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日常の傍らにある非日常

2005年02月26日 13時42分57秒 | 世情雑感(サブカルチュア)

 「イリヤの空、UFOの夏」は秋山瑞人の原作(全三巻、メディアワークス・電撃文庫刊)の小説のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)だ。原作小説は現代ライトノベル界において最も著名な作品の一つに上げられると言っても過言ではないだろう。そして人気作品でもある。多くの書店のライトノベルコーナーで本書が並んでいるのを見る事になるであろうし、さもなければOVA化等されない(最もその人気が駒都え~じのイラストに起因しているのではないかと小生等は考えてしまうのであるが)。内容は典型的なボーイ・ミーツ・ガール形式ではあるが、作品中にUFOや軍の特務機関と言ったSFの重要な要素をふんだんに盛り込み、その根源は笹本祐一の「妖精作戦」へのオマージュとなっている。この作品世界は我々が知る世界とは異なっている。我々が暮らす日常に極めて近い現実が繰り返される世界に存在しているのは米空軍と共に「航空自衛軍」が存在するという日常だ。戦争の危機は近づいているように思われているが、既に戦争は始まっているのである。
 OVAは端緒を描き出しているが、最大の見所はブルパップ型小銃でもOVA版「戦闘妖精雪風」に出てくる雪風ではないかと思わせるUFO戦闘機ブラックマンタでもない。防空避難演習の一コマとして映し出される「対爆姿勢」のシーンだ。このシーンを見たものは誰もが気付くであろうが、あれは核爆発が起きた時に行うべき行動とされているものだ。そして、その行動に意味は無い。核の閃光を見た時には既に遅いのである。
 だからこそ、イリヤは「死ぬのに」と漏らすのである。
 戦争が既に始まっている事を知っている者からすれば、訓練という平時を楽しむ者は愚劣な存在に見えるのであろう。日常の傍らにある非日常とはこのような事なのかも知れない。いや、それはこのような小説や漫画、アニメにおいて提示され得るものだけではないだろう。我等生きるこの世界もそうである可能性があるからだ。

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