると思いますが、修行の捉え方の違いを感じます。以前から、臨済の大寺院を訪ねても雲水の姿を見なかったり、修行の息吹を感じなかったのですが、隔別して考えるので当然のことなのだと思います。みっちりと修行に励む環境が整っている訳です。

逆に考えれば、大伽藍を維持運営する人件費などの諸経費も大変なことだとは思います。
 
 
 
→りんしょうさん (tera)
2008-06-04 09:10:02
托鉢お疲れさまでした。写真拝見しました。
こちらは貴重な経験をさせていただきました。わが宗とは全く違った安居生活ぶりに驚嘆しました。禅林原理主義とでももうしましょうか、見習う点は多いと思いました。

うちらでは、「衆寮や看読寮に永遠に居て、地方僧堂のように全員当番制で、毎日が半日摂心の連続で、夜参なしで開枕後の夜座屋外で3チュウ経行なし」といったところでしょうか。もちろん新到も古参も一緒です。イメージがわきましたでしょうか?

またお話ししますね。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。