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The World Ⅴ~うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー~

2004年10月24日 16時30分53秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 最早、衰退に入ったとも見られる「萌」というサブカルチャーにおける概念であるが、この概念がその発現をしたのは1980年代に遡る。無論、当時においては「萌」と呼ばれていた訳でも認識されていた訳でもない。この最初の発現と見られているのが高橋留美子原作の「うる星やつら」である。しかし、このBlogの「The World」は内輪受け的要素への批判をコンセプトとしている以上、「萌」についての分析を行うわけではない。ここで着目するのは「夢」と呼ばれる部分についてである。しばしば、「The World」で取り上げる作品はオタクと呼ばれる人々の一種の自己満足を満たす為に存在すると解釈されている。その自己満足とは一種の「夢」であると言っても過言ではないのであるが、その「夢」とは現実には存在し得ないものである場合が大半である。本日取り上げる「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」はその部分を考える上で極め有益であろう。
 押井守という監督は我が国のアニメーションに席巻されていると言っても強ち間違いではない映画界においては著名となっている監督である。本年春に公開された「イノセンス」にせよ、1995年に公開され世界的に評価を得た「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」にせよ、「夢」というよりも一種の「現実」志向の作品を作る事で知られている(一方で、稠密なる兵器等の描写は妄想的というまでに昇華されている)。この「うる星2」を監督したのはこの押井守なのである。この作品はアニメーション界において名作と評されている。この方面に関心がある人物でこの作品を知らなければモグリと言うものだ。
 この「うる星2」を見れば押井映画の基盤を成す部分の大半を理解出来るだろう。校長が親鸞を引用しくどくど述べる部分(所謂、ある意味において「くだらない」知識の羅列)、「純喫茶第三帝国」や「ボイコット貫徹」というイデオロギー性を見出す描写、異常に細長いビルの描写、そしてハリアー戦闘機やレオパルド戦車という兵器面。その全てが「イノセンス」にまで通じる押井映画の特徴だ。この作品の主題は「夢」と言う部分にある。この世界では永遠に学園祭前日という一日が繰り返されている。これはラムが望んでいた楽しい夢という願望の世界である。この世界は極めて地域的に、そして人的に小なる世界と言う事がハリアーで脱出しようとするシーンで明らかになる。最低限度の人間が存在出来れば良く、最大限度の生活が出来る世界。その描写はあたかも現在のインターネットに傾注するだけで生活する「ひきこもり」を想起させる。無論、この映画が公開された1984年当時はインターネット等はなく大学紛争におけるセクトというユートピアの残滓が未だに残っていた時代でも合った。であるからこそ、学園祭という「祭」しかもその前日と言う「ハレ」のピークへと至る過程を通して描写されているのである。
 この「うる星2」は最終的に5作製作されているが、この作品を持って押井は監督から降りている。それは押井がこの作品こそを「うる星やつら」シリーズの集大成としたかったからであると言われている。つまり、押井はこの「うる星やつら」という「夢」世界が所詮は漫画と言う紙面や映像の上にしか存在しない世界であると言う事を示す為に、あえて「夢」というテーマでもってこの作品を作り上げたと考えられるだろう。この映画において異なっているのは「夢」と言うものも相違している点である。ラムが「夢」を志向するのに対し、あたるは「現実」を志向する。あたるが「現実」として志向しようとしているものも、視聴者(読者)から見れば非現実の「夢」にしか過ぎない。そして、映画の最後のシーンではこのラムとあたるが「夢」から本当に脱する事が出来たのか分からないような状況になっている。つまり、最後のシーンにおいて押井はこの映画において描写された世界自体が「夢」にしか過ぎないと断じているのである。しかし、この作品以後も「うる星やつら」は継続した。最終的に「うる星やつら」が歴史の存在となったのは平成を迎えてからだからである。つまり、この押井の警鐘は届かなかったと言えるのかも知れない。アニメや漫画によって描かれる世界とは所詮は「夢」でしかないという指摘は、受け入れられるどころか1990年代に入って加速度的に拡大して行ったからである。
 「うる星やつら」によって想像された世界は、読者、視聴者の資本主義的願望を受けて現在まで継続している。押井がこの作品を通して訴えたかった内輪受けてきな「夢」の世界への危惧は、その願いが通じる事無く現在まで続いており、その範囲を拡大している。この拡大はもはや止める事は出来ないのかも知れない。「夢」という世界はインターネットによって様々な「夢」と連接する事によってより大きなものへと変質しているからである。

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