半村良の戦国自衛隊を、福井さんのノベライズでリメイクし、さらに、映画化したしたもの。
OHP
福井さんの監修での映画化が先で、ノベライズがあとかもしれない。
ちなみに、漫画版(全二巻)もある。
漫画版はキャラがいかつい感じで、緊張感は映画版より強い。
古いほうの映画に関するコメント
それはともかく、
タイムスリップもので、きもになるのは、タイムパラドックスの処理の仕方である。
タイムパラドックスとは、過去に行って、何かをしたとき、元の世界に何らかの変化がおきなければおかしいが、それは、未来から来た人間がそれを知っていることによるわけで、今度はそれは知ることができないはずだ、という論理。
典型的なものでは、親殺しの論理がある。
もし、自分の親を殺してしまったとしたら、親は存在しないことになり、その子供は産まれない。
生まれない子供が親を殺せずはずもないので、殺したはずはない。
というロジックである。
・宇宙戦艦ヤマモトヨーコでは、トンネルで事象平面をつなげたままにすることで、それぞれの時間での変化は、後先ではなく、どちらも同時だという処理にしている。
・ドラえもんでは無視している。
・バックトゥザフィーチャーでは、母親に愛されて、まずい展開になったりしている。
この映画でのきもは、タイムパラドックスを、歴史の修正力で処理するという方法で展開する。
これは、原作から受け継がれた部分で、肝になっている。
つまり、もしヒットラーを青年期に殺しても、別のヒットラーが出てくる、という論理である。
織田信長を殺せば、別の信長が出てくる、という。
いくら、先に、やばそうな敵を殺しても別の人がその役にとって変わる、ということであり、これは、時間軸は一方向性ではなく、過去、未来、現在も相互に常に作用している、という理論に基づいている。
んで、映画について。
映画は陸上自衛隊全面協力の力を生かし、90式戦車から、コブラまで、最新鋭装備を惜しげもなく使っている。
もちろん、爆砕するシーンは、CGだが。
映画では、専守防衛、過去への干渉は最小限に、ということで、最初、スタン弾を使っている。
しかし、死なないとわかれば、相手がどんな行動にでるかという戦国の常識をわかっていなかっため、結果、大ダメージを受ける。
また、近代戦等では、主に、射程が200m以上の銃器による戦闘がメインになるため、接近戦への備えが甘く、結果、伏兵にバシバシ殺される。
こういう事態は充分想定できたはずだが、自分たちの装備に過信があると、どうなるかという例である。
なお、廃墟都市部やジャングルなどの紛争地域では、いまだに、直接打撃が多く、もし、今後、自衛『軍』になり、PKFを行うことになれば、ことによれば、こういう自体で壊滅する可能性もあるので、自衛隊幹部は、充分な検討をしてもらいたい。
それた。
ストーリーは、人間が目的を定めるとき、一回定めた目的が絶対だと思うし、相手がそれが目的といわんばかりにアピールしていれば、そこに集中してしまう。
目先を変えれば、全く違う展開も考えられる。
イラクへの対応だっても、もっと、方法があったはずだが、自分の目的と相手の目的が合致してしまったため、他の方法について考えられなかった例じゃないかと思う。
もちろん、イラク戦争を『行わない』という決定はそれを遂行する人間の犠牲は、まず必要な展開ではあったけど.
何をすれば、天下取りになるかということを知っているものが、本来、信長になるわけだが、そこれは映画の転換点なので、見て考えてもらおう。
江口洋介の迫力が足りない気がする。
もっと、緊張感のある演技ができるはずだが、刀をもっと重くすると、多分、いい感じにビクビクした感じになるんじゃないと個人的には思う。
森三佐役の生瀬勝久。
あいかわらず、ワルそうな役者だ。
味は出しているが最後のかっこいい死に方はいただけない。
濃姫は、信長の嫁になったあと、信長に、美濃から来たからお濃と呼ばれたことに由来し、道三は、たぶん、帰蝶、と呼んでいたんではないかと思うけど。
全体的には、飽きさせないつくりで、まあまあといったところ。
ただ、前半にテンションがあがりにくいので、最初の30分を乗り切れるかどうかが勝負。
(写真なし)