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インド仏蹟巡礼①霊鷲山

念願のインドへの旅が実現しました。布教師の研鑽の会「遊行会」の企画による7日間の30名による釈尊聖地への旅です。今回は三つの聖地を中心に、「ブッダさとりへの道を訪ねて」というタイトルで実施しました。

釈迦ゆかりの地は、八大聖地と呼ばれています。実際にお釈迦様が関わった地は1~7の七大聖地ということになります。

1.ルンビニー・・・・生誕地(ネパール内)
2.クシナガラ・・・・入滅地(ネパール内)
3.ブッダガヤ・・・・成道地
4.サルナート・・・・初転法輪地、ベナレスのそば
5.祇園精舎・・・・・最も長く滞在した安居地(サヘート・マヘート)(舎衛城)
6.ヴィシャリー・・・サンガ(僧院)の原点とされる地
7.竹林精舎・・・・・初めの安居地、晩年の拠点となった霊鷲山の地(王舎城・ラジギール)にある
8.サンカーシャ・・釈迦入滅後に母のために降り立ったとされる伝説の聖地

1~4までが四大聖地と呼ばれる重要地。今回は赤字の三聖地を中心に訪れました。前回の三年前は青字の各地を「ブッダ最期の旅を訪ねて」というテーマで実施し、今回ですべての聖地への巡礼が完結しました。
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今回は、首都デリーに入国し、空路乗り継いでパトナに移動して、そこからはバスでラジギール、ブッダガヤ、サルナートと回り、ベナレスから再び空路デリーに戻り、帰国の途に着きました。

インドの地名は、昔のサンスクリット語の呼び方、ヒンズー語(現地語)、イギリス統治下の呼び方、漢訳名などと様々で戸惑います。

霊鷲山(ラジキール)

現在のビハールの州都パトナからバスで約3時間、途中、玄奘三蔵も学んだというナーランダ大学跡地を見学して、昔の大国マガダ国の都(王舎城)のあったラジギール(ラージギル、ラージャグリハ)に到着。この地は四方を山に囲まれた盆地で現在は草に覆われている。ここはお釈迦様が出家して間もなく訪れた地で、当時の王様のビンビサーラに歓迎され、後にこの地が教団の拠点地となる。中央の山、霊鷲山は釈迦常住説法の地と言われる。麓にはビサーラ王から寄進を受けた「竹林精舎」がある。また、近くの七葉窟(サッタバルナ)は、釈迦入滅四ヶ月後に、500人の弟子が参加して7日間行われた第一結集が行われたことでも重要な地である。

朝5時に起き、ご来光に合わせて霊鷲山(グリッドラクータ山)を目指す。かつてこの国のビンビサーラ王、阿闍世王、法顕、玄奘らも感涙にむせびながら登ったと言われ、「ビンビサーラロード」と名づけられています。およそ30分ほどの山道はなだらかに石畳で整備されていて夜道でも楽に登ることができます。ただし、途中には牛も寝ていて糞に気をつけなければなりません。
 

山頂は、鷲の頭に似た岩があることから名前がついたと言われますが、どの岩かを確認できませんでした。
この下には香室と呼ばれる一枚岩があり、ここで釈尊は説法されたと伝えられています。
現在は、僧院(香室)の跡地に基礎の石囲いが残されていて参拝できるようになっています。

ここで私が導師を勤めさせていただいての報恩供養法要を行いました。読経と寺族の皆様による御詠歌「高嶺」は、まさに霊山での霊気を呼び込み体か震えました。その後に感動の説法をさせていただき、お釈迦様と我とが、『舎利礼文』にあります「入我我入」でつながっていることを実感させていただきました。尊い佛縁に感謝いたします。
 

 竹林精舎(ベヌバーナ)

霊鷲山の麓の閑静な静かな竹林の中にある地をビンビサーラ王は、悟りを開かれたお釈迦様に寄進し、最初の教団の拠点(寺院)となる建物が出来た。中央にはカランダカの池があり、ここで釈尊は説法した伝えられている。現在も、静かなたたずまいを伝え、サルやリスが生息している。

   

この地は、釈尊の希望で、

「城から遠過ぎず、近すぎず、行き来に便利で、望む人に行きやすく、日中は騒がしくなく、夜間は音が少なく、人通りがなく、人に惑わされることなく、瞑想に適した場所」

という地が選ばれたそうです。正にそのようなところでした。

 

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