1月18日 祖母が亡くなりました。
19日お通夜。20日告別式。
97歳。
父の方の祖父母は、高知市長浜。殆ど私の意識がまだないかなり小さい時に亡くなった為に残念ながら殆ど思いでもありません。
母の方は、旧物部村大栃。山国高知県の中でも有数の山地です。
子供の時には、毎週一回は、母が1時間半ほどかけてよく連れて行ってくれました。
祖父保母は、長男家族(叔父)と大栃で暮らしていましたが、まず長男の娘が若くして他界。そして次に長男の嫁も他界。そして長男も。続けて亡くなり、その時の悲しみもあり無口になり、軽い認知症も始まりました。
そして15年前、夫である祖父も亡くなりました。
私の母は、次女でしたが祖母を高知市内に引き取り、老人施設と自宅併用による介護に努めました。
平成13年12月末に15年4月に県議選に出て高知の為に役に立ちたいと帰省した私は、約一年間、実家で痴呆症の進む祖母と暮らしました。
そこで介護の大変さをほんの少しですが体感しました。
ある時、祖母が家からいなくなりました。その時は時々しか家族の名前を思い出せない程に痴呆症が進んでいました。
ちょうどその時には、私と祖母しか実家にいなかったので気付いた私は大慌てで家を飛び出し走って名前を呼んで探しましたが、なかなか見つかりません。「警察に電話をしよう」と思ったときに偶然、車で混雑した国道の反対側のガードレールに不安そうな顔をして腰掛けている祖母を見つけました。
反対側から呼ぶと危ないと思い、走ってそばに行って呼びかけると、安堵感に満ちた満面の笑みを見せてくれました。
改めて家族だなぁ。と感じたときでした。
それから時は進み、病院で長く入院して安眠しました。
あの時の笑顔を今までの沢山の優しさに満ちた思い出を心から感謝します。
平成13年から今までに家族の名前を忘れても時々、
「大栃に帰りたい。」としきりに言っていた祖母が、ようやく故郷に帰れたのは、納骨の時でした。
おばあちゃん。ありがとう。がんばるよ。
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